脱原発神話 第6章 ユートピア / 科学から空想へ(1) ・・・竹槍でB29を落とせ [2012/3/28]

補足的な前置き

東京電力柏崎刈羽原子力発電所の6号機が定期点検で停止した。のこる北海道電力泊3号機が5月に止まれば日本の原発がすべて止まる。他の定期検査が終わった原子力発電所の再稼働をめぐる動きがめちゃくちゃ騒がしくなるだろう。

事故発生から一年をすぎても、日本人の頭の中が「冷温停止」したとは思えない。わたしは、こういう精神状態で将来のことを決めることなんかできるわけがないと思う。政府エネルギー環境会議の議論をみてもあんぐりとするような、水と油の無政府状態だ。原発ゼロ派と原発必要派のあいだには深くて暗い谷間がある。ある意味でこれは内戦状態だとさえ思う。現代の戊辰戦争。
総合エネルギー調査会基本問題委員会

技術的判断でもって再稼働を決めるのがスジなのはまちがいないが、現状、技術論で国民的合意ができるとはとても考えられない。技術論をアタマから信用しない人たちが少なくないからだ。絶対安全を求めるのが「正義」になってしまったので、「まあ総合的に考えて大丈夫」、と言うことは許してもらえなくなっている。まして停電が心配だから再起動すべきとか言い出せば、なおさら救いようのない泥仕合になるだろう。

これから1年くらい、意図的であれ結果的にであれ、壮大な実験がつづくだろうと思う。それしかないような気がする。原発ゼロの実験だ。大停電といった直接の影響は考えないでおこう。おそらく、それで明らかなかたちで不幸になる人が必ず出てくるだろう。ゴメンなさいと謝るしかない。安心安全のためなら仕方ない。明らかなかたちでなく、じわじわと進む事態もあるだろう。電力会社の経営悪化、エネルギー多消費産業の困難と海外転出の加速、化石燃料需要の増大と貿易収支のさらなる悪化、雇用情勢への悪影響、震災復興への悪影響・・。1年くらいたてば、その方向がうっすらとでも見えてくるのではないか。その時点で、何を選ぶべきかを改めて考えたらいいのではないか。手遅れになる恐れもなくはないが。

財務省貿易統計・日本の輸出入(単位1000円)
2009年のリーマンショックは特別としても、日本が輸出で国富を貯える時代は劇的に終った。2011年ついに赤字になってしまったが、赤字は原発完全停止でさらに増えることになる。なお、1974年あたり、1979年あたりに輸入が輸出を上回ったことがあるが、これはもちろん第一次、第二次オイルショック。



人はユートピアを夢見る動物だ。まるでホモサピエンスの遺伝子にそれが組み込まれているかのように。ここではないどこか、今ではないいつか、そこにユートピアがある。エデンの園であったり原始共産制社会であったり千年王国であったりした。かつてはるか昔、人類はそこで穢れも知らずに平和に暮らしていた。清浄な世界とそこから転落し罪をかかえて堕落した現実世界という対立した構図がそこにある。言うまでもなくこういうユートピアは多分にユダヤ・キリスト教的。アジア人はちょっと違った世界観や宇宙観をもっている。しかし西洋化のいちじるしい日本人の多くは、もともとのアジア的風土から遊離、離反してしまった。

そこまできょくたんな夢想でなくても、あの日に帰りたい(ユーミン)とか、イエスタデー・ワンス・モア(カーペンターズ)といった気分、もう欲望ばかり追い求めるのは止めてゆったりと暮らしたいとか。モノよりも心だよね、とか。今のままでもう十分じゃないかとか。そういう気分は誰にでも浮かんでくるときがあるだろう。つまり変化しつづけていくことへの恐れや不安がこういうユートピアへ人を誘うのだ。現実をあまり見たくないとき、日常の細々した煩わしさから逃げたいとき、安らかな世界を夢見たくなる。恐れや不安なくしてユートピアが現れることはない。ユートピアは心の問題なのだ。

