脱原発神話 第12章 ・・・"自主避難"をあえて批判する [2012/9/15]

[追加補足的な感想](2014年1月)
この章は1年半前に書いた。しかし事故発生から丸3年にもなろうとしている今、なお「自主避難」という奇妙な存在が、この国から消えないでいるらしい。そのせいか、このページもアクセスが絶えない。一度ばらまかれた危険デマが世の中から消え去るには時間がかかるということ。どこまでも罪深い。最大の避難者をかかえる米沢市避難者支援センターに去年9月に聞いた話では、2011年11月が最大時3600人で、去年2013年9月時点でほぼ半減、1ヶ月に100人のペースで減っているということだった。ただし皆が福島へ帰っているわけでなく、東京へ移る人が少なくないらしい。避難者の多い山形も新潟も減っているのに東京だけが増えつづけているというのだ。つまり、帰還ではなくあいかわらず逃げているということになる。


わたしの住む町は大震災以来、福島ナンバーの車が目立って増えた。言うまでもなく原発事故の影響だ。その多くが"自主避難者"と呼ばれる人たちと関係している。

福島と言えば、北海道を除けば日本で2番目に面積の広い県だ。同じ福島県でもいろんな地域がある。十把一絡げに「福島」とか「福島県民」とか言ってしまうことは良くない。ところがどうも現実に起きているのは逆だ。運悪く発電所の名前に県名をつけてしまったために、原発事故以来、福島は十把一絡げに扱われるようになってしまった。まったく困ったものだ。原子力発電所にそういう名前の付け方をしたのは、ほかに中国電力島根原発がある。わたしの生まれ故郷だ。もっと小さい地区名の原発名にしておけば、福島のすべてが原発事故の代名詞にされることもなかっただろう。と、言ってもしょうがないことだけどね。

で、わたしは、福島県民が全部が全部「被害者」であって、全部が全部「被曝者」であって、全部が全部「善良なる市民」であって、全部が全部同情すべきであって・・・というようなバカげた見方をする気はまったくない。むしろ大多数の人は原発の事故の直接影響を受けていない。大多数の人はふつうに暮らしつづけている。福島県民をみんな悲劇の被災者だなどと呼ぶのは、悲劇にして騒いで喜びたい外野席のヒマ人だけだろう。

そういう考えからして、福島県民のうち「自主的」に避難したとされる人たちを、わたしは全然支持しない。共感も持たない。年間数十ミリシーベルトになるような、空間線量が高い一部の地域の住民だけは避難もやむを得ない。だから大いに支援するべきだが、それ以外はいっさい不要だ。そう思う。

16万人といわれている避難者のうち10万人ほどは無意味な避難者だ。この中の半分ちかくは政府が避難指示を出した地域の住民だが、そのほかの6万人ほどは指示もないのにデマにあおられて、あるいは自分ひとりの思いこみで避難した人たちだ。山形県にはこの”自主避難者”がとくに多い。1万を超える避難者の8割がそうだという。福島市や郡山市などからの母子だが、何で逃げているのか、わたしにはまったく理解できない。そういう行動をとると決断するならばそれは自己責任、すべて自己負担でやるべき話だろうと思っている。昨年から、政府を始めとして、自主避難者にも強制避難者と同等の賠償措置、支援措置をとるべきだとされてきたことには、わたしは大いに違和感があった。

こんな言い方をすれば、ある種の人たちが怒るかもしれない。おまえは被災者の苦しみを何だと思っているのか、と。おまえは人でなしだ、と。まったくそのとおり。しかし、良識ある福島の方々は、わたしを許してくれるだろう。

何が差別と偏見を生み出すのか

わたしたちの国は大量の危険デマに広く汚染されてしまった。いったいどうしたらこの汚染を取り除くことができるのだろうか。

何かの危険デマをまき散らす者の責任は大きい。ならば、そのデマにおどらされる者に責任はないのか?デマの発信元の責任よりは小さいだろう。しかし、デマにおどることでデマをさらに拡散することの責任は小さくない。結果責任は小さくない。そのデマに乗せられて他の誰かを不安にさせたり誰かを差別したり虐殺に手を貸したりした者は、その責任を免れることはできない。もたらされる結果を考えずにデマに乗れば、そういう加害者の仲間に自分もなるということだ。まちがいなく。たとえば、関東大震災直後のデマによる朝鮮人虐殺。

