脱原発神話 第5章 ・・・科学者の社会的責任、文学者の社会的責任 [2012/1/7]

大江健三郎、村上春樹などを取り上げて批判します。

イソップの童話だったか、初めて牛を見たカエルの親子の話があった。(カエルの親子って、子供はオタマジャクシのはずなんだが、絵本では小さいカエルになっていたね。ま、それは置いておいて)

お母さんカエル__ これくらいかい?
子ガエル__ もっと大きかったよ
お母さん__ じゃあ、これくらいかい?
子ガエル__ うんにゃ、もっともっと大きかったよ
お母さん__ じゃあ、こ・・れ・・く・・ら・・い・・
子ガエル__ ノー、ノー、もっともっともっと大きかったよ
お母さん__ じゃ・・あ、・・こ・・・・れ・・・・く・・・・・う、う、う、
お母さん__ パーーン!!!
あわれ、お母さんカエルのおなかは爆発パンクしてしまいましたとさ。

黒い雨、見えない加害者

世の中は、現実と想像力とのせめぎ合いで動いている。想像と現実のギャップが小さいうちはいいが、これが過大になると危ない。想像は妄想になる。妄想を紡いで食っているのが作家や芸術家だ。妄想を自覚している範囲なら問題ないが、なかには妄想と現実の区別がつかなくなってしまった人もいる。


夏の花
日本にはいわゆる原爆文学というものがある。じっさいに不幸にも広島や長崎で被爆した作家や詩人がいた。他方、自身はまったく被爆はしていないが原爆をテーマにした作品を書いた作家もいる。前者は、おおざっぱに言って原子爆弾の瞬間的なおそるべき破壊力を創作のモチーフにした。後者は、破壊力だけでなく放射線被曝特有の晩発性障害をとりこんで静かに表現した。

原爆の巨大な破壊力と阿鼻叫喚の地獄絵を身をもって体験した人々。詩人の峠三吉『人間を返せ』、作家の原民喜『夏の花』、太田洋子『屍の街』・・。彼らは彼らの生々しい体験を文学作品として昇華させようとした。その体験はあまりにも衝撃的で、どんな人も茫然自失させるのに十分だった。作家はそれを言葉の力でのりこえようとした。しかし、これらの文学者は「原爆作家」という枠組みから抜けることがついに出来なかった。原民喜は戦後5年して鉄道自殺した。


黒い雨
一方で、原爆をすこし離れて客観的に見ていた日本人、作家としての実力を備えていた井伏鱒二は『黒い雨』を書いた。原爆投下から20年後だった。井伏は広島県福山の出身だが被爆はしていない。この『黒い雨』こそ日本人の原爆観、放射能への恐怖と人の哀しみを象徴する作品になった。見落としがちなのは、この小説に出てくるもうひとつの主役たちだ。見えない主役にして加害者。デマを流す日本人、遠くから偏見のまなざしを向ける日本人、そして重松と矢須子に暗くのしかかる善良な人々の敵意だった。善良なる敵意? そう、善良なふつうの人たちこそ偏見と差別の主役でもあった。小説は冒頭、印象的な書き出しで綴られはじめる。

この数年来、小畠村の閑間重松は姪の矢須子のことで心に負担を感じて来た。数年来でなくて、今後とも云い知れぬ負担を感じなければならないような気持であった。二重にも三重にも負目を引受けているようなものである。理由は、矢須子の縁が遠いという簡単なような事情だが、戦争末期、矢須子は女子徴用で広島市の第二中学校奉仕隊の炊事部に勤務していたという噂を立てられて、広島から四十何里東方の小畠村の人たちは、矢須子が原爆病患者だと云っている。患者であることを重松夫妻が秘し隠していると云っている。だから縁遠い。近所へ縁談の聞き合せに来る人も、この噂を聞いては一も二もなく逃げ腰になって話を切りあげてしまう。

オッペンハイマーの手は血に濡れていた

宗教学者の山折哲雄さんが去年、原子力について「科学者の社会的責任」を問うていた。この「科学者の社会的責任」ということばは、マンハッタン計画に協力して原爆開発と投下に貢献した物理学者たちの話から始まった。レオ・シラード、ロバート・オッペンハイマー、アインシュタイン書簡。。。おおざっぱに言ってしまうと、核を発見した物理学者がそれを原子爆弾という形に仕上げてしまったことへの断罪、もしくは物理学者自身の贖罪の話だ。そして、山折さんが言外に言っているのは、これまで日本の原子力開発に協力してきた科学者や技術者の責任、それに事故の直後にマスメディアなどに登場した学者や専門家への不信感のことだろう。原発は安全安心だと言ってきた学者への批判がもちろんふくまれている。

まずこの問題を考えるうえでの予備知識として以下の論考を読んでもらいたい。
>> 「科学者の責任を考えるために」 http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~suchii/resp.sci.html

しかし、わたしは、むしろ文学者その他の「非自然科学系人間の社会的責任」こそ問うべきだと強く思う。核やエネルギー問題を「文学的」に語ることの責任について彼らはあまりにも無自覚だ。村上春樹とか大江健三郎とか宮崎駿とか坂本龍一とか、名前を挙げればきりがない。その彼らの罪を問う。

大江健三郎は、9月19日に明治公園で開催された「さようなら原発 五万人集会」で、こう決めつけた。福島の子供たちよ、きみたちはヒバクシャだ。さあ、将来にわたって苦しめ、と。

「福島の放射性物質で汚染された広大な面積の土地を、どのように剥ぎとるか、どう始末するのか、既に内部被ばくしている大きい数の子どもたちの健康をどう管理するのか。」(9月19日、集会で))

