脱原発神話 第7章 ユートピア / 科学から空想へ(2) ・・・原理主義者たち [2012/3/31]

神話を信じるものは幸いなり

どんなに、放射線被曝の影響が無視していいわずかなものだという実際のデータを示しても、いやいや怖い、という人は必ずいるだろう。恐怖や不安のなかでは枯れススキも幽霊に見える。あれはヒツジの群れですよとサンチョ・パンサが忠告しても、丘を越えて放射能の大群が攻めてくるというイメージがあたまの中で爆発してしまう。一度思いこんだら止まらない。人間の科学的思考、というものはなかなか言うは易く行うは難しだ。

原発安全神話といわれる。そこには神話を語る人と神話を信じる人がいた。2011年の3月11日を境にして、安全神話は信じられなくなった。代わってとつぜん脱原発神話が生まれた。脱原発神話を語る説教師や宣教師がぞろぞろと日本中に現れた。脱原発がただひとつの正しい道だ、と多くの人が信じるようになった。他には道はない、と。信じることは幸いなり。

「原発大国」とか「原発依存」とかということばがよく使われる。色眼鏡をかけずに現状を見れば、日本は「化石燃料日本」と呼ぶのが正しい。けれども、多くの脱原発論者にそのことは見えないらしい。というか、触れたくないらしい。電力の3割が原子力として6割が石炭、天然ガス、石油でまかなわれている化石燃料依存国だというのに。しかも日本のエネルギー消費全体から見れば、二次エネルギーである電力はその一部でしかない。一次エネルギー消費全体の内訳で見れば8割以上が化石燃料に依存している。つまり自動車のガソリンから家庭のガス、灯油、産業用の重油などなど。原発依存以上に、はるかに化石燃料依存なのだ。

そして、なぜか原子力への「依存」だけが攻撃される。なぜ? いろいろ批判すべき原子力の欠点があることは誰にも分かるが、それだけではないだろう。原子力は大電力会社が建設運営している。一般人にとってはあちらの世界の話だ。近所のおじさんが町工場みたいなところで原発を運営しているのではない。ところが化石燃料はというと、自動車は自分たちが毎日使っている必需品。ガスは台所で、灯油はストーブで日常生活のなかにある。これで化石燃料依存を攻撃批判するのはつらい。天につばを吐くことはしたくない。原子力をネタに電力会社を攻撃する方が楽。原子力ムラを叩いていさえすればいい。そういうことになる。自分の身に降りかかるような当事者性はまるで必要ない。悪いのはあいつら、なのだから。

ゼロ原理主義

それでは、原発ゼロ派はどういう将来のエネルギー供給を想定しているのか。総合資源エネルギー調査会の資料を見てみる。基本問題委員会委員の個人別電源構成想定グラフ。グラフの元のデータはこちら→2030年の電源構成についての御意見

委員名簿(以下のグラフで電源構成の案を提出しなかった委員は省略した)

上のグラフは原発を2020年前後までにゼロにすべしという考えの委員。ただし、右の2名は2030年目標。座標のマイナス部分が省エネルギー分。省エネについては各委員の前提条件などが少しずつちがっているので、数字としては正確なものではないが、だいたいの感じは出ていると思う。棒グラフが下に下がっている委員ほど省エネへの希望がつよい。反原発派はエネルギー消費を減らせ、という度合いが非常につよいということだ。再生可能エネルギーの増加については、かなり「大胆」に期待している委員がいるが、真面目に考えてのものなのか疑問を持ってしまう。傾向として、反原発運動家は当然としてジャーナリストや社会運動家に脱原発色が強く、また再生可能エネルギーへの大きい期待を持っていることが言えるだろう。

下のグラフは原発は必要という立場の委員。こちらは2030年の想定だから、上のグラフの委員が10年以内に原発ゼロといっている「過激さ」と比べるとずっとおだやかな目標になっている。短時間で決着をつけようとか、何かに極端にかたよるということがほとんどない。上と下のあいだに妥協の余地がはたしてあるのだろうか。ゼロ原理主義に未来はあるのか。

再生可能エネルギーがさほど期待できないことは、技術的にも経済的にも今や常識と言っていい。だから、脱原発とは化石燃料への依存をつよめることとおなじ意味だ。化石燃料依存への道。それを少しでも緩和しようとすればエネルギー消費そのものを減らしていく必要にせまられる。省エネルギーというよりも正確には減エネルギーだ。しかも、中国やインドといったアジアを中心にエネルギー需要はこれから爆発的にふくらむ時代。日本がカネさえあれば化石燃料は確保できると考えているとしたら、それはあまりに甘すぎるだろう。原発ゼロ派のように、エネルギー源の重要な選択肢としての原発を完全に捨ててしまうことのリスクはとてつもなく大きい。しかも温室効果ガス削減の必要もある。たぶん、原子力維持派の委員もそういうことを十分理解しているはずだ。だから、けっして「原発ゼロ」とは言わない。

