東京オリンピックと体育の日

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ちょっと時季外れになったが、10月10日はかつて東京オリンピックの開会式が行われた記念すべき日。

このブログで今年の2月、スノーボード國母『腰パン』騒動について書いた。そこで、東京オリンピックの入場式では、日本人選手団がハイル・ヒットラーのような行進をした、というようなことを書いた。わたしの記憶は確かにそうだった。小学校5年だったか6年だったか、学校が早く終わって、先生が「家に帰って開会式を見なさい」というようなことを言ったのを覚えている。家のテレビでみんなが見た。

で、記憶はそうなのだが、確認しようと当時の映像をインターネットで探してみた。しかし、「ハイル・ヒットラー」している日本選手団の姿を見つけることが出来なかった。記憶違いだったのだろうか、そんなはずはないのだが。覚えている人はいないかなあ。

監督・市川
東京オリンピック開会式(ニコニコ動画)

10月10日、元祖「体育の日」は東京オリンピック開会式の象徴でもあった。あの日は快晴だった。

この体育の日を10月の第二週月曜日に法律で変えてしまったとき、日本人の価値観はある意味で壊れた。変えたから壊れたのではなくて、もうすでに壊れてしまっていたから変えたのだろう。10月10日という、戦後日本の「歴史的日付」を日本人は捨てた。東京オリンピックが持っていた、晴れやかな日本の「よき時代」、そのシンボルとしての10月10日を捨てた。(1998年の祝日法改正)

このことの意味は、2010年の今、ふりかえると、非常に重いものがあるように感じる。ちょっと大げさかもしれないが、1990年代以降の衰退、漂流する日本がそこにある。暗い雲のたれ込めてしまった日本がある。体育の日はただの休日のひとつでしかなくなった。何月何日でもいいから休みでありさえすればいい。連休にしさえすればいい。休みを増やせばいい。日本国民よ仕事はするな。遊びに行け。カネを使え。

市川の東京オリンピック記録映画は、完成した後、小学校の時か中学生になってからか忘れたが、映画館で観たことがあった。ひょっとして学校で映写会があったかもしれない。ニコニコ動画であらためて見直してみると、あのころの日本と日本人、それに米ソの二極世界が鮮やかに見えるだろう。時代の空気や風の色さえよみがえってくるだろう。

その日本も、日本人も、世界も、今はない。

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