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クリティカル・ミニの最近のブログ記事

雪にふりこめられる季節は、例年のようにオツムの充電です。今年は今のところ暖冬なので、どちらかというとヒマ。雪下ろしも畑の果樹の雪落としも不要。楽でいいが、この後が心配ではある。どカーッと来るかも。逆に雪が少なすぎるのもほんとはマズイ。ものごとは、ほどほどでないといけない。

もうすっかりハードウェアが古くなって劣化してるので、3日も経てばバッテリー上がりを起こします。それでも頑張って読書。

『昭和史』 上下巻をざっくり読了。

あらためて自分の人生(の前半部)に影響を与えてきた時代のことを振り返ってみるのは、なかなか有意義だと思う。まあ、それだけ年をとってしまったという事でもあるが、残念ながら。それに、自分がその真っ只中にいるときは、その全体が見えないものだからね。

つづけて、ただいま 『文明と戦争』 上下巻に突入中。

やっぱり長い間、「平和」だったこの国も、経済的な没落がじわじわ迫ってきているのは誰も否定できない時代の流れ。そのせいで、東アジアのパワー・バランスは経済的にも軍事的にも激しく流動化しつつある。で、これからどうするのか、よくよく考えて行かないといけませんなあ。。。若い人は大変だ。ちゃんとしてくれよ。
わが家は毎年、ふじリンゴの贈答品に手作りのチラシを入れている。その年その年のいろんな話題を自分なりに書いて入れているものだ。その今年版の一部をここに転載する。ツイッターでも書いたやつ。

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『今年の果物栽培をふりかえって』

去年もそうだったのですが、最近は9月10月の気温が高く、秋に収穫期が来るりんごにとっては、色づきや蜜入りがおそくなるという困ったことになってきています。秋の高温はりんごを成熟させるよりも若返らせてしまいます。人間が若返るのはありがたいですが、果物は適当な時期に老熟しないといけません。おいしく熟すこととは立派に老化することだからです。

たとえば、モミジの紅葉の時期が近年、遅れるようになっています。果実の成熟と同じことで、秋のメリハリある気候、昼夜の寒暖の差が失われつつあるからです。

yonezawa1103nissyojikan1.jpg地球の温暖化で台風の巨大化や豪雨、突風竜巻・・と目に見える被害がいろいろ騒がれます。りんごの生育という一般の人にはわからない、果樹畑のなかで、その影響がでていることを、皆さんにも知っていただきたいと思います。

右のグラフは、米沢11月3日の天気と一日の日照時間を示しています。1976年から今年までのデータです。11月3日はご存知、「文化の日」です。この日は晴の特異日といわれて、日本全国快晴!! というのが定説でした。

ところが21世紀になって、晴れの日が明らかに減ったのが分かります。しかも、20世紀は、同じ晴れでも雲ひとつ無い秋晴れの日が多かったことにも気づきます。たぶん、皆さんのお住まいの地域でも、グラフ化すると同じ傾向が出るのではないでしょうか。

地球の気候がおかしくなっているひとつの表れが、こんなところにも出ているわけです。

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以上引用おわり。

こういうふうにグラフ化してみると、地球に起きている不気味なことが見えてきそうだ。

原発事故よりも、はるかに恐ろしいことだと思う。まったくコントロール不能だから。
事故は抑える余地がいくらでもある。しかし、気候の暴走は止める方法がない。

きのうから急に我が家のウェブ・アクセスがはねあがった。なんだなんだと思ったら、"奇跡のりんご"ネタだったんだね。

https://real-apple.sakura.ne.jp/BLOG_new/2009/03/post-194.html

まあ、映画が公開されているらしいから、時節柄こういうネタに多くの人が食いつきたがるのは分かる。しかし、このネタはもう4年も5年も昔の話なので、今さら何よ、という感じは否めない。

他人のことはどうでもいいんだが、農家にとっては「奇跡」はぜんぜん必要ない。えらい宗教家にとっては「奇跡」のひとつもないと誰も信者が寄ってこないのだろうが、農家は日々の当たり前の暮らしが大切なので、ミラクルな農業なんか要らないんだなあ。平凡に、粛々と、良いりんごが安定して収穫できさえすればそれで良いのだ。ひとりの専業農家としてあえて言えば、「奇跡」から学べることは残念ながらひとつもなかった。それだけのこと。それに、わたしらは道楽で農業してるわけではないしね。