デマにあおられて、不安だからと”自主避難”した親子。何の罪もなく善良でか弱い被害者なのかもしれない。けれども、きつい言い方で申し訳ないが、角度を変えてみるとある種の加害者になる。不安だからという理由で何かを避ける。不安だからという理由で何かから逃げる。不安だからという理由で福島産の農産物を買わない。不安だからという理由で特定の人を避ける。あそこにいるとまともな子供が生まれないなどと言う。陰でこそこそと、あの人とは結婚しないほうがいいと言う。不安の対象がモノ特に食べ物に向けられるとき、風評の暴力が発生する。それが人間に向けられれば差別と偏見という暴力になる。根っこはまったく同じ。そこでは、被害者と加害者がひとりの人間のこころの中に同時に住むことになる。

つまり、福島はたまたま「被害者」の立場におかれたが、同じ人間がもし立場が違っていたら、今度は差別する側になっただろう。震災瓦礫の受け入れを拒否する側に立っただろう。科学的根拠のない、気分的なことを理由にして判断行動する人は、けっきょく差別と偏見に流れる人間と同じ行動原理をもつ人だ。「自主避難」する人の心理は、誰かをゆえない差別と偏見で見る心理とまったく同じもの。どこに違いがあるのだろうか。わたしは、だから、そういう心理を容認する気には絶対ならない。人間社会の歴史で、差別とか偏見とかはそういうあいまいな被害感情からすべてが生まれてきたのだと思う。ある地域から逃げ出す心理。穢れていると見なしたものを忌避する心理。あいつらは汚い人種、職業だとさげすむ心理。近づくと病気がうつるという被害妄想。科学的根拠も合理的思考もそこにはない。

「自主避難」は結果として、福島全体を差別することを正当化した。そこは避けるべき場所、忌み嫌うべき人たちだと見なすことを正当化した。それは母の、子供たちの、自然な感情であり、当然な権利であると。

『歌人・俵万智さん 島で生まれる歌』 NHK ニュースウォッチ9 2012年5月18日(金)
http://www.nhk.or.jp/nw9/marugoto/2012/05/0518.html より

子を連れて 西へ西へと 逃げてゆく 愚かな母と 言うならば言え

こういう開き直りめいた歌らしきものを目にすると、わたしにはただ愚かさと言うより浅ましさだけが浮かんでくる。これが人に読ませる歌ですか。アジの開き、じゃなくてアホの開き直りは猫も食わない、猫またぎ。母であることがすべてに超越する絶対善ですか。

こういう被害者心理をもつ人たちを、可哀想だ、自然な感情だ、当たり前だ、と持ち上げることの罪、そういう行動を正当化することの罪、わたしはそれを問題にしている。放射線の被害よりも、偏見と差別という被害の方がはるかに影響が大きいし、深刻だ。その現実を見つめないで、ただ自分の被害感情だけで行動する人たちを、わたしはまったく支持しない。本人に悪意がなくても、差別や偏見をふくらませる結果につながるような、そういう行為は容認できない。このことは第5章や第9章にも書いたとおり。

かつてのハンセン病、かつての「被爆者」、いわゆる部落民、あらゆる差別と偏見の、その主役は誰だったのか。

"自主避難者"を救え キャンペーン

可哀想な"自主避難者"というスタンスの報道キャンペーンを昨年からずっとつづけている NHK山形放送局。この9月に入って、山形市や米沢市にいる母子避難者にアンケートをとって、福島にいる夫が過労死しそうだ、週末会いに来る夫のために高速道路を無料化してくれ、そういう声がある、何とかしろという報道をローカルニュースの時間帯に繰りかえしている。またか、と思う。そこで NHK山形放送局に質問書を出してみた。以下の引用は、原文のまま。