参考:IEA Energy Balance
中国の燃料別電力量の変遷
インドの燃料別電力量の変遷

文系、芸術系人間の不思議なピーチパイ

第6章で見た『私たちは、原発を止めるには日本を変えなければならないと思っています。』(以下『日本を変えなければならない』と略す)の発言者一覧も同じことなのだが、脱原発を先頭に立って叫ぶ人たちの職業構成はなかなか興味深いものがある。上の総合資源エネルギー調査会委員のメンバーにもその同じ傾向が少し見える。

これは、「意見広告を出す市民の会」が2012年2月11日に毎日新聞に載せた意見広告だ。
意見広告「私たちは原発のない日本をめざします」

ここに名前の載っている賛同者を職業別に分類集計してみようと思ったが、分類するほどのこともない。日本の一般的国民の職業分布とはずいぶんとかけ離れたメンバーなことは誰でも分かるだろう。非常にかたよっている。参考までに、下のグラフは日本の職業別従事者比率(2010年)。おそらくグラフ一番下の青色部分と茶色部分あたりにほとんど含まれるのではないか。

好意的に言うと、これらの人の多くは「自由人」だ。ものごとにとらわれないで発言できる立派な人たちだ。世の中に名前の知られた人も多い。かすみを食って生きている人もいるだろう。ふつうの人は、毎日毎日くだらないモノにとらわれて暮らしている。財布にカネがいくら入っているか考えながら働いている。今夜の食べ物をどうしようか探して生きている。日本の将来についてカネを払って意見広告を出すほど、高級なことは何も考えていない。けれど、この「意見広告」には「意見」と呼べる中身があるのだろうか。よくよく目をこらしてみても、そこには個人名しか書いてない。あれれー。こういうのを売名って言うんじゃなかったか。この人たちがどこかに国をつくったらどういう国ができるのだろう? こういう職種の人たちだけで日本の経済社会を支えてくれるのだろうか?

「原発のない日本」というフレーズで思い出すのは、バラク・オバマのプラハ演説(2009年春)だ。大統領は「核兵器のない世界」を目指すと宣言した。で、その後何がどうなったのか。オバマがノーベル平和賞をもらった。それで何がどうなったというのだろうか。核兵器よりも通常兵器の戦争をアフガニスタンで続けることだった。核でなくても人は殺せる。

オバマ演説については前に書いたのでくりかえさない(「核のない暗黒世界」)が、「XX がない世界」ということばには実際には意味も内容もないことが多い。ここではないどこか。目の前の現実の否定。日常からの逃避。「原発のない日本をめざします」という意見広告もまったくそのとおり。大事なことが欠けている。原発が無くしてどういう日本社会をつくると考えているのかが無い。ただ無くなればいい、とりあえず無くなればそれだけで良い、そう思っているのだろうか。ちっぽけな具体的計画なんか必要ないよ、そう考えているのだろうか。あいまい空虚な未来像、何かすてきなことを約束したかのようなイメージ。この中身がスカスカな、不思議なピーチパイは何だろう。

大学解体、造反有理、2.26事件

京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏は原発をなくすことを人生の目的に生きている人という。インタビューにこう答えている。(『日本を変えなければならない』より)

大学闘争っていうのは、自分たちがやっている学問、自分たちがいる大学というのが、社会の中でどういう意味を持っているのかということを、問題にしていたんです。(中略)結局、私が最終的に決断したのは、3年生の秋でしたが、原子力を徹底的にやめさせるために、自分の人生を使う決断をしました。そして、東北大学工学部原子核工学科の中で、原子力の旗を振っている教授の授業をやらせないことにしました。授業をつぶしに行く、毎時間必ず。

京都大学というのは結構リベラルな大学だし、(就職試験を)受けに来る学生の身元調査なんてことはしないんです。それで、私はここに採ってもらったわけだし、それ以降だって、なんの弾圧も受けたことはありません。(中略)それに、私は京都大学原子炉実験所というところのの教員であって、勤務時間中に私の好きなことをやってるんですよ。それで、国家が私に給料くれるんです。