「奇跡」を信じることを止めはしないけど、信じることは必ずしも人を幸せにするとは限らない。尊師が空中浮揚でもして見せたら大喜びする信者もかつてはいた。オカルトチックな話に釣られるのはインテリが多いとも聞く。ナントカ真理教のときもそうだった。くそ真面目な人も信者になりやすい。。。あれと同じ。せいぜい気をつけてくださいませ。

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補足。
有袋はともかく、もうひとつ気になったのが葉っぱのこと。

木村秋則オフィシャルホームページ http://www.akinorikimura.net/gallery


ここの写真でふじリンゴの樹に葉っぱが無くて果実だけがぶら下がっている。向こうが丸見え。これはたぶん食酢では夏場の葉っぱの病気を防ぐことが出来ないので、秋に早々と落葉してしまったせいじゃないかな。早く葉っぱが散ってしまっては果実に良いわけがない。健康な葉っぱこそ美味しいりんごを熟させる必要条件。ほんと、葉っぱは大事だ。

fuji2012nov13-3.jpg比較のためにわが家の収穫期11月中旬の写真が右。黄葉が始まってるが、りんごの樹の向こうがぜんぶ透けて見えるようなことはない。ふつうのりんご園は、どこでもみんな収穫期でも葉っぱは付いている。葉っぱがすべて落葉するのは、収穫もぜんぶ終わったあとの12月、雪が積もるようになってから。
1月19日に、米沢市で「ニホンザル被害対策研修会」があったので参加してきた。

で、野生動物とどう向き合うか。このテーマについて書こうと思ったが、当然のこと、なかなか難しい。我が家は毎年サクランボ畑にサルがやってくるので、きれい事は書きたくない。

山形、福島。宮城3県の関連18市町村で構成される「南奥羽鳥獣害防止広域対策協議会」が主催。山形から獣医師の東英生氏、福島県農業総合センターの大槻晃太氏、宮城・野生動物保護管理センターの宇野壮春氏がそれぞれ講演した。

山形の東氏は、サルを防ぐには鉄砲使った駆除や電気柵ではもうムリ、里山にイヌを放し飼いにしろ。それを決断する時だ、と壇上からアジッた。

以下は東氏の資料や講演を参考にしているが、同氏の見解をそのまま書いたものではないので、誤解のないように。あくまで私なりの理解の仕方。
keyword.jpgこの年末年始10日間ほどのあいだ、我が家のウェブに来た人の傾向について、軽く考察。

右の図は検索キーワードの統計データをグラフにしたもの。上位10番目までを示している。季節もので「年賀状 廃止」と「りんご 剪定」が目立つ。

まず年賀状廃止。これは日本人の「永遠のテーマ」ともいえる年賀状問題。この時期、いかに人々を悩ませているのかということの表れだ。やめたがっている人は少なくない。どうしたらいいか困っている人がいる。あなたもこのキーワードで試しに検索してもらうと、我が家のブログがヒットする。

わたしが言いたいのは、たんに正月は新暦で祝うものではないという点だけだ。旧暦で祝ったらいいよ。これに尽きる。年賀状廃止はしなくてもいい。年賀状は「虚礼」だから廃止しよう、など言うのはピント外れだ。礼儀とは本質的に「虚礼」だと思うからだ。儀式はどんなものであれ一種のフィクションであって、実体ではないし、実体である必要はない。そもそも「お早う」だって「今日は」だって中身なんかはない。中身を論じてもしょうがない。「だから必要ない」とはならない。

つぎはリンゴの剪定。果樹の休眠期が剪定のシーズンだ。雪がない地方はもう始めているだろう。雪国はもう少し後だ。これについては、なんでインターネットでこんなことを調べようとするのか、わたしには理解できない。10日くらいのうちに30人を超す人がリンゴの剪定というキーワードでやって来た。何なのだろう、この人たちは。去年まではこんな現象は無かった。

剪定は畑でやるものだ。ハサミとノコギリを握ってやるものだ。パソコンを使って学ぶ仕事ではない。インターネット上で剪定の勉強ができるわけがない。そう思うのが当たり前だと思うが、そうではなく思う人が世の中にはけっこういるらしい。不思議なことだ。

