1月19日に、米沢市で「ニホンザル被害対策研修会」があったので参加してきた。
で、野生動物とどう向き合うか。このテーマについて書こうと思ったが、当然のこと、なかなか難しい。我が家は毎年サクランボ畑にサルがやってくるので、きれい事は書きたくない。
山形、福島。宮城3県の関連18市町村で構成される「南奥羽鳥獣害防止広域対策協議会」が主催。山形から獣医師の東英生氏、福島県農業総合センターの大槻晃太氏、宮城・野生動物保護管理センターの宇野壮春氏がそれぞれ講演した。
山形の東氏は、サルを防ぐには鉄砲使った駆除や電気柵ではもうムリ、里山にイヌを放し飼いにしろ。それを決断する時だ、と壇上からアジッた。
以下は東氏の資料や講演を参考にしているが、同氏の見解をそのまま書いたものではないので、誤解のないように。あくまで私なりの理解の仕方。
で、野生動物とどう向き合うか。このテーマについて書こうと思ったが、当然のこと、なかなか難しい。我が家は毎年サクランボ畑にサルがやってくるので、きれい事は書きたくない。
山形、福島。宮城3県の関連18市町村で構成される「南奥羽鳥獣害防止広域対策協議会」が主催。山形から獣医師の東英生氏、福島県農業総合センターの大槻晃太氏、宮城・野生動物保護管理センターの宇野壮春氏がそれぞれ講演した。
山形の東氏は、サルを防ぐには鉄砲使った駆除や電気柵ではもうムリ、里山にイヌを放し飼いにしろ。それを決断する時だ、と壇上からアジッた。
以下は東氏の資料や講演を参考にしているが、同氏の見解をそのまま書いたものではないので、誤解のないように。あくまで私なりの理解の仕方。
シカ、イノシシ、サルについては農作物の被害が増えつづけているため、駆除数がここ数年急増している。右グラフは全国のデータ。とくにシカとイノシシは年間10万頭を突破、サルも1万頭を越えて駆除は増え続けている。(以下のグラフ・表はいずれも東英生氏による)
しかし、シカ、イノシシの駆除数が増えているのにもかかわらず逆に動物の生息地域は広がって、しかも被害は減らない。そういう現象が起きている。とくに中日本・西日本ではひどいらしい。
例えば、シカやイノシシの被害に手を焼く大分県豊後大野市でのオオカミ導入構想。
「オオカミでイノシシ駆除」(読売新聞2010年12月30日)
「シカ食害対策にオオカミ復活要望」(下野新聞2010年9月3日)
その一方で狩猟免許を持つハンター人口は減り続けている。しかも超高齢化だ。狩猟免許所有者のうち60歳以上は60%、50歳未満で言うとわずかに14%(2008年実績)。1970年は50歳以上が22%しかいなかったことをみても、もう年寄りハンターばかりの世界になったことが分かる。まさに猟師こそ絶滅危惧種。
山形県など東北地方は雪が多いこともあって、イノシシはほとんど生息できない。シカの害も無い。農作物被害はサル、カモシカ、ハクビシン、ハタネズミが主体だ。しかし、サルもカモシカも数十年前まではほとんど被害がなかったと言われている。目撃されることも滅多になかった。それが年々人里のあちこちに出てくるようになってきた。カモシカというと高山地帯の動物のイメージがあるが、そんなことはない。人家の近くに平気でやってくる。
右のグラフを見ても、この20年足らずのあいだに急増したのがはっきりしている。もちろん、100年前に日本の山からオオカミが絶滅して、シカやサルなどを捕食する動物が1匹もいなくなった。その生態系の狂い、ゆがみが大きな背景としてはあるだろう。とは言っても、これは自然の変化だけでは説明できない。人間側の問題にも原因があると考えなければならない。
おそらく、中山間地の過疎高齢化がどんどん進んで、野生動物が人里に出てきやすくなったことが一番の原因だろう。もはやサルに敵なし。我が家の近辺でも、ちょっと山の方へ行けばサルの群れが民家の周りを悠々と歩き回っているのを見ることが出来る。ある地区では、年寄りばかりで、人間の方がオリの中に入って暮らしているみたいなところさえある。
グラフではここ3,4年、被害が減ってきたと見えるが、被害を出さないために、農家自身が時間とコストをかけて必死に防衛していることもあるだろう。我が家も、サクランボのサル防御にはここ数年、相当な負担を感じている。果物は食べられたら帰っては来ないし、お客だって失うのだ。被害を出したらお終いなのだ。それと重要なのは、むしろ被害地域がもう耐えられる限界を超えて、農業をあきらめた、耕作を放棄、壊滅してしまったという事情も考慮しなければならない。日本の中山間地集落の崩壊がこの裏にある。