原発事故報道についての質問:

NHK山形は郡山市や福島市からの"自主避難者"を「支援すべきだ」と考えているのでしょうか。報道からはそのように感じられます。

また、政府の避難指示で避難せざるを得なかった方よりも"自主避難者"の方を優先して報道することが重要と考えているのでしょうか。

もうひとつ、避難してきた方の居住していた地域の放射線量を把握した上で報道しているのでしょうか。また福島県のその地域に出かけて取材もされているのでしょうか。

NHK山形からの回答:

ー主避難者を支援すべきだと考えているのか

▼国の審査会が去年12月、福島市や郡山市など自主避難している人たちに対しても   「精神的な損害を受けている」として賠償を認める指針を決めたこと。
▼山形県が福島から避難している人たちに借り上げ住宅を提供するなど、隣県として   避難区域内外分け隔てなく支援する方針を掲げていること。
などの理由から、多くの被災者の方と同じように支えるべきと考えています。
何の非もないのに突然、原発事故による放射能の不安にさらされ「小さい子どもを守り たい」という一心から、家族離れ離れで暮らす人たちのおかれた境遇を報じることも大事 で、支援を表明した山形県の、県税が適正に使われているかをチェックする一つの材料 にもなるとも考えています。

⊆主避難者を優先して報道することが重要だと考えているのか

そのようには考えておりません。浪江町や南相馬市などから避難している人たちへの取材 や報道も続けています。ただ、山形県内に身を寄せている福島県の人たちの8割が避難区 域外に住んでいた人たちで、自主避難者の割合が圧倒的に多いという事情もあります。

結果として実際に放送しているのが自主避難者の方が多いことは認識していて、ご指摘を 受け止め、「避難区域内」の人たちの苦しみも今後、できるかぎり報じていきたいと考えて います。

H鯑颪靴討い訖佑燭舛僚擦鵑任い臣楼茲諒射線量を把握しているのか、その地域に出か   けて取材しているのか

自治体が発表するデータは逐次確認しながら報道しています。ただ、自主的に避難している 人たちは、「どの程度なら子どもに影響がないのか」という不安を抱えているといった事情も あり、一概に「除染で十分下がったから大丈夫ではないか」ということで取材を取りやめると いう判断は今のところ難しいと考えています。 また福島県内での取材については、福島市や郡山市、伊達市などで残された家族を取材した 実績はあります。

NHKの回答に対するわたしの意見:

支援すべきだという理由は理解できました。

敢えて言えば、報道機関として、帰っても大丈夫だという方向に支援する努力を することのほうがより大切だとわたしは考えます。個人的な意見として、帰って も何も医学的な問題はないと信じていますし、その筋の専門家もそういう見方だ と理解しています。

なぜなら、避難したままでは何一つ解決しないからです。むしろ悪化するばかり だと思えるからです。避難を固定化するようなのは「支援」でもなんでもないと 考えます。

以上、これは意見ですのでお応えは要りません。
ありがとうございました。

情緒に流されるだけの報道

論争するほどの相手と思えなかったので、返信は遠慮がちな表現にした。「支援すべき理由」も国が決めたから、県が決めたからという他人任せの理屈を持ち出した時点で、こりゃ相手にするだけムダだなと分かった。

わたしが確認したかったのは、NHKには科学的視点はあるのか、という点だった。予想どおり、それはまったく無かった。”自主避難”した母親と一緒になって、感情的に騒いでいるだけだと断定していいだろう。避難することのメリット、デメリットについての客観的な視点がそこには欠けている。記者自身が不安な母親と一体化してしまって、困った困った、山形県当局や国は何とかしろ、そう言っているだけだ。回答内容からは、「可哀想!」一本のモチベーションで取材報道していることがうかがえる。

何の非もないのに突然、原発事故による放射能の不安にさらされ「小さい子どもを守り たい」という一心から、家族離れ離れで暮らす人たちのおかれた境遇を報じる

という表現にそれは端的に表れている。避難の必要性についての放射線医学、疫学の評価はまるで頭にないらしい。おそらく NHK山形放送局に理医工系の知識をこなせるような記者がいないのだろう。福島市や郡山市には子供は居住しないほうがいい、と主張している専門家がいたら教えて欲しいものだ。