新しくリンゴ作りを始めようという人が世の中にそれだけ数多くいることの証拠だ、と思えば、その意味では大変結構なことだろう。いわゆる新規就農者というやつだ。それとも企業が不況で農業分野に新規参入しようとしているのか。

しかし、こういう人たちがいるという事実は、その人の身の回りに剪定を教えてくれるプロのリンゴ農家がいないこと、リンゴ畑がないことの表れだとも言えるのだ。つまりリンゴ産地ではない人がリンゴ作りをしようとしているのではないか。まったくの個人的趣味でリンゴ栽培をしようとしているのではないか。だからインターネットなんかから教えてもらおうとする。とすれば、つまらない話だ。


2010年もあっという間に過ぎていく。いろんなものがガラガラと崩れていった。崩れた果てに何が見えるかというと、何も見えない。

今年は、インターネットというメディアが情報の主戦場だという現実を、ひろく目の前に見せてくれる年になった。例の尖閣ビデオ問題はもちろん、ジュリアン・アサンジ氏の Wikileaks はさらに進行中の世界的事件。これらを通じて、古いメディアにしがみつくことしかできない人たちの無様な姿をこれほど世間にさらしたこともなかっただろう。

下は、スウェーデンSVTの最新ドキュメンタリー『ウィキリークスの反乱』



ニッポンの古いメディアとは大新聞社、大テレビ局のこと。これらを間に介さずに、加工編集されない生の情報を視聴者一般人にそのままとどける。それがネットの最大の強み。新聞とテレビしか見ない人々には真の情報が見えない、という面白い状況が生まれてきた。新聞テレビの痴呆化現象だ。



ついでに、テレビ界のスーパースター・みのもんた氏については以下をどうぞ。
「朝ズバ ねつ造」

この流れは来年さらに加速していくだろう。




ちょっと時季外れになったが、10月10日はかつて東京オリンピックの開会式が行われた記念すべき日。

このブログで今年の2月、スノーボード國母『腰パン』騒動について書いた。そこで、東京オリンピックの入場式では、日本人選手団がハイル・ヒットラーのような行進をした、というようなことを書いた。わたしの記憶は確かにそうだった。小学校5年だったか6年だったか、学校が早く終わって、先生が「家に帰って開会式を見なさい」というようなことを言ったのを覚えている。家のテレビでみんなが見た。

で、記憶はそうなのだが、確認しようと当時の映像をインターネットで探してみた。しかし、「ハイル・ヒットラー」している日本選手団の姿を見つけることが出来なかった。記憶違いだったのだろうか、そんなはずはないのだが。覚えている人はいないかなあ。

監督・市川
東京オリンピック開会式(ニコニコ動画)

10月10日、元祖「体育の日」は東京オリンピック開会式の象徴でもあった。あの日は快晴だった。

この体育の日を10月の第二週月曜日に法律で変えてしまったとき、日本人の価値観はある意味で壊れた。変えたから壊れたのではなくて、もうすでに壊れてしまっていたから変えたのだろう。10月10日という、戦後日本の「歴史的日付」を日本人は捨てた。東京オリンピックが持っていた、晴れやかな日本の「よき時代」、そのシンボルとしての10月10日を捨てた。(1998年の祝日法改正)

このことの意味は、2010年の今、ふりかえると、非常に重いものがあるように感じる。ちょっと大げさかもしれないが、1990年代以降の衰退、漂流する日本がそこにある。暗い雲のたれ込めてしまった日本がある。体育の日はただの休日のひとつでしかなくなった。何月何日でもいいから休みでありさえすればいい。連休にしさえすればいい。休みを増やせばいい。日本国民よ仕事はするな。遊びに行け。カネを使え。

市川の東京オリンピック記録映画は、完成した後、小学校の時か中学生になってからか忘れたが、映画館で観たことがあった。ひょっとして学校で映写会があったかもしれない。ニコニコ動画であらためて見直してみると、あのころの日本と日本人、それに米ソの二極世界が鮮やかに見えるだろう。時代の空気や風の色さえよみがえってくるだろう。