このことは、その下の図でも言える。昔は県境の奥山でしかサルは目撃されなかったが、山里が荒れるにつれてサルは里へ里へと勢力を広げてきた。1970年代に黄色の山奥しか見られなかったサルが赤、緑、2010年には青まで広がった。とうぜん、人間とぶつかることになる。
獣医師の東氏によれば、「駆除→被害減少」という常識が壊れつつあるという。これについて東氏は下表のような分析説明をした。
つまり、鉄砲で駆除してもそれは一時的にサルの数が減るが、むしろサルの群れの安定を崩すことになって強いストレスを与えることになる。そこで、サルの側にパイオニア型と呼ぶ、攻撃・収奪型行動、いわばガラの悪い連中がどっと生まれてくる。若く、繁殖力も強い。それはあたかも戦後のベビーブームにも似ている。
これが近年のサル勢力拡大を引き起こしている、と東氏は言うのだ。駆除の限界が見えた、ということだ。だから、イヌの放し飼いをしろと唱える。山里にイヌが歩き回っていることで、サルもクマも近寄れなくなる。すると、イヌを放し飼いにすると言うと、人が噛まれたらどうするんだ、という反対意見が必ず出る。しかし、そんなことを言っている場合ではないよ、今や、というのが氏の主張。
この、人が噛まれる危険、リスクというやつは、ほとんどオオカミ導入計画とも共通している、反対論の典型的パターンだ。リスク・ベネフィット論。危険性と利益とのかねあい。オオカミの危険を言うのであれば、同様にイノシシもクマも人を殺傷する可能性を持っていることも無視するわけに行かない。
自動車にも人が死ぬリスクはある。リスクは何事にもともなう。たぶん、人間、生きていてオオカミにかみ殺される確率より車で死ぬ確率の方がケタ違いに大きいのではないか。ヒグマの棲む北海道を考えてもいい。ヒグマは危険だから絶滅させろという話はあまり聞いたことがない。北海道は自動車事故が多いことで有名だ。土地が広いから飛ばすので危ない。しかし車の導入反対を言う人は今どきいない。ハッキリ言えば、人間が車で年間何千人死のうと仕方ない。という話だ。されど車は必要だ。そういう問題でもある。
オオカミ導入構想をめぐっては、賛否が両極端に分裂している。山にオオカミ、里にイヌ。イヌの放し飼いのほうがまだ穏やかな話だが、基本的にはよく似た構造だ。そして、オオカミにしろイヌにしろ、導入反対論にはそれに代わる有効な対案があるようには見えない。栃木に住むわたしの友人は森林と野生動物の専門家だが、導入賛成派だ。「トキやコウノトリの復活はよくて、なぜオオカミの復活はだめなの?」「人に優しい自然なんか求めてはいけない。自然は優しくないよ」と。『もののけ姫』はオオカミにまたがって現れるのだ、と。
年間10万頭20万頭を超える駆除数。数字を見れば、もう、これは戦争だ。都会からは見えないが、これはほとんど里山戦争。それでも減らないシカ、イノシシ、サル。人間側はと言えば、ハンター人口は年々減っていく。鉄砲撃ちが期待できないのでワナで捕殺の方が増えていく。残った数少ない年寄り猟師たちにサル、シカ、イノシシを殺しまくれ、と号令をかけたって限界は見えている。哀れ、淵沢小十郎・・・・。
しかし、シカ、イノシシの駆除数が増えているのにもかかわらず逆に動物の生息地域は広がって、しかも被害は減らない。そういう現象が起きている。とくに中日本・西日本ではひどいらしい。
例えば、シカやイノシシの被害に手を焼く大分県豊後大野市でのオオカミ導入構想。
「オオカミでイノシシ駆除」(読売新聞2010年12月30日)
「シカ食害対策にオオカミ復活要望」(下野新聞2010年9月3日)
その一方で狩猟免許を持つハンター人口は減り続けている。しかも超高齢化だ。狩猟免許所有者のうち60歳以上は60%、50歳未満で言うとわずかに14%(2008年実績)。1970年は50歳以上が22%しかいなかったことをみても、もう年寄りハンターばかりの世界になったことが分かる。まさに猟師こそ絶滅危惧種。
山形県など東北地方は雪が多いこともあって、イノシシはほとんど生息できない。シカの害も無い。農作物被害はサル、カモシカ、ハクビシン、ハタネズミが主体だ。しかし、サルもカモシカも数十年前まではほとんど被害がなかったと言われている。目撃されることも滅多になかった。それが年々人里のあちこちに出てくるようになってきた。カモシカというと高山地帯の動物のイメージがあるが、そんなことはない。人家の近くに平気でやってくる。