竹ヤリと大和魂でB29に立ち向かった人々

日本人は論理よりも情緒や空気に流れるのが好きな国民性を持っているとよく言われる。日本人論はいろんな人が書いてきたので今さらの感があるけれど、やはり原子力について考えるばあいもこのことに触れないわけにいかない。

科学技術や経済力よりも精神的なことの方がより重要だ、という。和魂洋才という言葉もあった。それは一見もっともらしいが、どちらが上だとか下だとか言える話ではない。二者択一する話ではない。そもそもカネやモノより心や精神力が大切だとする考えを煎じ詰めれば、すべての現実を捨て去って、出家して乞食坊主の人生を選ぶほかはなくなるだろう。それを求めるものはそれでも良いが、たいていの一般的な俗物としての人間はそれでは耐えられない。

20世紀の半ば、わたしたちの国は多くの犠牲を払って戦争に敗けた。大和魂を誇ったはずの勇猛果敢な大日本帝国の陸海軍が、太平洋の向こうの野蛮な鬼畜の国アメリカ合衆国にたたきのめされたとき、日本人はどういうことを学んだのだったか。何を思い知らされたのか。なぜ無謀な負け戦に突っ込んでしまったのか。

「第二次大戦後の日本人」という副題がつく、ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』はピュリッツァー賞受賞、大佛次郎論壇賞受賞の労作だが、アメリカの原爆投下と日本人の反応についてこう書いている。

しかし、核兵器の恐るべき力は、恐怖であると同時に魅惑的でもあった。アメリカの科学的、技術的、組織的優位性をこれほど具体的に示すものはなかったからである。

八月十五日に辞職した鈴木貫太郎首相は、同じ日の夕刻のラジオ放送で、「今回戦争における最大欠陥であった科学技術」について語った。

八月二十日の「科学立国へ」と見出しを掲げた記事で『朝日新聞』は、「われらは敵の科学に敗れた。この事実は広島市に投下された一個の原子爆弾によって証明される」と断じ、「科学」とは、組織の各部、社会のあらゆるレベルにおける「理性」と「合理性」を含めた、きわめて広い意味で理解しなければならない、とわざわざ指摘した。

数日後、同じ『朝日新聞』が、「非合理性と非科学性」が「政治、経済、社会を通じてみられた」こと、それが敗戦を決定的にしたことを、あらめて強調した。・・・・・・ 前田文部大臣は、「青年学徒」に向けたラジオ放送で、「科学的思考力を養」うことが「文化日本の建設」のカギである、と演説した。

こうして敗戦の焦土のなかから日本は再出発した。科学技術力を高め、経済力を蓄えようと。誤解のないよう付け加えておくが、科学技術力さえあれば日本は第二次世界大戦で勝利国になれた、などと言いたいわけでない。そもそも合理的精神、科学的思考がじゅうぶんに育っている社会、国家であれば、冷静に判断して負けると分かっている戦争を始めることもなかっただろうということだ。

そして、わたしたちの国に、こころ優しい科学の子・鉄腕アトムは生まれた。

科学技術への不信、貨幣への嫌悪

日本が科学と経済力で大敗北して66年。ここでまた、科学技術を罪悪視して、情緒や感性、倫理などを最優先しようという動きがつよまってきた。経済成長よりいのちが大切というかけ声さえ飛び交っている。「足るを知れ」とも。この1年あまり、福島の事故で非自然科学系の人たちの大声ばかりが耳に付くようになった。ほとんど情念のおもむくままに。

いま歴史はくり返そうとしているのだろうか。

津波で犠牲になったおよそ2万人ものいのち喪失よりも、放射線の死傷者ゼロである原子力発電所事故のほうがより重大な事件として今もあつかわれる。ちょっと待ってよ、なにか錯覚しているんじゃないの、と思う。原発事故は東日本大震災という巨大災害の枠のなかで起きた事故だ。しかし、あたかもそれとこれが別々の事柄であるかのように語られる不思議。しかも文化人、知識人は津波を語るよりも、好んで原子力だけを語った。原子力の悪を語った。それを語ることが彼らにはさぞかし心地よく、カタルシスを得られる行動なのだろう。。