その日本も、日本人も、世界も、今はない。
誰かがヨーゼフ・Kを誹謗したにちがいなかった。なぜなら、何もわるいことをしなかったのに、ある朝、逮捕されたからである。
フランツ・カフカ 『審判』 のあまりにも有名な書き出し(原田義人・訳)。これに 『ある流刑地の話』 を加えれば現代ニッポンが見えるかもしれない。

前回13日付けのブログで、東京第5検察審査会が4月と9月の二度、小沢一郎起訴相当の議決をした件について書いた。二度の検察審査会審査員はまったく別の顔ぶれという前提で書いたのだが、この11人が全員再任された同一の11人ではなかったか、という推理をした人がいた。

『検察審査会の審査員平均年齢の謎 審査員は1回目と同じではないのか!?』

なるほどね。十分あり得る話だ。

このブログでも、ツイッターでも、わたしは何度も書いてきているが、審査員は、くじで選ぶとか、任期が半年で入れ替わるとか、まったくのウソだ。「もう絶対にやめる!」と意思表示しなければ何度でも再任される。結果、我が家の爺さんは30年も何年も審査員をやらされている。何期も再任されている委員はめずらしくない。この制度運用のでたらめ実態をマスメディアはまったく報道も追求もしていない。ジャーナリストも評論家(立花某など)も法律学者も同じ。国会議員も同じ。アホとちがうか。

こういう幽霊のような、魑魅魍魎の審査会が日本の政治を左右していることのおぞましさ。小沢一郎だけが特殊なわけではなくて、それはJR福知山線脱線事故の議決でも、明石花火大会事故での議決でも同じことが言える。

分別もわきまえない11人を集めれば、訳の分からない理屈でもって人を被告人席にむりやり突き出すこともかんたん。朝日新聞始めマスコミがおだてあげる「市民目線」とかいう、無責任な感情が優先する空気のなかで、匿名の人たち、どこの馬の骨だか知れない11人の多数決で人一人の人生を変えてしまうことができてしまうのだからね。日本の人権状況は中国か北朝鮮以下か。

付け加えておくと、検察審査会の背後にあるのは最高裁判所事務総局(Wikipedia)という、検察庁とならぶ最強の国家権力機関。これが「顔のない国家権力」の正体。顔のない権力は、空き地で人をイヌのように処刑する。跡形もなく。

20代、30代のアホさ加減の分析はまた後で。

郷原信郎弁護士と櫻井敬子教授(学習院大学)の解説レクチャー:
検察審査会システムの憲法違反の可能性に言及。審査会議事録の開示請求についても解説。






naragare20100810-2.jpg去年の夏、このブログにナラ枯れについて書いた。飯豊山麓の小国町にひろがる深刻なナラ枯れ現象のことだ。

『奥山に異変が進行している』(2009年8月)


それが今年、我が家の近くでも、どっと一気に現実化した。右の写真、赤茶けた樹が点々と見える。コナラ、ミズナラ系の、要するにドングリがなる種類の木々が突然死する。

naragare20100810-3.jpg山にドングリがなくなれば、何が起きるか。

時をかける少女

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これといってネタもない今日この頃。

tomoyo.jpg原田知世のなつかしい映画『時をかける少女』を見てみる。Gyao
1983年公開ということだから、ちょうど米沢に来る前の年か。まだ東京にいた。もちろん、当時は映画を観ていない。まるっきりの「少年少女映画」、だからね。それに、そのころは仕事に追いまくられていて映画を見る余裕も何もなかった。

H.G.ウェルズの『タイムマシン』もそうなのだが、時間の物語というのは独特の雰囲気をもっているものだ。それを見ている者自身のこころのなかに、自分が持っている時間のいろんな記憶をよみがえらせてくる。松任谷正隆の音楽のせいもあって、妙にノスタルジック。

尾道の風情も昭和そのものだ。わしは生まれが味噌、漬物、佃煮やらの製造卸屋だったから、「吾朗ちゃん」の家の醤油樽がならぶ情景なんかは、どことなく共通する懐かしさも感じる。昭和30年代まで、味噌や醤油や酒粕のにおいのなかで子供のころを過ごしたからだ。

「時かけ」の原作者は筒井康隆。最近『アホの壁』という本を出したので、購入済み。そのうち読む。
追加補足:これ読んでみたが面白くなかった(3月10日)。

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