「広島、長崎に続く第三の原爆を落としてしまった。今回の原発事故で、子供たちは放射性物質を体内に取り入れてしまったがために、将来苦しむことになるだろう、と専門家は言っている。」(9月8日、講演会「さようなら原発」で)

大江に送るわたしのメッセージをこの章の後半に書いておこう。


原子爆弾の誕生
1945年、核エネルギーは人間の想像力をかき立てる怪物としてこの世に生まれた。原爆投下や水爆実験の犠牲者たちは想像力をかき立てるヒマもなく命を落とした。想像力をかき立てられたのは、被爆しない、無傷の、遠くの「非当事者」たちだった。この「非当事者」という立場には責任を負わなくて良いという意味が含まれている。同時にまた、自分は汚されないきれいな立場にいる、という意識が含まれている。

村上春樹、核を語る

文学とは無いことをあるかのように語ることだ。それをウソ、またはホラ、または妄想、と言う。みずからを「非現実的な夢想家」と称する村上春樹。彼のスペイン・カタロニアでのスピーチ(2011年6月)をまず鑑賞してもらいたい。このビデオの3番目の巻を中心に反原子力の話が出てくる。
>> 村上春樹・カタルーニャ国際賞受賞スピーチ http://www.youtube.com/watch?v=Fuk4ww_rKl0

村上春樹の語る言葉がどれほど中身が薄いかは、良識ある人なら分かるだろう。彼がバルセロナで語る原発事故観、原子力技術観、原子力産業観はほぼメディアがながす扇情的な見出し記事を根拠にしている。誤解でないことを祈るが、彼はあたかも一夜漬けでかき集めた言葉で、原子力のことをすべて分かったように語っている。彼のスピーチは言葉も思考もステレオタイプで、そこらへんの床屋で政治談義をしているような中身の軽さだ。これが言葉を商売にする職業人の言葉だろうか。

彼は、「戦後日本人が抱きつづけてきた核に対する拒否感はどこに行ったのか?」と問いかけた。どこに消えたわけでもない。そもそも、核兵器への拒否ではあっても核エネルギーそのものに対する拒否ではなかったからだ。


核の栄光と挫折
あまり知られていないかも知れないが戦後、日本の原子力開発を担ってきた人のなかに原爆の被爆者やその家族が数多くいた。それは、核をあたまから拒否拒絶するのではなく、その不幸をもたらした核エネルギーのほんとうの姿を理解しようとする真面目な意志と、人殺しにではなく人類の平和繁栄に役立つように利用しようというつよい意志のあらわれでもあったのだ。まあ、知的な文化人ふうに冷めた言い方をあえてすれば、それは「素朴な科学技術信仰」ということになるだろう。そのことを非難するのはかんたんだが、だからといって科学技術を根こそぎ否定することなど誰も出来はしない。

村上春樹は、広島の原爆慰霊碑に刻み込まれている「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」という言葉を引用して、原子力開発を担ってきた日本人がいかにも倫理に欠ける人たちだったかのように語った。それはあまりに侮辱的で、物書きの高慢さを示しているとしか言いようがないものだった。いったい村上は、日本の原子力開発にたずさわってきた人たちを個人的に一人でも知っているのだろうか。知っていて、その人を含めて、おまえたちはゆがんでいる、倫理や規範をないがしろにしてきた、と批判できるのだろうか。効率や便宜を優先することが「過ち」だったと断罪するつもりなのだろうか。もしそうであるなら、近代社会のあらゆる工業、農業、商業は否定されなければならない。

この一年近く、原子力は人間への犯罪だ、未来への犯罪だというモノ言いがいろんな人の口で語られ、あちこちの文章に綴られてきた。しかもそのほとんどがいわゆる文系人間だった。第3章「自然へのあこがれ」でも書いたが、そういう言い方をする人は近代の産業文明そのものを忌み嫌う傾向のある人たちだろう。あたかも自分だけは汚れた現実世界の外にいて霞を食べて生きているような人、と言い換えてもいい。電気は誰かが作ってくれるし、ガソリンも誰かが車に入れてくれる。生活のなかの工業製品も誰かが作ってくれる。夕食に食卓に並ぶ料理もすべて、どこかの誰かがサービスしてくれる。財布には自然にお金が貯まっていく。彼らはそれらを消費する側ではあっても、作りだし運び届ける側ではない。「汚れ」た仕事はみな誰かがやってくれる。二昔前のテレビCM あなた作る人、わたし食べる人、というわけだ。

どんな人間であろうと、自分の手を汚さないで生きていくことは出来ない。豚や牛は殺して食わねばならない。一人の人間が今ある資源を使わなければ、次の世代は生まれない。未来の人のために、今の人間が飢えや寒さで死ななければならない理由はない。原子力が犯罪ならば石炭や石油は犯罪ではないのか。谷間の村をダム湖に沈めることは犯罪ではないのか。人の手の入らない国立公園の、地中深く穴を掘って地熱エネルギーを取り出すことは犯罪でないのか。

小説であれふつうの新聞記事であれ、それは工業製品や農産物のように形があるわけでない。原子力発電所という工業製品にいちじるしい欠陥があれば人が死ぬこともある。食べ物に多量の放射性物質がふくまれていればこれまた人は健康でいられない。しかし言葉にも暴力性はある。毒性はある。小説家であるならそういう危険物としての言葉について自覚は当然持っているはずだろう。言葉が犯罪になることがいかに多いか。言葉が人を不幸にすることがいかに多いか。それを例を挙げて示すのもこの章の目的の一つだ。