内山節著『文明の災禍』はまるで現代文明を憎むかのような文章が走っている。自然の災禍はうけいれられるが、文明の災禍は許されないと。自然放射線は安全だが人工放射線は危険、というおろかな話を思い出させる。人類が見慣れてきた自然界の毒物より人工的につくられた化学合成物質のほうが危険だ、というばかげた話にもよく似ている。著者の思考が放射能でパニックを起こしている。それが文章の端々からつたわってくる。残念ながらこれはすくなからず被害妄想と誇大妄想の書物になってしまった。たしかに内山氏にとっての大きな「災禍」だったのだろう。

ひとつおかしかったのは、内山氏がパソコンを自作して楽しんでいる IT 大好き人間だということを告白?していることだった。その著者が非難する「文明の災禍」や「システムの崩壊」というのも奇妙なものではある。インターネットをふくむコンピュータ・システムの世界に依存していながら、現代文明を批判するとは・・・。たとえば自動車事故はクルマ文明の災禍にほかならない。この「文明の災禍」でいったいどれだけの人間が死傷してきたのだろう。他方で、過去どれだけの人間が伝染病という「自然の災禍」で死んでいったのだろう。どちらの災禍がよくてどちらの災禍は受け入れられないなどと呑気なことを言えるものであろうか。

わたしは以前、内山氏の『貨幣の思想史』(新潮選書)を読んだことがあるので、貨幣の虚構性、貨幣と実体との関係性がうしなわれていることを嘆いた内山氏の感性は理解できるつもりだ。そして氏のなかで貨幣経済の虚しさが現代文明全体の虚しさに通じていく心理もわかる。その意味で知識人としての内山氏が典型的なユートピアンであることも。

しかし、この現代文明への敵視のような感情はほんとうに望まれるべきものなのだろうか。 今回の事故によって原子力発電所周辺の広い地域が放射性物質に汚染された。そのことをとらえて、内山氏はあたかも福島原発の周辺地域はもう終わった土地、未来を失った土地であるかのように書いた。救いようのない福島として。これほど早々と、第三者でしかない人間が、そんなふうに決めつけてしまって良いものなのだろうか。わたしには以下の文章は避難地域の住民に対する侮辱としか読めない。力は小さくても、どうしたらいいか考え続けているひとり一人の住民、それに協力しようとする技術者、医療関係者そのほかのすべてに対する侮辱としか。

だが原発事故は、創造なき破壊を成立させてしまった。これから、おそらくは何十年かの間、前章で私が述べた言い方をすれば期限が決められないのだからその意味で永遠に、原発周辺の地域ではいかなる創造も生まれない。時間もふくめて、破壊されただけである。

内山氏の論理の組み立てからすれば、原発周辺の町や村は永遠に死んだままでなければならない。もしまちがって創造や復活があっては反原発の論理がこわれてしまうのだ。

放射性物質とは性質がちがうが共通する点も多いのが農薬だ。農薬が環境、生態系へ与える影響についても「文明の災禍」として批判されることがときどきある。我が家は果樹農家だから農薬とは縁が深い。もっとも有名で世界に影響を及ぼしたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』。1960年代に化学合成農薬の恐怖を告発した。それは名指しされた有機塩素系殺虫剤 DDT、ディルドリンなどの禁止措置が世界各国でとられる大きな影響力を発揮したのだった。

ところが、その悪魔のような DDT は21世紀になってアフリカで復活した。世界保健機関(WHO)のお墨付きでマラリア対策のために使うことが認められるようになった。そのいきさつや意味については、松永和紀さんの『メディア・バイアス』(光文社新書)を読んでほしい。かんたんに言うと、DDTがもたらす環境汚染の危険リスクと、毎年100万人を超えるマラリア犠牲者の防止という利益とを、はかりにかけた結果だった。

