消費者は神様か 10月29日

2002年版No.25
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これまでも何度となく書いてきたことをまた書かねばならない。都会の上品な文明人についてだ。末尾に「関連」を付けて置いた。これらの問題はすべて、同じ病気の根っこをもつ樹の上に実った腐った果実だ。

先日、昔から付き合っている果物屋がやってきて嘆いた。 山形県当局から突然電話がかかってきて、「消費者が苦情をよこしている、どういうことだ!」と言う。聞いてみると消費者からの苦情とは、その果物屋から送られてきた品物の箱がおかしい、中身を入れ替えて送ってきたのではないか、と。 続いて苦情をよこした本人からも果物屋に直接電話が来た。

段ボール箱はふつうロック封函機か荷造り用テープでふたをする。ロック封函機というのはホッチキスの親分みたいなやつで、金具(針)でふたを止める道具のこと。たぶん誰でも一度はそういう風に閉じてある箱を目にしているはずだ。あの道具は、牙のような部分で段ボールを噛むようにしながら針をうまい具合に差し込んで曲げて止める。そのとき噛んだ痕の穴が両側に残る。くだんの消費者はその痕が異常なものに見えたらしい。まったく信じがたいことだが、そこにたったそれだけの小さな穴が残っていたことがその人にとっては大事件だったのだ。そしてその人の住んでいる県の消費者相談センターやら県当局を巻き込んでの大騒ぎ。

もう少しその苦情の背景を説明しよう。その消費者にとっては、店からお客に届けられる品物が蓋をあのようなホッチキスの親方みたいな金属の針で封じられていること自体、不審な届け物に見えた。箱は必ずテープとか糊で封印してあるべきもの、というのがその消費者の”常識”だったらしい。ああいう金具で止めるのは青果市場に出すような品物で、消費者に直接届ける品物にはあってはならない包装方法だ。そんな風にその消費者は考えていたらしいのだ。この辺になると、もう物事に対する価値観というか、世界観というか、ちょっと大げさに言えばそういうものの問題につながってくる。極端に言うならば、上品な都会の消費者に「お届け」される品物は常に美しい包装紙でくるんでリボンが結んでないと「失礼」になる。そういう感覚世界にこの人は生きていらっしゃるということなのだ。段ボール箱を金具でガチッと止めた品物は、青果市場に出されて下々の人間が取り扱う下品な品物である、そういう感覚だ。いやはや。

こういうことがあると必ず苦情を受けた側は消費者にこびへつらう。何と言っても今やこの国では「消費者は神様」なのだから。神様の方に問題の本当の責任があったとしても、生産者や売った側がみんな悪いことにされてしまう。マスコミが大衆受けを意識してさらに煽り立てる。で、今回のような場合、包装の仕方をもっと「上品」にしなさい、というような結論に持っていこうとする。消費者が蓋を開けるとき金具でケガをしたら送った側が責任を負わねばならない、というような結論に持っていこうとする。

狂牛病や一連の食品業界の問題で「農林水産省は生産者寄りの行政だ」という批判を浴びせられてきた。「消費者中心の食品行政に変えろ」と。私に言わせれば、冗談じゃないよ、だ。何にも分からないで、重箱の隅をつつくような些細なことをギャーギャー騒ぎ立てるだけの”お上品な消費者”が世の中をどれぐらいゆがめてきたのか、それに迎合する「事なかれ主義」がこの国でどれぐらいはびこってきたのか。バカなことを言う消費者をけっ飛ばすような骨のある役所や小売店が無くなっていったら世も末だよ。

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