広島も長崎も福島も、文学者はこの世の悲惨を美しい言葉で記せばいい。哲学者は高邁な理想を語ればいい。しかし、見よ、村上春樹の手はオッペンハイマー同様に血に濡れている。唇からは血がしたたり落ちている。

スティグマ=偏見と差別

福島の事故でさんざん言われてきた「人災」という言葉。それは東京電力や政府の責任を問うためにくり返されたフレーズだった。しかし、忘れてはいけないもうひとつの人災、そして最大の人災、それは偏見と差別だっただろう。

放射線の人体影響について何か公の場で発言する場合は、よほど慎重でなければならない。過小評価はもちろん問題だが、過大評価は抑制的である必要がある。そのことをまったく理解していない人々が、間違った主張を平然としてきた。それは「被害の過小評価は悪く、被害の過大評価は悪いことではない」という言い分だ。これは間違いだ。なぜ過大評価にとくべつの慎重さが必要なのか。

被害のおそれを過大評価しておけば、もし実際の被害が出たときは誉められるだろう。もしまったく被害が出なかったとしても、後になってから警告者がウソつきデマゴーグとしてとがめられることはほとんどない。より安全寄りに考えただけだ、善意で言っただけだと弁解すれば済まされる。どっちの結果が出ても警告した者は無傷でいられる。だから、大声で危ない危ないと言っている方が実にたやすく、じつに無責任でいられる。しかし、警告される側の本人にとってはまったくちがう。被曝がもたらす医学的影響を誰かが過大に宣伝すれば、それは当事者本人には絶えざる不安と萎縮、周囲の人々には偏見と差別という深刻な影響を及ぼしてしまうからだ。

前にも引用した中西準子著『環境リスク学』に小さなエピソードが載っている。

昔々のことですが、『若者たち』という映画を見ました。田中邦衛や佐藤オリエが出た映画です。そこで、原爆被爆者との結婚に家族から反対され、大問題になっていたとき、佐藤オリエ扮する女性が、被爆者と結婚しても、子どもが障害をもって生まれてくることはほとんどないのよ、それが、調査でわかったのよ、と嬉しそうに言う場面があるのです。
当時、私は、”被爆すれば、そういうことはあるだろう、だからこそ、原爆はやめなければいけない”と思っていたので、ひどく衝撃を受けたのです。こんなに悪いことが起きるということは、しばしば、特定の個人や子孫を不幸にしてしまうことに、はじめて気付いたのです。それ以降、微量な放射線暴露による影響を聞く度に、佐藤オリエを思い出し、気を引きしめています。

つまり、科学的見識を備えていたはずの中西氏でさえ、被爆すると子孫に遺伝的な悪影響が出るという世間のまちがった考えに染まっていたのだった。根拠も無いまま世の中になんとなく信じ込まれている偏見は恐ろしい。その自分の愚かさに中西氏は気づいた。

放射線の被曝影響について発言するかしないか、どう評価するべきか。過去から今まで、責任ある立場の人々とりわけ放射線医学にかかわる人たちは悩み続けてきた。自分の発言が誰かを傷つけるおそれがじゅうぶん予想できたからだ。世の中には無知と偏見が満ちあふれている。


広島・長崎の原爆災害
ところが、昨今の反原発・脱原発の主張をするほとんどの人たちは、この放射線影響について抑制心をまったく持ち合わせていない。被曝の恐怖を大声で叫ぶことを正しいことと信じて疑おうともしない。被害をできるだけ大きく見せることに喜びすら感じているかのようだ。

放射線影響を過剰に警告する人は、そのことによって高い確率でもって不安を呼び、風評を生み、高い確率でもって人への偏見と差別を引き起こす。こういう現実と、将来に放射線障害が発生する疫学的確率を秤にかければ、いったいどっちが人を不幸にするか、広島・長崎を深く考えれば答えは出る。チェルノブイリの経験を振り返れば答えは出ている。

ICRP国際放射線防護委員会副委員長アベル・ゴンザレス氏は日本経済新聞2011年9月19日付けインタビュー記事で次のように言っている。

私が個人的に最も心配に思うのはスティグマ(偏見)だ。被曝した人への社会の偏見や、その人たち自身が被曝の事実を恥じて苦しむ。チェルノブイリでも多くの人が苦しんだのを見てきた。精神的な苦痛は長く深い。大事なのは、可能な限りスティグマを生み出さないことであり、放射線の影響について過剰に誇張した情報を流すことをメディアは謹んでほしい。

チェルノブイリ

「1986年以来25年が過ぎました。私たちは、今、公衆衛生上のどのような損害がチェルノブイリ事故によって引き起こされたか知っています。損害のほとんどが、1986年5月に、汚染された地域で生成された放射性ヨウ素を含んだミルクを飲んだ子供の高い甲状腺ガン発生率に帰着しました。不運にも当局と専門家はこの内部被曝の危険から適時、十分に彼らを保護することに失敗しました。福島では、子供が2011年3月から4月にかけて放射性物質を含むミルクを飲まなかったことにより、この種の放射線被曝は非常に小さかったと言えます。このため近い将来あるいは遠い将来、どんな甲状腺疾患の増加も予想できません。
チェルノブイリ周辺の放射性セシウムにさらされた地域の居住者の長期被曝がどのような影響を与えたかについて、25年間にわたる細心の医学的経過観察および科学研究は、ブリャンスク地域の人口における特別の疾患の増加を示しませんでした。」
ミハイル・バロノフ:国際放射線防護委員会第2専門委員会委員(日本の内閣府低線量被曝のリスク管理に関するワーキンググループ報告書に寄せたメッセージ・2011年12月)

