脱原発神話 第1章 ・・・ アキレスと亀のパラドクス [2011/7/26]

3月11日に始まった東京電力福島第一原子力発電所の事故。以来、今回の大事故で原子力は安全性だけでなく経済性の意味でもダメだ、というムードが広がった。ほんとうにそうなのだろうか。これまで経済社会の中で原子力はどういう意味を持ってきたのか。これからのエネルギー計画という大きな枠組みのなかでよく考えてみなくてはならない。

1973年の第1次オイルショック、1979年の第2次オイルショックのあと、雨後の竹の子のようにして、あれもありますこれも有望ですという新エネルギー技術がぞろぞろと名乗りを上げた。そして石油代替エネルギー開発の錦の御旗でいろんなところに補助金がばらまかれることになった。そのなかには太陽光発電も風力発電も地熱発電も潮力発電もあった。おそらく、今の50歳前後よりも若い方々はそんな新エネルギー開発の過去のこともオイルショックという日本を揺るがす大事件のこともご存じないだろう。

電気の分野に「食管法」が再来する

まったく民主党らしいと言えばらしい。一晩でがらっと言うことを変えてしまえる大胆さを持った人が多いのもこの政党ならではだ。休耕田は、もうコメは作らなくても良いから、今度は太陽光発電で電気を作れ、というソフトバンク孫正義社長の話に飛びついた国会議員が何人もいた。休耕田をもっている農家や元農家を助けて農村を活性化して、同時に「脱原発」もできる。そして、作った電気は高く電力会社に買い取ってもらう再生可能エネルギー買い取り法案を早く成立させよう。という話になっていく。田んぼに育てるのはコメの代わりに電気だ。食糧自給の大義名分に代わって自然エネルギー推進という大義名分が登場した。高く買ってやるからどんどん作れ・・・

なにか、デジャブのような感覚、めまいを覚えてしまう。これは、コメの食糧管理制度の歴史を電気の分野でも再現させるような話ではないか。。Wikipedia:食糧管理制度

かつて食管法がコメの生産を支えていた。戦中戦後の食糧不足の時代以来、決まった価格で政府が全量買い上げてくれたからコメを増産してきた農家。やがて消費の減少も相まってコメは供給過剰に。政府は減反政策でごまかそうとしたがそれでも追いつかず、政府買い取り価格と売り渡し価格のあいだの逆ざや・赤字も厖大な金額にふくれあがることになった。そしてついに食管制度は崩壊。経済的にペイしなくなった農家はコメ作りをしなくなったのだった。それが休耕田、耕作放棄地の急激な増加につながった。

その同じ場所を使って、今度は太陽電池パネルを敷き詰めて電気を作ろうというわけだ。しかし、経済的に成り立たないから衰退する、というこの宿命は太陽光発電になってもひとつも変わらない。休耕田はあちこち分散している。面積も小さい。地形条件もさまざま。経済的な効率からはいちばん遠い世界だ。太陽光発電や農業のような土地依存型の産業に共通する、最悪の条件。そこではコメを作ろうが電気を作ろうが同様の不採算性に行き着くだろう。しかも、コメなら多少高くても買う人はいるが、太陽光発電の電気は異常に高いから本来なら誰も買わない。

その不採算部分は誰が負担するのか?

現在、個人のソーラーハウスで太陽光発電した余剰電力は42円/kwh で電力会社に買い取ってもらえる。発電コストとしてはベラボーに高い電源。その電気を押し売りされているわけだから、量はわずかとはいえ電力会社もかわいそうなものだ。それが、こんどは太陽光発電事業者ができて、そこが高い電力を大量に押し売りしてくる。そういう道を開いてやるのが再生可能エネルギー特別措置法案ということになる。なんという悪法だろう。

電力会社に負担させるということは、電気の利用者に負担させることだから、けっきょく一般家庭はもちろん電力消費型産業もすべてこれを負担することになる。そして、このカネがどこに行くのかといえば、太陽光発電事業者、ソフトバンクというストーリーになる。つまりは、個人でソーラーハウスに住んでいる人も、太陽光発電事業会社も、どっちも自分の不採算部分を電力会社が肩代わりしてくれる。電力会社は電気料金にそのコストを載せるしかないから、結局は一般企業とソーラーを持たない貧乏な一般人がそういう太陽族にカネを貢ぐことになる。こんな仕組み、おかしいんじゃない?