DDT はともかくとして、その『沈黙の春』のイメージは今回、福島のイメージとして連想させ語ろうとする人たちを生んだ。あるいはチェルノブイリ周辺の死の村のイメージ。さらには今後百年は草一本生えないと言われた被爆直後の広島も思い出す。たしかに広島や長崎では多くの人命が失われ、街は消滅した。しかし、それでもすべてが、未来の時間までが失われることはなかった。人は弱い生き物だが、同時にまったく強い生き物でもあるのだ。

「足るを知る」ということ

『文明の災禍』の内容とほぼ同じ趣旨のことをもっとわかりやすい表現で語ったのが国際的な俳優の渡辺謙さんだった。たぶんかなり多くの日本人の、原発事故についてのすなおな感想を代表しているものだろう。ダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)での特別スピーチ(東京新聞2012年1月26日付より)。ダボス会議とはまさに世界の豊かな人たちの代表が集う場と言ってもいいだろう。

私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けてきた日本が、国を開いたころの話です。そのころの日本は貧しかった。(中略)しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、子供たちは楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。(中略)

私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。(中略)

国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。

渡辺さんが「度を超えた成長」と言うとき、日本がこの20数年にわたって低成長にあることを彼ははたして理解していたのか。その間、氷河期といわれる若者の就職難がくり返され、げんじつに解消されないまま今に至っている。国の財政もまた、足るを知れば解決できるような精神論のレベルでないことは日々のニュースが伝えるとおりだ。

福島の事故を教訓にして、スイス山中のダボスへの長い道程、渡辺さんはユーラシア大陸を歩いて行ったのだろうか、あるいはハンニバルに習いゾウに乗ってアルプス山脈を越えたのだろうか。海を渡るときは船乗りシンドバッドのように、帆かけ船つまり再生可能エネルギーに運ばれて行ったのだろうか。足るを知るということは彼にとってジェット燃料を消費しながら世界を駆けめぐることなのか。彼にとってどういうエネルギー消費状態を「足りている」と言うのだろうか。

かつてインドを放浪するのが若者に流行したことがあった。最近ではブータンの「幸福」がもてはやされたりもする。さて、日本も貧しいけれど幸せな江戸時代に戻ればいいのか。

民俗学者の宮本常一は『イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読む』でつぎのように書いている。

イザベラ・バードが米沢盆地を歩いていて、ここが全くの天国であると書いているのですが(中略)、その前に米沢を訪れたダラスが、「地上の楽園のごとく、人々は自由な生活を楽しみ東洋の平和郷というべきだ」と書いた記事を参考にしているのだろうと思います。それでは、そこに本当に平和があったのかというと、やはり、「明治十年までは毎年の農民一揆の数が平均四十件もあり・・・・」と書いてあり・・・

坂本龍一と丸山真男の幸運な出会い

『私たちは、原発を止めるには日本を変えなければならないと思っています』(ロッキング・オン刊)

著者一覧(インタビュー集)
  • ミュージシャン:坂本龍一
  • 評論家、作家、大学教授:高橋源一郎
  • 哲学者、大学名誉教授、武道家:内田樹
  • 政治家:江田憲司、保坂展人
  • 元官僚:古賀茂明
  • 弁護士:和田光弘
  • ジャーナリスト:上杉隆
  • ジャーナリスト、大学教授:丸山重威
  • 政治学者、大学教授:藤原帰一
  • 大学院学生:開沼博
  • 大学助教、原子力科学者:小出裕章
  • 環境エネルギー政策研究所所長(元原子力技術者):飯田哲也
  • 翻訳家、サイエンスライター(元原子炉設計者):田中三彦

坂本龍一は「ストップ・六カ所」でも有名な音楽家だ。使用済み核燃料の再処理について、わたしは昔から否定的だ。その意味では坂本さんと同じなのだけれど、考え方はまったくちがう。その件にはここでは立ち入らない。(どうでもいいけど、ストップ・六カ所のウェブサイトは Microsoft のブラウザ IE じゃないと画面が乱れる。ビル・ゲイツのコンピュータ支配には鈍感な坂本君だね。) 