「(事故後25年の状況を分析した結果)、放射能という要因と比較した場合、精神的ストレス、慣れ親しんだ生活様式の破壊、経済活動の制限、事故に関連した物質的損失といった、チェルノブイリ事故による他の影響のほうが、はるかに大きな損害を人々にもたらしたことが明らかになった」
ロシア政府チェルノブイリ原発事故総括報告書「結論」の章(東大病院放射線医療チーム中川恵一准教授の引用より)

広島・長崎
親が被曝した場合の遺伝的影響については、今までの研究で否定されている。

「現在までの各種の調査・研究の結果からは、原子爆弾被爆が遺伝的な障害をもたらしたという積極的な証明は得られていない。」
『広島・長崎の原爆災害』(広島市長崎市原爆災害誌編集委員会編1979年刊)

「ABCCの発表によると、被爆者の子供の性比・死産率・死亡率・生誕時の体重および先天性奇形の発生率などいずれにおいても、親の被爆の有意な影響は認められていないと報告されている。また1946〜65年に生まれた原爆後の受胎者に関し、白血病の発生率も調べられた。その結果、両親とも非被爆者である場合の発生のほうが大きく、被爆者の子供における有意な増加は統計学的に認められなかった。」
『被爆の実相と被爆者の実情』(被爆の実相とその後遺・被爆者の実情に関する国際シンポジウム日本準備委員会編1977年刊)

母と子供をだしに使う「正義の人々」

以下、デマについてしばらく書くので我慢して読んでほしい。書いた方もうんざりしているのだ。ほんとうは反原発化した朝日新聞などにもふれるべきだが、わたしは紙の新聞をほとんど読まないので残念ながらパス。

一件だけ、新聞のやった誇張、曲解報道の例。これは福島から避難してきた子供の甲状腺に異常が出たという大ニュースだった。朝日ほかが大きく報道した。この報道もデマに限りなく近いものだった。
>> 「子供の甲状腺検査に変化が見られたとする報道に関しての学会声明」・日本小児内分泌学会 http://jspe.umin.jp/pdf/statement20111012.pdf

福島原発の事故では一人の放射線障害者もでていない。そういうときにすぐ聞こえてくるのは、何年か後になってから放射線被曝の犠牲が出るはずだと言う人たちの声だ。今は出なくてもいつか出る、と。悲劇を待ち望んでいる人でなし。高い木に止まって下の家で死人が出るのを待ちかまえている、カラスみたいな人種。事故発生直後、フリーのジャーナリストを自称する人たちが3月23日、以下のツイートを飛ばしていた。自由報道協会の代表:上杉隆氏だ。

いい質問ですねー、島田さん (*・。・)ノ RT @tashimada: 東電記者会見で「妊婦、乳幼児に放射能での障害であると因果関係がハッキリしたら一生涯保証するのか」と聞いたところ、武藤副社長は「いまは原発停止に全力をあげたい」としか答えてくれなかった。

今回の事故後の色んな立場の人の色んな発言を耳にした。目にした。そのなかでもこのツイートは不愉快さの1、2位を争うほどのものだった。この人たちは、自分が何を言っているのか分かっていない。

上杉隆氏はさらに「安全デマより危険デマ」がいいともツイートした。つまり、「安全だ」と言ったのが誤りだったら許せないが、「危険だ」というデマは誤りだったとしても許される、というのだ。多くの人が唖然としたことだろう。ジャーナリスト、報道者を自認する人が言っていいような言葉ではない。危険デマがいかに危険かはちょっと考えれば分かる。歴史を知っていれば分かる。これで彼の”ジャーナリスト”人生は終わった。

それにしても、つい先頃までマスコミの小沢一郎たたきを批判していた人までが東電たたきに情熱を燃やすさまは興味深かった。不安に乗じた魔女狩りの担い手になっているのを自覚しているのだろうか。これはインターネット上であまりに有名になった。福島で放射能の影響による奇形児が生まれたという、”ジャーナリスト”岩上安身氏の奇形児ツイッター・レポート。
>> 岩上さんの”スクープ”に対する反応 http://togetter.com/li/222976
>> 岩上安身氏「デマといったね。デマだと立証してもらおうか」 http://togetter.com/li/214214

福島在住の信夫山ネコさんが、事故後から流布されたデマなどを追いかけたブログ。反原発団体その他のデマ情報を検証しているので、ここも目を通してもらいたい。
>> 『福島 信夫山ネコの憂うつ』http://shinobuyamaneko.blog81.fc2.com/

また、例えばこういうデマもばらまかれた。『きっこのブログ』。
>> 「チェルノブイリを超えた放射能汚染」 http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2011/05/post-6f19.html 。この肥田舜太郎という人物のすばらしいいかがわしさ。

「アエラ」の2011年8月28日。
>> 『ふつうの子供 産めますか』 http://www.aera-net.jp/summary/110828_002539.html
これも、福島では「ふつうの子供」は生まれないかのようなひどい記事だった。この山根祐作という記者も自分は正義の味方になったつもりで書いたのだろう。この記事については以下にツイッター上での批判がまとめられている。、
>> メディア(アエラ)の問題記事と人権意識 http://togetter.com/li/181309

この記事に出てくる福島から上京した母子。原子力対策本部や原子力安全保安院の役人を責め立てる子供たち。こういうおかしなお母さんやその影響を受けてしまった子供がいる現実には暗い気持ちにさせられるが、そういう変な人を持ち上げたがるメディアにも困ったものだ。

