だんご、甘いか酸っぱいか 6月24日

2002年No.13
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サクランボというのは勿論、人件費のかたまりであって、原材料費が高いからサクランボが高いわけではない。すべてが、あの8グラムほどの小さい果実を取り扱うという、細かく神経を使う手作業に由来している。

ところで、サクランボが縦横きれいに並べて詰められた箱を見たことがあるだろうか? 1キロ一箱で1万円前後もするようなやつのことだ。サクランボの軸は見えないように並べてあって、まるで岡山名物「キビ団子」そっくりだ。あれはどう見てもサクランボなんかではない。赤い団子だ。まったく同じサクランボをあのように並べると値段が倍になる。倍になったのを有り難がって買うバカがいるから世の中は面白い。たとえば生卵は今きれいに透明パックに並べて詰めて売られているが、それだからといって卵が高値になっているわけではない。たこ焼きを箱にきれいに並べて売ったら「高級たこ焼き」として高く売れるか。贈答用たこ焼き!!なんてものがあったらお上品な方々はそれを普通の値段の倍で買うのだろうか? というふうな意味で、あのサクランボの値段のつけかたは常軌を逸しているのだ。

買う人がいるからこそ、そういうことになる。これはニッポンの消費経済社会を象徴している。かんたんに言えば「くだらん社会」である。我が家はそういう下らないことは頼まれても絶対しない。そういうお客がいたとしたら塩でも撒いて追い払いたい。幸せにも我が家のお客さんにそんなバカはいないから、塩を無駄遣いしなくて済んでいる。しかし、嘆かわしいことには、世の中そういうお客がいっぱいいるのである。だからサクランボ農家の多くがそのバカを相手にうまい商売をして金儲けをしている。いや農家だけでなく果物屋も同じだ。サクランボそのものがベラボウに高価なのでなく、収穫した後からお客に届くあいだに高値に化ける。ああニッポン。世界第2の経済大国のGDPの実態とは、つまるところこういうものだ。サクランボだけの話ではない。経済社会の仕組みがすべてにわたってこうなのだ。すべての産業。すべての工業製品、すべての文化製品、すべてのサービス製品。みんな「ただのサクランボをピンセットで並べて高く売る」のと同じ手法で必要もないことを付け加え、それでもって金が上積みされ経済を「成長」させているのである。

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