冒頭のインタビューで坂本龍一は丸山真男を持ち出してくる。おお! 坂本君、おまえもかという感じだ(笑)。坂本と丸山。この出会い。原子力を推進する側を批判するツールとして丸山の観点を使おうとする気持はとてもよく分かる。わたし自身、かつて『原子力王国の黄昏』を書いたとき、核燃料サイクル批判に丸山の文章を引用したことがあったから。(丸山真男『現代政治の思想と行動』より)

大東亜共栄圏を確立し八紘一宇の新秩序を建設して、皇道を世界に宣布することは疑いもなく被告らの共通の願望であった。彼らのうち最も狂熱的な者でもいよいよ風車に近づくとそのあまりの巨大さとわが槍とをひきくらべて思わず立ちすくんだ。しかも彼らはみな、何者か見えざる力に駆り立てられ、失敗の恐ろしさにわななきながら目をつぶって突き進んだのである。

原発批判でなぜ丸山が引き合いに出されてくるのか。それは、日本の指導者層をたたくのに便利な丸山真男の視点が、とても重宝するからだ。昔も今も。去年の原発事故のあとも、原子力について国民はだまされていた、という抗議の声があちこちから上がった。何とかというアーチストもいた。原子力を進めてきた政府、電力会社の幹部、御用学者はみな無責任なウソつきだと。ここでも歴史はくり返すというわけだろうか。

丸山に原子力批判そのものの論考はないと思うが、以下の一文はずばり反原発派が泣いて喜ぶ文章だろう。『戦中と戦後の間』(みすず書房刊)より「ファシズムの現代的状況」(1953年)。ちなみに関係ない話だが、丸山真男は広島の宇品で原爆を体験している。

近代生活の専門的分化と機械化は人間をますます精神的に片輪にし、それだけ政治社会問題における無関心ないし無批判性が増大します。簡単にその重要な契機を例示しますと、まず技術的専門家に特有なニヒリズムが挙げられます。凡そ特殊分野のエキスパートに通有の心理として、自分の技術なり仕事なりを使ってくれさえすれば、それを使う政治的社会的な主体が何かというようなことについては、全く無関心で、いわば仕事のために仕事をする。毎日仕事に忙殺されるということそれ自体に生きる張りを感じる。これは単に自然科学の技術者に限らず、官庁とか大会社のような厖大な機構のなかで一つのデスクを受け持っている事務のエキスパートにも屡々見られる精神的傾向で、これが結果的にはいかなる悪しき社会的役割にも技術を役立て、いかなる反動的権力にも奉仕するということになりやすい。これをテクノロジカル・ニヒリズムとでも呼ぶことができるでしょう。

丸山は日本のとくに昭和前期の支配的階層の人々への批判的分析を得意とする、まさに「政治」学の人だ。その鋭さ切れ味にわたしも若いころは魅了されたものだ。しかし、どちらかといえば一般の民衆レベル、つまり「支配される側」についての分析はほとんどと言って見あたらない。丸山に限らず日本のリベラルな知識人というのは、民衆批判、大衆批判をしないお約束があるらしい。無辜の労働者階級をたたいてはいけない。日本のファシズムを分析する際も、丸山真男はそのリベラル知識人としての枠組みから飛び出ることはしなかった。「一億総ざんげ」論への批判にも、その民衆批判は絶対にしない彼の性向があらわれてくる。

しかし、丸山真男がそうだとは言わないが、わたしたちの国の一般国民は軍部と支配階層にだまされていた被害者だ、というのは、やはりバランスのとれた態度とは言えない。ファシズムについて丸山真男の分析はその構造の上半分いわゆる支配者側しかほとんど視野に入れない。そこがリベラル丸山の限界だと言っておこう。ファシズムについて考えるなら、やはりハナ・アーレントをはじめとするナチズムやスターリニズムの研究者の力を借りるのがいちばんだ。あるいはエーリヒ・フロムとかでもいいかもしれない。一般大衆のことを徹底的に分析批判の対象にする。そこが左翼思想に片足をからまれて大衆批判ができない丸山とは決定的にちがう。(最近の大阪維新の会をめぐる橋下批判にも、リベラル知識人や社会主義者のこの限界がもろに出ているね。もちろんわたしは橋下支持というわけではないけど。)