それにまた、いわゆる「自主避難者」。子供を放射能から守る!と思い詰めて県外へ逃げ出した母親たち。NHKでも福島に隣接する山形放送局を筆頭に、この自主避難者の言い分をくり返しテレビ報道した。ほんらい、地元に残っている大多数の人たちこそ優先的にとりあげなければならないものだが、メディアはまったく逆に比較少数の突出した行動をとる人の方を頻繁に登場させる。子供を盾にしてモノを言おうとする大人の卑しさが見えるので、きわめて不快な報道だった。

2011年5月3日、 NHK ラジオ第1放送で「鎌田實・いのちの対話」を聴いていると、大阪のある絵本作家が「今の子供は子孫を作れなくなるかも知れない」という趣旨のことをさももっともらしい口調で語っていた。つまりそれは原発事故の影響を言っているのだとすぐ推測できた。被曝すると子供が出来なくなるだと?。思わせぶりな口ぶりで子供をネタに文明論を装いながら、この絵本作家は被爆者を差別していた。こうした輩が「善良なるクソ」の典型といえる。絵本というメディアを通じて、科学に不勉強な作家たちが被曝についての偏見を母子に伝染されてはかなわないなあ、と深刻に思う。

いや、そういう考えの浅い作家たちはどうでもいい。問題は、その番組の主役・医師の鎌田實さんがこの絵本作家の発言に対して何のコメントも差し挟まなかったこと。それが問題だった。鎌田さんはNPO法人日本チェルノブイリ連帯基金の理事長で、福島でもチェルノブイリでも立派な仕事をしてきた方と聞いている。その医師は、医師としてこの偏見に満ちた言葉をぜったいに容認してはいけなかった。流しっぱなしにしてはいけない立場だった。ちなみにチェルノブイリ連帯基金は「福島の子供の甲状腺に異常」のニュース元だ。その責任は軽くない。

絵本作家ついでに、こんな放送もあった。『ぐりとぐら』、『いやいやえん』などで有名な中川李枝子さんは大震災発生直後、東京で変なにおいを感じたそうだ。後で思い返して、ああ、あれは原発事故の影響だったんだなあ、と納得した。そんなことを中川さんはラジオで楽しそうに?語っていた。それも中川氏は原発で非常事態が進行していることをまったく知らないときに、発電所からxキロ離れた東京でそのにおいを感じたという。すごい高性能な検出器人間なんだなあと驚いた。

この手の超能力は、農薬についてもときどき耳にする。以下のブログにある、5キロ離れた場所で農薬の被害にあったというすごい母子の話。群馬には、この記事に出てくるその筋で有名なA小児科医師や、昨今世間を騒がせてきた早川由起夫群馬大学教授などがいる。
>> 松枯れ問題に関するNHKテレビ「クローズアップ現代」と群馬県での事例 http://sites.google.com/site/naokimotoyama/old/2009/090816

「学童疎開」を勧めたブログ『内田樹の研究室』。
>> 『「疎開」のすすめ・3月16日』 http://blog.tatsuru.com/2011/03/16_1119.php
これを見たとき、こういう小恥ずかしい提案をよくしてくれるものだと感心した。内田氏は学童疎開の経験があるのだろうか。遠足と勘違いしてるのではないか。おそらく頭がパニクってしまったのだろう。自分が原子力に無知だと自覚しているなら、訳が分からないことは口走らない方がいい。まして大学の偉い先生だとするのなら。

6月2日にはこんな椿事もあった。民主党代議士会で原口一博さんが「福島の子供たちを逃げさせましょう!」と真剣な顔で呼びかけたのには唖然としたのだった。この人、大丈夫? と心配にさえなった。NHK が党の代表を選ぶ代議士会をお昼に生中継していたから、原口氏の呆れる発言が全国に流されてしまった。総務大臣も務め、一時は民主党の次期代表候補にさえ名前が挙がる人物だったが、これであっけなく失格した。

イマジンと狂気

かつてのレモンちゃんこと落合恵子さん。

今、権力がほしい。福島の子供たちを全員疎開させることの出来る権力がほしい。
(9月8日、講演会「さようなら原発」で)

そのビートルズの歌に、「イマジン」という歌があります。「想像してごらん」から始まるあの歌です。 想像してください。子どもは、どの国の、どの社会に生まれるか、選ぶことはできないのです。そして生まれてきた国に、原発があって、暴走が起こったのが、いまの私たちの社会です。 想像してください。福島のそれぞれの子どもたちのいまを。そして、この国のそれぞれの子どもたちのいまを。 想像してください。スリーマイル島、チェルノブイリ、そして福島。あの原発大国のフランスでも、つい先日、核施設の事故がありました。しかしほとんどの情報を手に入れられない現実の中に、私たちは生きています。 今度はどこで、次は誰が犠牲になるのか、そのストレスを絶え間なく抱いて生きていくのは、もう嫌だ! 私たちはそれぞれ、叫んでいきたいと思います。 放射性廃棄物の処理能力を持たない人間が、原発を持つ事の罪深さを、私たちは叫んでいきましょう。それは命への、それぞれの自分を生きていこうという人への、国家の犯罪なのです。容易に核兵器に変わり得るものを持つ事は、恒久の平和を約束した憲法を持つ国に生きる私たちは、決して許容してはいけないのです。 想像してください。まだ平仮名しか知らない小さな子どもが、夜中に突然起きて、「放射能こないで」って泣き叫ぶような社会を、これ以上続けさせてはいけないはずです。 私たちは、この犯罪に加担しないと、ここでもう一度、自分と約束しましょう。
(9月19日に明治公園で開催した「さようなら原発 五万人集会」で)