うん、たしかにここまで割り切ると運動家としては立派なものではある。思いこんだら試練の道をと。他人がどう言おうとも自分の好きなことを突き進むのは人生最大の幸福だろう。しかし、科学者としてはいかがなものかとは思う。なくすという結論が初めにあるからその目的のために材料が集められ、その目的のための論理がつくりあげられることになる。初めの結論は絶対だ。それは科学の方法とは言えない。それは一種の原理主義だ。こういう「決断」をしている人と話し合っても、何も合意は作れないだろうということも想像が付く。

決断をした科学者というと、どうしても高木仁三郎さんを思い出すが、高木さんについては個人的な経験もふくめてあとで触れることにする。

かつて1970年前後の大学紛争で叫ばれた「大学解体」。これも全共闘運動のスローガンの一例だった。わたしは世代的に言うと全共闘はすぐ目上の兄貴分に当たるから、敬愛と軽蔑が半々に混ざりあっている。彼らには解体してどうなるのかの見通しも計画性も何もなかっただろう。あるいは街頭に解放区を作って何ができるわけもない。ただ封鎖や解体だけが自己目的化して、追いつめられ、ついに東大安田講堂のように警察機動隊の放水と催涙ガス弾のなかで落城した。中国の文化大革命に由来して大学闘争でも多用された「造反有理」。この呪文のようなことばも、同じ性格の無意味なスローガンだった。中国で吹き荒れた若い紅衛兵たちの文革の嵐とその結末の不毛と悲惨を思い起こす。ウィキペディア:「造反有理」

時代をずっとさかのぼると、1930年代、戦争体制へ急速にむかうことになる時代、軍事クーデタ、5.15事件、2.26事件。決起した青年将校たちはこう主張した。

5.15事件の首謀者・古賀中尉:我々はまず破壊を考えた。我々は建設の役をしようとは思わなかった。ただ破壊すれば何人(なんぴと)かが建設の役をやってくれるという見透しはあった。

2.26事件:蹶起将校たちは口を揃えてこれを否定し、たとえば村中孝次は「丹心録」(獄中手記)のなかで、「吾人は維新とは国民の精神革命を第一義とし、物質的改造をこれに次いで来るべきものなるの精神主義を堅持せんと欲す」という立場から(中略)、「建設なき破壊は無謀ではないか」という問いに対し「何をか建設といい何をか破壊というか、・・・・」といって、前の井上日召と同じ「論理」に帰着しています。(中略)こういう風に急進ファッショの運動形態は空想的観念的であった。(丸山真男『日本ファシズムの思想と運動』より)

ジャーナリストで関東学院大学法学部教授の丸山重威氏は以下のように言う。(『日本を変えなければならない』より)

僕は、「原発を止めるには日本を変えなければならない」というのは、確かにそのとおりで、日本を変えることは大切だと思うけれど、日本が変わらなければ原発が止まらないのでは困る。本当はもしかしたら逆で、「原発を止めることは、日本を変えること」「日本を変えるためにも原発をなくさなければならない」のではないか、という感じを強くしています。

大学闘争のスローガン、青年将校の主張となんとなく通底している、と感じるのはわたしの妄想だろうか。変えた先に何があるかはまったく問題に上がってこないところがそのまんま。小出裕章氏もそうなのだが、原発をなくすことが目的なので、無くなったあとどうなるかは真面目に検討されない。あたかも世界貿易センタービルに突っ込みさえすれば世界がよくなるかのような話にさえ見えてくる。

急進的な反原発派の多くも、かつての大日本帝国の臣民のすがたを鏡に映したように、論理的なものの考え方をすっ飛ばして「空気」のなかでふるまっている。鬼畜米英をとなえている。国民の敵、東京電力。撃ちてし止まん(Yahoo 知恵袋)。竹槍でB29を落とすのだ。数少ない技術系の人間をのぞいて、科学的論証や経済的な検討もない。観念的にまたは感性にもとづいて、一種の破壊としての反原発を主張する。という意味で、典型的な日本人の心性がそこにあらわれているような気がする。

残るのはイデオロギーだけだ

「脱原発が唯一の正しい選択だ」ということを科学技術の面から論証することはなかなかむずかしい。

技術論というものにオール・オア・ナッシングはない。原発を技術論で語るということは、安全か危険かのどちらか一方を選ぶことにはならない。マークシート方式で答えを出すものではない。言ってみれば、長くて面倒な文章で答えなければならない。技術論は今ある条件の中でどうやったらより安全になるかを語ること、問題をどうすれば解決できるか試行錯誤していくのが技術というものだ。危険だから全部やめた、という話にはならない。田中三彦氏は元々が技術屋だからそのことに気づいている。具体的な技術論になっていくと再生可能エネルギーは原子力に負けるかもしれない、と。(『日本を変えなければならない』より)

