農薬の問題を一言で語るのは難しい。現役農家としてそれを簡単に書いてしまうことに躊躇いもあるが、あえてここに現実を記しておこう。
山形県内のある農家が売っていた西洋梨ラフランスから、今年の春、無登録農薬の「ダイホルタン」が検出されていた。その事実が最近になって明るみに出て、その農薬を販売していた県内の農薬取り扱い業者が先月末に逮捕された。さらに無登録農薬を扱っていた業者は全国に及んでいることが次第に明らかになってきたが、その発端となった山形県内の農業関係者に波紋が広がっている。
流通していた違法農薬はかつて果樹の防除に広く使われていた殺ダニ剤「プリクトラン」と殺菌剤「ダイホルタン」で、かなり前に農水省の農薬登録が抹消された製品だ。我が家ではダイホルタンは使ったことがないが、プリクトランについては1987年まで使っていたダニ剤で、とても良く効く農薬だった。確か成分は有機スズ系だったと記憶している。化学物質のばあいは「有機」が付くからといって「安全」ということにはならない。農家の立場からすればこの殺ダニ剤が無くなったのは一時的に痛かったが、新しい農薬が次々と開発されてきたので、現在このプリクトランをどうしても使わなければならないという状況にはない。なぜプリクトランが今でも流通していたのかは正直言って理解に苦しむ。あえて推測すると、殺ダニ剤は農薬のなかで最も高価な部類に入る。したがって違法だが単価の安い殺ダニ剤が手に入るとすれば経済的なメリットはあるだろう。
果樹につくダニ:肉眼でやっと点のように見えるナミハダニ、リンゴハダニのことで、これらのハダニ類は葉っぱに寄生して養分を吸い取り、葉緑素を破壊してしまう害虫だ。葉緑素を破壊された葉は茶色っぽく変わり光合成機能を失う。普通の殺虫剤では死なないので、殺ダニ剤という種類の特別な農薬が必要になる。ところが、ダニは無性生殖で増え、特に高温時になるとネズミ算どころか葉ダニ算式に爆発的な繁殖をする。防除が手遅れになると果実の品質が極端に落ちてしまう。そのうえ、ダニは数年後には農薬に対する抵抗力を獲得するという恐るべき能力を持っている。はじめに使ったときは効果のあったその農薬がほとんど効かなくなってくるのだ。だから次々に新しい殺ダニ剤を開発しなければならない。当然、殺ダニ剤は高価になる。
他方、ラフランスから検出されたダイホルタンについては、聞くところによると梨類の重要な病気「輪紋病」に特効があるそうだ。輪紋病は和梨、西洋梨、両方に関係する果実を腐らせてしまう病気だ。我が家も西洋梨を少し作っているので輪紋病が困った病害だということはよく分かる。使用が許されている農薬だけでは100%病気を防ぐのが困難だということも知っている。収穫した西洋梨の5から多いときには10%近くがこの病気に感染している。樹に成っているときに発病して腐り始める果実もあるが、ほとんどは感染していても発病していないことが多く、収穫したときには感染果と健康果の判別は付かない。西洋梨類は収穫後10日前後置いて「追熟」させ、柔らかくなってから食べるが、この追熟期間中に潜伏していた病原胞子が発病するのでやっかいだ。お客さんが食べようかという頃に腐ってくる。
だから梨の生産農家はこの病気を恐れている。地域の農協によっては、X回以上農薬散布をしなかった農家は西洋梨の出荷をさせないという規定を作って生産農家に農薬散布の徹底を義務づけているところもある。この病気が出ると、その産地は市場の評価がダウンして高く売れなくなるからだ。ある意味で「熱心な」農家ほど、「名前の知れた」産地ほど、農薬への依存は強くなり、農薬多用の傾向が強まる。これは、誤解を恐れずに言えば「必然」なのだ。日本の市場の評価はどういう作り方、栽培方法、農薬の使用をしたかで決まるのではなく、病虫害が皆無で、いかに見た目が「美しく」いかに「大きく」いかに「色が良く」いかに「品物が揃っているか」でランク付けされる。
今回問題になった農薬だけでなく、日本国内では使用禁止になって国内の農薬工場で生産されなくなった農薬が、アジアの某国ではまだ生産され使われているという現状がある。こうした農薬を日本に持ち込む闇のルートが存在するのだ。それらは表面に農薬名も製造者名も印刷されていない袋に詰められた”無印農薬”として流通しているようだ。こういうアブナイ情報は農家の耳にもそれとなく入ってくるもので、私自身も誰から聞いたとは言わないが、そうした違法農薬の存在を以前から噂話程度には知っているのだ。だから今回のように犯罪として摘発されてもさほど驚かない。牛肉の BSE 騒動や中国産輸入野菜の残留農薬問題が大々的に報道される時代に、こうした国産農作物の農薬汚染が浮上するのは時間の問題だけだったと思う。