右のグラフを見ても、この20年足らずのあいだに急増したのがはっきりしている。もちろん、100年前に日本の山からオオカミが絶滅して、シカやサルなどを捕食する動物が1匹もいなくなった。その生態系の狂い、ゆがみが大きな背景としてはあるだろう。とは言っても、これは自然の変化だけでは説明できない。人間側の問題にも原因があると考えなければならない。
おそらく、中山間地の過疎高齢化がどんどん進んで、野生動物が人里に出てきやすくなったことが一番の原因だろう。もはやサルに敵なし。我が家の近辺でも、ちょっと山の方へ行けばサルの群れが民家の周りを悠々と歩き回っているのを見ることが出来る。ある地区では、年寄りばかりで、人間の方がオリの中に入って暮らしているみたいなところさえある。
グラフではここ3,4年、被害が減ってきたと見えるが、被害を出さないために、農家自身が時間とコストをかけて必死に防衛していることもあるだろう。我が家も、サクランボのサル防御にはここ数年、相当な負担を感じている。果物は食べられたら帰っては来ないし、お客だって失うのだ。被害を出したらお終いなのだ。それと重要なのは、むしろ被害地域がもう耐えられる限界を超えて、農業をあきらめた、耕作を放棄、壊滅してしまったという事情も考慮しなければならない。日本の中山間地集落の崩壊がこの裏にある。
このことは、その下の図でも言える。昔は県境の奥山でしかサルは目撃されなかったが、山里が荒れるにつれてサルは里へ里へと勢力を広げてきた。1970年代に黄色の山奥しか見られなかったサルが赤、緑、2010年には青まで広がった。とうぜん、人間とぶつかることになる。
獣医師の東氏によれば、「駆除→被害減少」という常識が壊れつつあるという。これについて東氏は下表のような分析説明をした。
つまり、鉄砲で駆除してもそれは一時的にサルの数が減るが、むしろサルの群れの安定を崩すことになって強いストレスを与えることになる。そこで、サルの側にパイオニア型と呼ぶ、攻撃・収奪型行動、いわばガラの悪い連中がどっと生まれてくる。若く、繁殖力も強い。それはあたかも戦後のベビーブームにも似ている。
これが近年のサル勢力拡大を引き起こしている、と東氏は言うのだ。駆除の限界が見えた、ということだ。だから、イヌの放し飼いをしろと唱える。山里にイヌが歩き回っていることで、サルもクマも近寄れなくなる。すると、イヌを放し飼いにすると言うと、人が噛まれたらどうするんだ、という反対意見が必ず出る。しかし、そんなことを言っている場合ではないよ、今や、というのが氏の主張。
この、人が噛まれる危険、リスクというやつは、ほとんどオオカミ導入計画とも共通している、反対論の典型的パターンだ。リスク・ベネフィット論。危険性と利益とのかねあい。オオカミの危険を言うのであれば、同様にイノシシもクマも人を殺傷する可能性を持っていることも無視するわけに行かない。
自動車にも人が死ぬリスクはある。リスクは何事にもともなう。たぶん、人間、生きていてオオカミにかみ殺される確率より車で死ぬ確率の方がケタ違いに大きいのではないか。ヒグマの棲む北海道を考えてもいい。ヒグマは危険だから絶滅させろという話はあまり聞いたことがない。北海道は自動車事故が多いことで有名だ。土地が広いから飛ばすので危ない。しかし車の導入反対を言う人は今どきいない。ハッキリ言えば、人間が車で年間何千人死のうと仕方ない。という話だ。されど車は必要だ。そういう問題でもある。
オオカミ導入構想をめぐっては、賛否が両極端に分裂している。山にオオカミ、里にイヌ。イヌの放し飼いのほうがまだ穏やかな話だが、基本的にはよく似た構造だ。そして、オオカミにしろイヌにしろ、導入反対論にはそれに代わる有効な対案があるようには見えない。栃木に住むわたしの友人は森林と野生動物の専門家だが、導入賛成派だ。「トキやコウノトリの復活はよくて、なぜオオカミの復活はだめなの?」「人に優しい自然なんか求めてはいけない。自然は優しくないよ」と。『もののけ姫』はオオカミにまたがって現れるのだ、と。
年間10万頭20万頭を超える駆除数。数字を見れば、もう、これは戦争だ。都会からは見えないが、これはほとんど里山戦争。それでも減らないシカ、イノシシ、サル。人間側はと言えば、ハンター人口は年々減っていく。鉄砲撃ちが期待できないのでワナで捕殺の方が増えていく。残った数少ない年寄り猟師たちにサル、シカ、イノシシを殺しまくれ、と号令をかけたって限界は見えている。哀れ、淵沢小十郎・・・・。
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