僕は、原発を技術論で葬り去るのは、非常に難しいことだと思います。同じく、再生可能エネルギーに移る議論をするのは結構ですが、エネルギー論だけ、あるいは技術論だけで話をしようとすると原発のほうがふさわしいということになるかもしれない。エネルギーの生産方法を、原発から自然エネルギーに変えるというだけなら、いつか問題がくすぶり返すと思います。

田中氏は「いつかくすぶり返す」と語っているが、再生可能エネルギーの問題は、将来のことではなく今すでに問題を起こしている。まだ再生エネルギー利用の規模が小さいので大問題になっていないだけのこと。経済的負担にしろ自然環境の破壊にしろ、再生可能エネルギーの規模拡大につれて深刻化するのは避けようもないだろう。

技術論としてだけでなく、経済的判断としても、原子力を全面否定するには無理がある。原子力をエネルギー源として使わないのは万人が認めるような法則ではないし、決まった経済的な合理性でもない。つまり”自然状態”の社会で、原子力発電をゼロにする流れが当たり前のこととして起きることはない。原子力利用の否定とは、経済的な原理原則に少なからず逆らうことを意味する。脱原発というのはイデオロギーか、でなければ宗教的な価値判断だと言っていいだろう。イデオロギーの力でもって、政治的に、社会が意図して原発廃止を選択しなければ、いつまでたっても原発ゼロ社会は起きない。ドイツのメルケル政権が「倫理委員会」の決定として脱原発を認めたのは、まさにそういうことだからだ。好むと好まざるにかかわらず、ドイツ人にとって原発は、技術論でもなく経済論でもなく、ただただイデオロギー論争になった。あの国にとって新たな不幸の始まりと言えるだろう。。

農本主義、失われた牧歌的社会

歴史に浮かんでは消える牧歌的共同体への夢

宗教学者の中沢新一は毎日新聞の脱原発意見広告にも名前が見える。原発事故後に出版された中沢新一著『日本の大転換』はわけの分からない、奇怪なことばが散りばめられている。さてどう評価しようかとしばし途方に暮れる本だ。太陽と緑を礼賛しているらしいことは感じる。「自然エネルギー」の文明に転換することを宣言しているようだ。まともに読むべき本ではないとだけ言っておこう。精神科の先生しか読み解けないのではないか。

彼は「グリーンアクティブ」という運動を提唱しはじめた。これに賛同する人がいるから世の中はなかなか奥が深い。いとうせいこう、宮台真司、加藤登紀子らが賛同しているそうだ。毎日新聞のインタビューに答えて中沢新一はこう言っている。(20012年3月15日・毎日新聞)

「3.11の後。僕らの意識の中で大きくなってきたのが、第一次産業を中心として自然とのつながりがものすごく深い東北という存在だった。日本人はこれからどう生きていくのかという時代に、東北の問題が浮上してきたのは象徴的なこと。だからこそ僕らの運動は、東北で農業・漁業・林業などに従事してきた人たちも含むネットワークを志向したいんです。」

その根底に横たわる自然観には、決定的な違いがあると(中沢新一さんは)言う。西洋の文明が自然を対峙し克服する対象ととらえてきたのに対し、日本の伝統の中には共生という思想がある。「私たちの民族は自然に深く根を下ろし、そこから人間関係を築き、経済活動を行い、社会をつくってきたわけでしょう。」

中沢の著書に『哲学の東北』(1995年・青土社刊)というのがあって、そこにこう書いてある。

私の父親は、三十歳をすぎてから、自分で選んで農業をはじめた人ですが、私が物心ついた頃には、自分のやっている仕事に情熱を失いかけているように見えました。もともとは航空機の速度計の設計技師だった人ですが、宮沢賢治やロシアの思想家クロポトキンなどの影響で、技術者の仕事をやめて、田舎にもどり、農民になって一生をすごそうと考えたのです。

父親はこの仕事に、たいへんなよろこびと誇りをいだいていました。父親はよく「人類の、たのしい仕事」という言葉を、つかっていました。この言葉は、イギリスの初期の社会主義者であるロバート・オーウェンという人が、農民たちをはげますために語った言葉です。オーウェンの考えでは、今は工業が発達して、農業は遅れた産業としてしだいに人気がなくなりつつあるように見えるけれど、じっさいには、農業はみずから生み出す能力をもった自然を相手にしておこなわれる仕事として、とても豊かな意味を持った、人類の仕事だというのです。