ただし、最初に書いたように農薬問題は非常に微妙なのだ。冷静に議論をしないままで、騒ぎだけが大きくなるのは、すべての農家にとっても、消費者にとっても、良い結果をもたらさない。農薬をなるべく使わないで済むように努力するのはもちろんだが、かといって農薬全般を全面否定するような議論は論外だ。ある限られた作物で無農薬栽培は不可能でないが、日本で生産されるほとんどの商品農作物は無農薬では成り立たない。
農薬の被害は、食べることによる害と使うことによる害の二つに分けられるだろう。食べることによるものが目立ちがちだが、農家自身が農薬から受ける害を忘れては困る。農薬散布の際は防除用マスクをかけ、防除用カッパを着て、機械から吹き出される薬液の霧の中を移動することになる。年間十数回だ。それだけではない。農薬散布したあとも畑で農作業をしなければならないわけだから、農家はほとんど常に果樹に付着している農薬にさらされて生きているのだ。好き好んで農薬をジャンジャン使いたくなどない。もちろん誤解ないように付け加えるが、今の農薬はちゃんと基準を守って使っていれば、中毒を起こすようなことはない。危険を誇張するのはまちがいだ。
スピード・スプレイヤーでの農薬散布1(モデルは同じ出荷組合仲間)
スピード・スプレイヤーでの農薬散布2
この項、未完成。読者の皆さまのご意見質問を歓迎します。つづく。(8/22)
農薬についての参考書:私のお薦め本
河野修一郎著『日本農薬事情』(岩波新書)
浜弘司著『害虫はなぜ農薬に強くなるか』(農文協)
8月25日現在、問題農薬を買った農家が山形県内で280人余りに上っている。そのうち実際に使ったことを認めた農家はわずか40軒ほどという。常識で考えて、農薬は買ったけど使わなかったという言い訳は通用しない。皆な使ったはずだが、それを認めるとこの秋の収穫は皆無、収入もゼロ、それどころか、その農家の信用が今後長い間にわたって失われる。無認可農薬は、売った側は法的に罰せられるが、買った側、使った側は法律上の罪に問われない。だから、こうした農家を強制捜査したり検挙したりすることは出来ない。これが現在の法的状況だ。「知らぬ存ぜぬ」で通し続けることも不可能ではない。とくに既に収穫出荷が終わっている果物については、現物がもう消費されてしまっているので残留農薬の検査も出来ないわけだ。これから収穫期を迎えるリンゴ全般、西洋梨全般、モモの一部、ブドウの一部については、現物を検査して問題農薬が検出されればクロということになる。しかし仮に問題農薬を使ったとしても、収穫時期までその農薬成分が残留しているかどうかは別問題で、実際に検出されるとは限らない。化学物質は太陽光線や熱で時間とともに分解されるものが多く、また雨風でだんだん流れていってしまうからだ。
農薬には「残効性」というものがあって、散布したあと時間とともにその農薬の効き目は落ちていく。落ち方の遅いものを「残効性が長い」という。すぐに効かなくなる農薬は安全といえば安全だが、効かなくなる分、頻繁に農薬散布をしなければならない。だから一概にどちらを使うべきだとは決められず、状況に応じた使い分けが必要になる。普通の農薬はだいたい10日から15日経つと効き目が期待できなくなる。農林水産省に登録されている農薬は、使える対象作物、使用濃度、使用時期、使用回数にそれぞれ制限が設けられている。対象作物とは、例えばリンゴの何々病に効きますといった具合、使用濃度は例えば1000倍の水で希釈といった具合、使用時期は例えば収穫の30日前までなら使って良いというふうに、表示してある。
今日(26日)仕入れた情報によると、ダイホルタンは梨の輪紋病のほか西瓜のタンソ病に効果があるそうだ。西瓜生産農家の一部が使っていた理由はこれだった。タンソ病も果実がドボッと腐ってくる恐ろしい病気で梨やリンゴにもこの系統の病気がある。ダイホルタンは残効性が非常に強いという。だから農薬の散布回数を半分以下に出来るそうだ。「農薬の散布回数を通常の半分にした減農薬で栽培した安全な農作物です」。こういうトリックが成り立つ! 素人のだまされやすい典型的なトリックだ。散布回数、散布量を少なくしてなおかつ病害虫を抑えようとすれば、当然、効力が長続きする農薬を使わざるを得ない。この簡単な理屈を理解できている消費者は多分ほとんどいないだろう。
もうひとつ、一般消費者をだます手口を教えよう。果樹園に連れて行き、「隣の園地はあんなに葉っぱや果実に真っ白に農薬が付いていますね。うちは減農薬だからこんなに緑できれいでしょう」というやつだ。そんな見かけだけで物事を判断してはいけない。果樹園で葉っぱなどが白く汚れていて、いかにも農薬漬けになっているなあ、と感じたらそれは恐らく誤解だ。白い成分は間違いなく石灰類で、いわゆる農薬ではない。石灰分は酸性の農薬成分を中和したり、果実の表面を包んで農薬成分で果実が傷むのを防いだりするために使われているものだ。それは農薬をいっぱい使っているかどうかとは何の関係もない。消費者はこういう見た目にコロッとだまされやすい。(8月26日)(つづく)