レモンちゃんにとって大事なのは権力!と想像力!らしい。強制移住させたいならスターリンのソ連かポルポトのカンボジアをお手本にしたらいい。なんと、原発批判をする人の言うストーリーはみな金太郎飴のようにそっくりなことか。ここでも、原子力は犯罪という決めつけが突っ走る。子供を使った泣きが入る。抽象的な理屈と情緒的な言葉をならべたてる。誰かが言っていたことをそのまんまオウムのようにくり返す。ものごとをこういうふうに飛躍させたり単純化してしまうのも、この種の人たちの特徴なのかも知れない。安全か危険か、善か悪か、命かカネか、そういう二元論。呪文のような言葉を心のなかでくりかえして、イマジンして、自己暗示にとりつかれた姿がここにある。

大江健三郎

第一は、私の先生の渡辺一夫さんの文書です。「『狂気』なしでは偉大な事業はなしとげられない、と申す人々もおられます。それは、『うそ』だと思います。『狂気』によってなされた事業は、必ず荒廃と犠牲を伴います。真に偉大な事業は、『狂気』に捕らえられやすい人間であることを人一倍自覚した人間的な人間によって、地道になされるものです」。
この文書はいま、次のように読み直されうるでしょう。 「原発の電気エネルギーなしでは、偉大な事業は成し遂げられないと申す人々もおられます。それは『うそ』だと思います。原子力によるエネルギーは、必ず荒廃と犠牲を伴います」。
(9月19日に明治公園で開催した「さようなら原発 五万人集会」で)

わたしは皮肉屋だから、上の文章をこう読み直すだろう。

科学や経済を否定して『狂気』によってなされる脱原発は、かならず荒廃と犠牲を伴います。真に偉大な事業は、『狂気』に捕らえられやすい人間であることを人一倍自覚した人間的な人間によって、地道になされるものです。

反原発には、事故の犠牲者が出なければ自分の主張の正当性が証明されない、という恐ろしくモラルに反する構造が隠されている。犠牲者を出さないために反対するはずが、いつのまにか犠牲者が出ることを無意識に期待している。ひたすら被害とか汚染を探し求める心理的バイアスがかかってくる。犠牲者が出ないのはおかしい、と思う倒錯が起きる。被害の真実は隠蔽されている、という妄想が起きる。勝手に地元住民を「ヒバクシャ」にねつ造してしまったりする。これを倒錯と呼ばずに何と言えばいいのか。

ヒロシマ・ノート

さて、冒頭に引用した『黒い雨』の矢須子が浴びた放射線量は、言うまでもなく原爆症を引き起こすほど高いレベルだった(フィクションだが)と想像できる。たぶん急性白血病だろうか。広島の場合、急性白血病の発生は被曝後4年〜15年が山だった。矢須子は小説の題にある放射性物質を大量に含む雨をあびたことになっている。それに、いわゆる早期入市者。つまり直接の被爆はしていないが爆発後の数日以内に爆心近くに入った娘だった。この、外見は異常はないが急に発病する、というイメージは、原爆後の日本人に焼き付けられたと言っていい。しかし、科学的に見た問題はなんといっても矢須子が浴びた放射線の「量」なのだ。小説は医学論文ではないから、そこは表現しない。恐ろしいイメージだけが残る。


ヒロシマ・ノート
原爆の被害には2種類があった。ひとつは放射線や熱線による被害。もうひとつは不安と差別による心への被害だった。前者は原爆投下国に責任があった。後者は投下された側の国民つまり日本人に責任があった。それは、被害者のようなふりをして実際には善良なる加害者になった日本人のことだ。矢須子を気遣う重松の気持を重くした、噂をたてる村人たち。

不幸にも、今回の原発事故でまったく同じことが起こった。

おそろしいのは放射能ではなくて、人間たちの暗い心のほうだった。福島の事故がそれをあらわにした。危険、危険と騒ぎ立てた人たちは、被爆者はあっちへ行けと言った人と同じだった。風評と差別は同じものだ。これだけ風評で騒ぐという国は、それと同じほど差別を平気でおかせる国だと言っていいだろう。京都のたいまつ拒否騒ぎもひどかった。あれこそ対象がたまたま木材だったというだけで、木材を人間に置き換えれば、彼らはその人を拒否、石を持って追い払うにちがいない。暗い想像だが、たぶん日本人の多くはそうするだろう。打ち上げ花火さえ持ち込みを拒否された。それから瓦礫の受け入れも。汚いやつはあっちへ行け、と。

安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから

「繰返しませぬから」と広島の原爆慰霊碑に誓ったはずの、その「過ち」は21世紀の日本人によって再びくり返された。差別と偏見という過ち。それは、村上春樹がスペインで語ったような意味での過ちとは比べようもないほど重い過ちだった。それは科学者や原子力産業界が犯した過ちではなかった。ふつうの、善良な日本人がまったく罪の自覚すらなしにくり返した重大で醜い過ちだった。

この第5章の始めのほうで、わたしはこう書いた。もう一度くり返しておく。

「非当事者」という立場には責任を負わなくて良いという意味が含まれている。同時にまた、自分は汚されないきれいな立場にいる、という意識が含まれている。

広島、長崎、ビキニ、チェルノブイリ・・・この膨大で長期にわたる被爆データ研究を経て作られてきた科学的・医学的・社会学的知見。その結果、人間を守るために作られてきた安全基準。それを安心を保つために使わないで不安をあおるために使っている日本人がいる。いったい、デマゴーグをのさばらせるために、この国の原爆の犠牲は支払われたのだろうか。広島・長崎の無言のしかばねを自分の踏み台にして恥じない者たち。