このあと中沢新一は、父親がなぜ情熱を失ったか、日本の農業がいかにダメなものになってしまったかを語る。そして、かつての日本の農本主義にも触れて農本主義のきまじめさを批判するのだが、けっきょく、モダンから脱却してポストモダンな農業で行け、みたいな抽象的な希望を語って話を結ぶのだ。

政治学者の丸山真男は、昭和の軍事クーデタ5.15事件の有力な思想的背景となった農本主義者・橘孝三郎の田園賛美をこう紹介している。

「頭にうららかな太陽を戴き、足大地を離れざる限り人の世は永遠であります。人間同志同胞として相抱き合ってる限り人の世は平和です・・・実に農本にして国は始めて永遠たり得るので、日本に取ってこの一大事は特に然らざるを得ないのであります。」(橘孝三郎・日本愛国革新本義)

農本主義研究者の綱沢満昭氏は、橘孝三郎の思想をこう解説した。(綱沢満昭著『日本の農本主義』より)

一切が金力で独占され、支配者の堕落は極端に達し、国民はいまや枯死しようとしている。この悲しむべき現状は資本主義西洋唯物文明に日本がとりつかれたためもたらされたものである。そもそも西洋の唯物文明というものは農耕をもとにして発達したものではなく、むしろ農村または農村国に寄生することによって発達、成熟していったものである。従って市民の考え方から、政治の仕方から、何から何まで農村を土台として成立している東洋の文明とは相容れないものなのである。

彼が一高を中退し帰農しようと決心する動機そのものも極めて精神的なものであった。「ロバート・オーエンの考え方、クロポトキンの『相互扶助論』の思想など、自分の利益も、人の利益も、精神的にも物質的にも融合一致した理想社会をどこかに作りたい」と。

人生問題の煩悶から一高中退、帰郷して農村生活に入る。大地主義、兄弟主義、勤労主義が彼の行動の基本原則になる。トルストイの影響であろう。

も一度、丸山真男の解説と批判。

橘の主張する理想社会は、「王道的国民協同自治組織」で、どこまでも地方分権を基礎とした共同体国民組織というものによって産業をコントロールしようというもので、いわば北一輝型と権藤成卿型との折衷であるということができます。この点がファシズムの主張を甚だしく非論理的な、と同時に、空想的なものにしておるのであります。

かつては農業人口が日本国民の半分以上を占めていた。だから、農が国の基本とかいう考えにはそれなりの重みがあった。しかし現代、農業人口は全人口のわずか5%。農が国の本であるはずもない。そして、グリーンアクティブをかかげる中沢新一らは、「人類の、たのしい仕事」という観念的な思いこみで農林漁業への連帯を夢想しているのだ。

日本の農業人口推移グラフ

昔の社会主義者にしろユートピア主義者にしろ農本主義者にしろ、みな、農民その人ではなかった。農業を生業にする人ではなかった。貴族であり知識人であり作家だった。そしていつも夢見る人だった。

中沢新一は街場の技術屋でも職人でもましてや農民でもない。父親の農業転身と失望体験。中沢本人は農業をつがないでなぜ東京大学に進学したのか。なぜ宗教学者になったのか。チベット密教の修行を体験、その内容を克明につづった『虹の階梯』を世に出した。それを売り物に出発した中沢。彼はかたぎの職に就くこともなく、なぜ文筆業に逃げたのか。その中沢はけっきょく今も浮遊しつづけている。麻原彰晃のように空中浮揚しているかも知れない。浮遊することでしか彼は生きていけないのだろう。根無し草、楽園から追放された男。それは一種の自分探しの終わらない旅。宗教学者とはそういうものなのかもしれない。

なぜか知らないが、反原発の人たちのなかに宮沢賢治の信奉者が少なくないように思う。中沢新一もそうだ。わたしは宮沢賢治について、文学的に永遠の天才だと思う。しかし、その他の面で宮沢賢治をまったく評価する気がおきない。農家で彼を評価する人っているのだろうか? おそらくほとんどいないと思う。賢治はそもそも農家育ちではないし農業で暮らしていこうと考えていた人間でもない。当たり前のことだが、文学の世界で素晴らしいことであっても、それを現実世界で実現できると思ったら悲劇か喜劇になるだろう。悲劇になることの方が多いにちがいない。

つぎの章はそこら辺りの話から始めよう。



 

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