それに、数が多いから"自主避難者"の報道が多くなる、という弁解もおかしな理屈だ。津波の被災者は家も生活も生命もいっさいが跡形もなく流された。線量が高い地域からの避難者はやむなく避難するしかなかった。"自主避難者"はいったい何を奪われたのか。

ちょっと付け足すと、山形県知事の吉村さんが女性で、脱原発知事の仲間だということ、母親的な情緒に流されやすい人だということも、こういうキャンペーンが成り立つ背景にはあるのだろう。吉村美栄子さんは、失礼ながらどう見ても科学的な観点には弱そうだ。

この文章が、NHK山形の記者さん、ディレクターさんの目に止まることが万一あるなら考えて欲しい。こういう情緒に流されたまんまの報道姿勢でいいんですかね。不安だ不安だ悲劇だ悲劇だと騒いでいればいいのですかね。まあ、それが報道者としてはいちばん簡単で、いちばん楽なのだろうけど、そんな情緒的な支援キャンペーンばかりやって、避難家族が本当に救われるかどうかが問題なのだ。わたしには、無意味な避難がただだらだらと長引いて、やがて家族が壊れていくだけ、としか思えない。これは本末転倒ですよ、NHKさん。



補足的追加その1: [2012/11/7 追加]

11月7日、NHK山形が報道したところによると、山形県が原発避難者のために無償で借り上げて供与している住宅について 12月28日をもって新規の受け入れを打ち切ることになった。これは、福島県当局から新規の支援の停止を要請する文書が送られてきたことによるそうだ。福島県は、避難者の自宅帰還が始まっていて新規の避難者の支援はもはや不要、と判断したらしい。遅すぎる感もあるが、打ち切りは当然だ。カネをいつまでも無用なことに使うべきではない。そもそも、山形県当局も費用は東京電力に賠償請求すればいいと思っているから、自分で支援を続けるかどうかの判断をする気はさらさら無い。他人任せで無責任だ。福島県から言ってこなければいつまでも「支援」をつづけるつもりだっただろう。

この打ち切り措置に対する、"自主避難者"でつくる「なんとか母の会」の代表のコメントはひどかった。「福島県が県民を県外に避難させないようにするネライがある」とか。あきれた。こんな浅ましいこと言う人たちなんだな。どうしても「福島は住むには危険な場所だ」「避難するのは当然だ」と言いつづけたいらしい。こういう、県外に逃げた先で福島は危険だデマを流すような"自主避難者"については、以下の信夫山ネコさんのページも参照のこと。もう"自主避難"の正当性はまったく無いと確信させられるコメントだった。公的機関が危険デマ拡散を間接的に支援するようなことは早くやめたほうがいい。復興の妨害でしかない。偏見や風評を公的機関みずからが公認してそれをさらに広げてどうするつもりなのか。

朝日新聞10/10「自主避難への理解」は事実が隠された「印象操作」記事 http://shinobuyamaneko.blog81.fc2.com/blog-entry-114.html

"自主避難者"がいっぱい来ている地域の人間としては、受け入れ支援は人として当然だとか、可哀想な被災者を支援するのは隣県住民の義務だ、みたいなきれい事を言わねばならないのだろうが、わたしはそういうことは言いたくない。震災以来やたらと目につく福島ナンバーの車を見るたび、そんなことを思う。早く自宅に戻ってくださいな、それがわたしの願いだ。

誤解のないよう付け加えておくけど、わたしは、震災瓦礫の受け入れのような合理性のあることに関しては賛成だ。被災地が復興するためなら支援は当然だから。そうではなくて、復興のためでなくただ逃げて騒ぐことだけが目的の行動を批判している。そして、一部のマスメディアの報道姿勢を批判している。


補足的追加その2:

第11章「帰宅への遠い遠い道」にも書いたが、モニタリングポスト等の機械の測定値から積算した線量にくらべて、実際に人がそこで暮らしたときに受ける線量の合計はかなり少ないというデータが出ている。