そして何十年か経った日本、休耕田のかわりに休耕電池が全国各地に残骸のように残される。国が介入して資金を大量に投入した結果、それでも自立した採算性を獲得することもできず・・・。不毛の土地と大量のシリコン廃棄物。耕作放棄地ならぬ光電放棄地。自由な経済システムを無視した、こんな社会主義計画経済がろくな結末を見ないのは、はじめから分かっているのではないか。

参考:宮田秀明の「経営の設計学」
>> 〜再生エネルギー特別措置法案には修正が必要〜http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20110720/221566/?P=3&rt=nocnt

逃げ水

「化石燃料はいずれどんどん高くなっていく、太陽光発電は技術革新でどんどん安くなっていく」
こういうことを真面目に言う人は少なくない。だから再生可能エネルギーはやがて競争力を持つようになるのだ、と。最近、人気の高い飯田哲也氏・環境エネルギー政策研究所もそう主張している。しかし、この話は30年も前からそう言われ続けてきた。もうすぐそうなるのだ、と。

経産省サンライズ計画 と言うより、これはサンシャイン「逃げ水計画」に名前を変えた方が似合っている。

[ 朝日新聞2011年5月24日 ]

経済産業省は、太陽光発電を2030年に現在の15倍に増やすことなどを盛り込んだ「サンライズ計画」構想をまとめた。菅政権は東京電力福島第一原発の事故を受けエネルギー政策の見直しを表明しており、議論のたたき台にする。

構想では、太陽光発電について太陽電池の技術開発や市場拡大で、「30年時点の発電コストを現在の約6分の1に減らし、火力発電並みにする」と掲げた。さらに、太陽電池を設置できるすべての屋根に付けることで、09年末で262万7千キロワットの設備容量を「30年に現状の15倍にする」としている。

1985年に当時の通産省工業技術院・サンシャイン計画推進本部が出した『新エネルギー開発ビジョン』にはつぎのようにある。

太陽光発電システムの経済性および普及の展望

太陽光発電システムの発電コストは、システムの構成によって差異はあるが、おおむねサンシャイン計画発足当時(1974年)の約2000円/kwh から、技術開発の進展により現在では200〜250円/kwh のレベルまで低下してきている。(中略)発電コストは昭和60年代中頃(1990年前後)には100〜150円/kwh 、さらに昭和70年代(2000年前後)には既存エネルギー源と競合できるレベル(20〜50円/kwh )にまで低下するものと期待される。

30年前も20年後には太陽光発電コストは既存電源並になると予測し、それをすっかり忘れたことにして、今また、20年先には火力と同じになる、だと。どこまで行っても逃げていく・・・。もうすぐ、もうすぐ、と言ってみんなカネを投資するがいつまで経っても実現しないという詐欺のような話。アキレスと亀じゃあるまいし、もうとっくに太陽光発電は火力発電を追い越していなくてはならないはずなのだ。

参考:>> 発電方式別の発電コストの比較http://www.iae.or.jp/energyinfo/energydata/data1012.html
原子力については設備利用率を高めに設定して安く見積もりすぎているきらいはあるが、それでも化石燃料系の発電コストと太陽光発電とは雲泥の差が歴然としてある。

この手の話は太陽光発電だけではなく、原子力でいえば高速増殖炉がその典型的な詐欺話だった。それから核融合発電などは詐欺にも値しないホラ話だった。それでも人は簡単にだまされて大金を払い続けてくれるのだから、世話はない。福島での事故後、日本中がヒステリー状態におちいってしまった。「脱原発」という浮ついたキャッチフレーズが大々的に叫ばれるようになった。過去の歴史をまるで検証しない、日本ならではの軽薄さと言っていいだろう。

何十年かけても市場経済に乗ってこない太陽光発電ほかの「再生可能エネルギー」。太陽光は原子力発電にくらべてはるかに単純なシステムなのにまったく経済性の壁を乗り越えられないでいる。お粗末。だいたい、電化製品というものをアタマに思い浮かべれば分かるが、一般家庭が使っている程度の製品で発明から普及までに何十年もかかったような無様な製品はない。少なくとも政府が多額の補助をつぎ込んでも独り立ちできないような過保護な電化製品はない。

再生可能エネルギーはコストが高いだけでなく環境負荷も巨大だ。それも事故が起きたときに環境に影響するのではなくて、平常に運転しているときに影響を回りに与える。エネルギー生産効率が低いので広大な自然を消費する。日本のエネルギー消費を劇的に減らさない限り、再生可能エネルギー増大は確実に自然破壊と同義語になるほかない。太陽電池パネルで広大な地表を覆えば、その一帯は当然不毛の土地になるのはもちろん、その上に降り注ぐ大量の雨や雪がどうなるかもよく考える必要があるだろう。

それに比べて原子力発電はすごい。と改めて思う。わたしはここで原子力発電を礼賛するつもりはないが、原子力発電の威力というものが現実にすごい役割を果たしてきた、大量の電気を生み出してきた、そのことだけは絶対に認めなければならない。日本で商業原発が稼働開始した1966年から2011年までに原子力で発電した総電力量はおよそ7兆6000億KWH に上る。これは1990年に火力や水力をふくむ全電力会社の年間総発電量がおよそ7600億KWH だったから、そのおよそ10倍に相当する量だ。同じく2000年の8倍に相当する。

この巨大で高度なシステムを戦後20年ほどで市場化して送り出してきたアメリカという国家と産業力もすごかった。基本的にはそのころのシステムが今でもベースになっているのだから、システムの完成度の高さが知れるというものだ。もちろん安全上の多くの改良が必要だったことは確かとしても・・。



 

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