大江健三郎は、みずからの著書『ヒロシマ・ノート』のプロローグをもう一度じっくりと読み返すべきだろう。広島で被爆し戦後、開業医となった松坂義孝氏の文章を。そして昨今の我が身の行動を恥じるべきだ。

わたくしは、爆心地より一キロ半にありながら、いささかの後症状はあったが、現在、まず健康であり、父母も、おなじく被爆した当時の女学校二年生の妻、また昭和三十年代に生まれた三人の子供も、すべて健康であるところから、できるだけ、後遺症の発現のないことで楽天的であろうとした。そのためであろうか、原爆の文学とよばれるものが、ほとんど、恢復不能な悲惨なひとたちの物語であり、後遺症の症状、心理の描写であるより他に、ありようがないのかを以前から訝っていた。たとえば、被爆して、ひととおりの悲惨な目にあった家族が、健康を恢復し、人間として再生できたという物語はないものだろうか。被爆者はすべて原爆の後遺症で、悲劇的な死をとげねばならぬものであろうか。・・・中略・・・

被爆後十九年、九十三歳でなくなったわたくしの祖母は、その生涯は幸福とはいえない変転をへたが、健康に終始し、まず原爆後遺症ではなさそうな、自然死をとげた。そういう、被爆者の、原爆の影響を脱した自然死も往々にはあるということを考えてほしい。被爆者の死は、ちょうど、八月六日の広島市がやたらと政治的な発言にみちみちて、しずかな喪であるべきその日が余所者(よそもの)の支配となりかねないように、他所の政治的発言のための資料のためにだけあるように考えないでほしいと思う。・・・後遺症もなく、原爆反対の資料とされるよりも切実に、みずからの普通の人間にかえりたく思っている楽天的な、被爆者もいることを忘れずにあってほしい。

なんと、ここで語られていることがいまの脱原発運動とおそろしくダブってくることに、いささか呆然とする。この祈りにも似た一文は、40数年前、大江健三郎に突きつけられた。そして今また、放射能の不安をあおって「脱原発」を叫んでいる作家、学者、芸能人、報道人ほかすべてに対しても突きつけられているのだ。福島を自分の個人的主義主張に利用して騒いでいるだけの「余所者」たちに。

福島に対して「ヒバクシャ」は何をしてきたのか

日本被団協(日本被爆者団体協議会)は2011年に、それまでの原子力開発に中立という立場から反原発へと方針転換した。その事務局長 田中煕巳(てるみ)氏が以下のように語っている。

>> 日本記者クラブ会見記録:2011年8月23日 http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2011/08/r00023227/

日本被団協は6月の定期総会で▽原発の新増設計画をすべてとりやめる▽現存する原発は年次計画をたて操業停止・廃炉にする▽自然エネルギー、再生エネルギー利用に向けて転換する――方針を決め、近く、政府、電力各社などに要請する。

日本被団協は1956年、結成宣言で「破壊と死滅の方向に行くおそれのある原子力を決定的に人類の幸福と繁栄との方向に向かわせるということこそが、私たちの生きる限りの唯一の願いです」と原子力の平和利用を支持した。その後も「自主・民主・公開」の平和利用基本三原則を守り、安全対策を求める立場を維持した。反原発を(これまで)訴えなかった理由について

「核兵器廃絶と原爆被害者への国家補償に全力を尽くしてきた。原発反対を唱えて力を分散しないように、との思いもあった。原子力平和利用への期待感もあった。原発産業で働く被爆者もいたのでその生活にも配慮した。しかし被爆者の平均年齢は77歳で、原発労働者もいない」「福島第一原発の事故で決定的に変わったのは、多くの住民がヒバクシャになったことだ。人間のなしたわざで新たな放射能を浴びることは絶対にあってはならないことだ。核兵器使用でそんなことが二度と起こらないように、と思っていたが、原発で起こってしまった」

「原爆被爆者と福島の被曝者は確かに違うところもある。原爆は熱線と爆風で壊滅した。だが、生き残った人は爆発による放射線の晩発障害がいつ起こるか今日まで苦しんでいる。放射性降下物による内部被曝の影響がどう出るかわからない不安も続いている。こういった点は福島の被曝者と共通している。ヒバクシャへの差別も同じように起こっている」、「ヒバクシャが一緒に話す機会を作りたい」

その3カ月前(5月7日)田中さんたちは福島県庁を訪れ、原発被曝者に「被曝者健康手帳」を配布し被曝の日時や状況を書いておくよう助言した。広島、長崎の被爆者の体験から、将来人体に何らかの障害が発生した時に国の補償がえられるかどうかの手がかりになるからである。

県庁の人たちの反応は意外であった。原発の被曝者が広島・長崎の被爆者と同じように受けとられると「差別」されかねない、だから地元の記者たちとも会わず黙って帰ってほしいといわれた。「差別」とは被曝者への村八分とか遺伝子に異常が発生する可能性のある被曝者とは結婚しないといったことである。(その後多くの町村で被曝手帳が配布されているようである)。田中さんは被爆者の長い体験から「事実と向き合い真実を語ることこそ大事だ」と明言した。それはまた「メディアの責任だ」とも強調されていた。
(引用終わり)

これを読むと、被団協という団体の身勝手さが目についてしまうだろう。何という見識、節度のない団体なのだろうと。まず福島県民を勝手にヒバクシャに祭り上げるとは、この事務局長はほんとうに被爆者なのかと疑いたくなるだろう。福島県庁の職員が見せたとされる反応は、わたしにはよく理解できる。それから、原発で働く原爆被爆者がいなくなったから脱原発に方針変換したのだと? 正直でいいが、失笑を呼ぶ話だ。