参考:こども健康倶楽部 「長崎大学大学院医歯薬学総合研究科長・山下俊一氏に聞く(まとめVol.1〜5)」

会社員34名(本社福島市)が昨年5月から1年間携行した積算線量計と,福島市モニタリングポスト積算値の比較.モニタリングポス... on Twitpic
早野龍五・東大教授の報告(右グラフ)でもそれは鮮明に示されている。まったく、枯れススキを幽霊と思いこんで逃げ出したことをもう一度ちゃんと考え直すべきなのだ。事故当初の混乱や不安はやむを得なかったとしても、いつまでもその間違いを引きずっているのは愚。愚かさに気づいたらすぐに戻る。過ちを改めるのは早ければ早いほうがいい、でしょ?。もちろん、無理に、とは言わないけど。


補足的追加その3: [2014/3/16 追加]

事故発生以来、マスメディアのなかにいる人の多くが「脱原発」に舵をきったおかげで、この3年、世の中に流される情報は反原発のフィルターがかけられてきた。つまり、原発を叩くための情報は大きく扱われ、福島県民の健康と安心を取りもどすような情報は地味に扱われるかまたは無視されてきた。原発サイトについては、いわゆる汚染水問題(トリチウム問題)がその典型だった。それから放射線被曝による甲状腺がん検査がその典型だった。重要な問題ではあるが、マスメディアが過剰に大騒ぎすることがかえって解決の足を引っぱっている。むやみに不安ばかり増幅する結果になってきた。

さらに、公共メディアはデマを放置するだけでなくデマに加担する報道番組さえ幾度となく流してきた。今もそれはつづいている。
子どもが甲状腺がんに・・・ 母が苦悩の告白 3/11 報道ステーション(内容書き出し)

この番組に対する福島県と福島県立医科大学からの批判
平成26年3月11日「報道ステーション」の報道内容についての 福島県立医科大学 放射線医学県民健康管理センターの見解

悪評まみれの報道ステーションと並べるのは失礼だが、NHK の放射能影響に関連する報道もあいかわらず薄っぺらなレベルのまま進歩がなかった。とくに社会部(文系)報道は素人級だ。もちろんNHKスペシャル『無人の町のじじい部隊』3月7日放送のような内容の濃い番組もあるのだが、そういう”前を向いている番組”が少ない。
『原発事故3年 自主避難者は今』

この NHK のニュース報道は、一種のマッチ・ポンプ的なアンケート記事、と言ったら言い過ぎか。これまで流されてきたデマやマスメディアの放射能影響についての報道が、避難者の不安を強めるのにどれだけ効果があったかを調べてみたようなものだろう。問題解決に役に立つどんな内容も含まれていない。自主避難者が2万5000人という数字を出して、わずか307人のアンケート回答結果をもとに「自主避難者は今」という記事を書く、この大胆さ。このデータの少なさと限られた特定の人への取材でよく記事が書けたものだと思う。しかも団体経由でアンケートを取ってもらっている。避難者から直接聞き取りした調査でないことの持つ問題を感じないとすれば、プロ記者としての素質を疑うことになる。団体を経由するということは、その団体の世話人の考え方がアンケートに影響を与えることを避けられない。それにしても、アンケートに答えた人の平均年齢をみて唖然。若いママさんかと思いきや平均年齢42歳とは。

改めてここでもくり返し言っておくが、なぜ放射線医学の専門家や心理カウンセラーなどの取材をあわせてやらないのだろうか。なぜ「自主避難者」の元の居住地域で実際の放射線データがどのくらいになっているかを記事の材料にしないのだろうか。なぜ復興を模索している地元自治体の担当者の声などを取り込まないのだろうか。この3人の記者を女性だからと言って差別はしたくはないが、もしも取材記者であるなら、「困った困った、不安だ不安だ」、の側の人だけではなく、いろいろなちがった方面の立場の人にも取材をしてから立体的に記事を書くことをおすすめしておきたい。プロの記事とはそういうものだろう。



 

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