「御用」「エア御用」というレッテル貼り

ところで丸山はこうも書いている。(『現代政治の思想と行動』より)

いいかえれば現実とはこの国では端的に既成事実と等置されます。現実的たれということは、既成事実に屈伏せよということにほかなりません。

その時々の支配権力が選択する方向がすぐれて、「現実的」と考えられ、これに対する反対派の選択する方向は容易に「観念的」「非現実的」というレッテルを貼られがちだということです。

現実よりも理念のほうが大事か、という単純な、しかしやっかいな疑問にふたたびぶつかる。例えば過去のいわゆる革命思想はすべて現実否定から始まった。現実を破壊した。そしてしばしば理念の方に現実を合わせようとしてとんでもないことが行われることも起こった。理念とはイデオロギーのこと。歴史にはその悲惨がころがっている。それだけ理念というのは危なっかしい代物なのだ。理念は暴走しやすい。そのことを「現実主義者」ではない丸山真男は見つめなかった。

科学技術というのは即物的な学問だ。産業社会もそのとおり。即物的というのを平らにいえば俗物的。そういう俗物性からいちばん遠いところで生きている知識人。丸山真男のような非自然科学系の知識人をとらえて離さない、この理念の呪縛。そいつは、21世紀の今も、エネルギー問題、原子力問題という現実的なあまりに現実的なことがらのなかに持ち込まれていく。現実主義を否定せよ、既成事実にノーと言え、と。

原子力発電所事故以降、反原発派の一部から「御用学者」とか「エア御用」とかレッテルを貼られた現実主義者が多くいた。原子力関連の科学者はもちろん、経済学者や医療関係者など、客観的、現実的にものごとを発言する人にたいしても「原発推進側」と決めつけた。上の引用の中にある丸山真男が言ったレッテル貼りは支配者層が反対派に対して貼るレッテルだったが、こっちは逆に反対派が支配者寄りとみなす人に貼るレッテルだ。こうして御用のレッテルを貼られた現実主義者は、丸山真男ふうにいえば、革命に対する「反動」勢力、「反革命」勢力と呼ばねばならないだろう。原子力という既成事実に屈服した者として引きずり出して非難されるべきなのだろう。かつて華々しく展開した中国の文化大革命。あのころの紅衛兵を思い出す。走資派ということばもあったな。

丸山真男は戦前の日本型ファシズムの特性をドイツやイタリアとくらべてこうも言っている。

なぜ日本において国民の下からのファシズム---民間から起こったファシズム運動がヘゲモニーをとらなかったのか。なぜファシズム革命がなかったのかということはなかなか重大な問題であります。ファシズムの進行過程における「下から」の要素の強さはその国における民主主義の強さによって規定される、いいかえるならば、民主主義革命を経ていないところでは、典型的なファシズム運動の下からの成長もまたありえない。

いまの日本は戦前までとちがって、曲がりなりにも民主主義社会だということを否定する人はいないだろう。丸山流に言えば、下からのファシズムが起こっても不思議はない。科学的議論、合理的な議論のなかからものごとを現実的に処理していこうとする人たちを、「御用」という名で封じ込めてしまおうとする動き。それから、全国各地でおきる震災瓦礫の受け入れ反対運動。説明会に押しかけて騒ぐ反対派市民。あれは日教組大会をつぶしに行く右翼の街宣車とそっくりだ。大声を上げてつぶしにかかる。なにか、今の日本社会の「民主主義」の異常さがここに現れているように思う。どこか狂っている感じ。その狂っている感じがごく普通のことのようにこの国に広がっている。

こういう非合理主義のような日本社会の「空気」のなかに、反原発・脱原発運動が叫ぶイデオロギーとしての空虚さもまたただよっているのではないか。ユートピアという名の悪い夢が・・・。



原子力をめぐるファシズムについては、さらにつづきます。3月中には何とかアップできるように、無いアタマを絞って考察、妄想中。中沢新一ほかを取り上げるつもり。(3月28日)



 

▲ INDEX