被爆者団体は原爆の恐ろしさ悲惨さを強調することが仕事のひとつだ。だから、放射線被曝はたいしたことない、とは間違っても公式には言わない。被害者意識が強ければ強いほど現実の被害をより大きく見せようとする。自分の釣った魚の大きさを過小に言う人は少ない。被曝影響を否定すれば、自分たちの立場を失う。よって、多くの自称「ヒバクシャ」は被害を過大申告する。カエルの寓話がおきる。

しかし、広島や長崎で被曝した人がみんな急性放射線障害や晩発性障害を起こしたわけではないことは、現実を見ればハッキリしている。被曝した程度が重ければ早い時期に悪性の発病をして命を失った。が、その数は全体の被爆者のなかでは非常に少なかった。そうでなかった人は実際にはふつうの人と同じように生きて、ふつうと同じように病気にかかって、ふつうと同じように寿命を迎えた。浴びた線量の大きくないほとんどの被爆者は何ごともなく人生を送った。長生きして今も生存しているとすれば、そのこと自体、浴びた放射線の医学的影響がなかったことの明らかな証明ですらある。

広島・長崎で被爆したあと、長く生きてきた人であればあるほど、差別や偏見につながる危険のあおりたては絶対してはならないのだ。福島の事故が起こった今は、放射線の病理影響を過度に強調してはいけない責任と義務がある。それこそ「事実と向き合い真実を語ること」というものだろう。『ヒロシマ・ノート』の松坂氏は、被爆した人間としてそのことを強く意識していた。1960年代の半ばでだった。それから40年以上の歳月が流れた。

松坂氏の願いにもかかわらず、今の現実は最悪と言ってもいい。原爆投下から60数年も経っているというのに、いまだ原爆症の認定を求める訴訟をつづけてきた人たちが少なからずいる。被爆者として認めろ、というのだ。そこまでして被害者ヅラしたいのだろうか。21世紀にもなってそれを支援する人たちさえいる。被爆者団体とその支援者をここでつよく非難しておこう。それはタカリにすぎない恥ずべき行為だ。ついでに、「被爆医師」として90歳過ぎても健在で放射能デマを流しつづけている肥田舜太郎氏はさらに悪質だ、ということもつけ加えておきたい。

・・・・

こんなふうに思うとき、今の広島市長のことがわたしの頭にある。松井一実市長は戦後生まれでいわゆる被爆二世。実母が被爆したという。この章の最後に、松井市長の発言をめぐって去年夏に起きたささいな「事件」を紹介しておこう。福島の風評被害補償や「自主避難」賠償問題なども思い出しながら・・・

松井市長発言要旨6月17日の中国新聞の記事

被爆2世といわれても、親子関係でそんなに原爆の話をしとる人は多くないと思う。親は何も言わんですもんね。人生の終わりごろになって、これはちょっと言うとかないといかんかな、とぽろっと言う。

原点は嫌だということ。その中で運動が起こったけど、本当に嫌な人は黙っとった。一番ひどいのは原爆で死んだ人。何も言えんのじゃけえ。残った人は死んだ人に比べたら助かっとる、と言うことをまず言わんのんですね。悲劇だ、悲劇だと。それはねえだろうと。

黒い雨とか何とかでね、わしは被爆じゃけえ医療費まけてくれとかね、広げてとかね。悪いことじゃないんですよ。でも死んだ人のこと考えたら、そんなに簡単に言える話かなと思いますけどね。

全体として許される中で、ちょっとずつ助けてもらうということはええことだと思うんです。みんなが納得しながら「やってやりましょう」というのを いただく、という感じじゃないと。なんか権利要求みたいに「くれ、くれ、くれ」じゃなくて「ありがとうございます」という気持ちを忘れんようにしてほしい が、忘れる人がちょっとおるんじゃないかと思う。そこが悔しいんですよね。感謝しないと。

産経新聞 2011/06/17

広島市の松井一実市長が被爆者と面会した際、被爆者援護策に関し「権利要求みたいに『くれ、くれ、くれ』じゃなくて、感謝の気持ちを忘れんようにしてほしいが、忘れている人がちょっとおる」などと発言したことが17日、わかった。原爆が投下された8月6日の平和記念式典を前に、被爆者団体などに反発が広がる一方、「勇気ある発言」と支持する声も上がった。

市などによると、松井市長は16日に被爆体験記を執筆した被爆者の男性と市役所で面会。男性が「爆心地から4キロ離れたところで『被爆者』というのは後ろめたいものがあった」と語ったのに対し、「一番ひどいのは原爆で死んだ人。残った人は死んだ人に比べたら助かっとる、ということをまず言わんのですね」などと応えたという。

発言について、広島県「黒い雨」原爆被害者団体連絡協議会の高野正明会長(73)は「国の専門家会議が援護区域見直しを進めている中で水を差す発言」と抗議した。これに対し、松井市長は17日夜、被爆者団体との懇談会で「(発言が)間違いだと言われるのは納得がいかない」と話しながらも、「被爆者援護が国民の『分かち合い』で成り立っていることへの感謝を忘れてはならない、との趣旨で話した。誤解を与えたことにはおわびしたい」と釈明。被爆者援護策の拡大を求める市の姿勢に変わりはない、と理解を求めた。

松井市長は被爆2世。厚生労働官僚を経て4月の市長選で初当選した。

「平和と安全を求める被爆者たちの会」会長で被爆2世の医師、秀道広さん(53)は「多くの人々の支えに感謝するのは当然。広島は『平和』の名の下で自由に発言できない雰囲気があり、勇気を持った発言と思う」と評価した。



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