満開から10日以上経って、サクランボの実止まりがほぼはっきりしてきた。
実止まりというのは、いっぱい咲いた花が全部が全部、サクランボの実になるわけではなくて、ほとんどの花は実らずに落ちる。実として育っていくのは100のうち数個も無い。ほとんどが落ちてしまうので実として残ることを「実止まり」と言う。残る数が多ければ実止まりが良いと言うし、少なければ実止まりが悪いということになる。100のうち10個止まるか5個か1個か。5個ずつ成って500キロとれるとすれば、1個しか成らないと100キロの収穫量ということになる。どっちに転ぶか。その落差はあまりにも大きい。最終的には結果は神のみぞ知る。
去年はひどかった。咲いた花がみんな実にならずに散っていった。悪夢のような凶作だった。
さて今年。20日に写した佐藤錦。だいたい適当な成り具合だろう。ここに見えている沢山の粒のうち、大きい実だけが残る。小さめのやつはみなまもなく落ちる。
たぶん、全体的に見て、今年は豊作になるのではないか。
ただし、サクランボだけは、終わってみなければ分からない。収穫がすべて終わってからでないと、何が起きるか分からない。そういう怖さが常にあるのがサクランボ作りなのだ。
ちなみに、この写真で下の方の枝に成っている実はいわゆる二つ子。一本の軸に2個の実がひっついて成っている奇形果だ。これは去年の夏の猛暑で花芽が焼かれて雌しべが変形したため。
実止まりというのは、いっぱい咲いた花が全部が全部、サクランボの実になるわけではなくて、ほとんどの花は実らずに落ちる。実として育っていくのは100のうち数個も無い。ほとんどが落ちてしまうので実として残ることを「実止まり」と言う。残る数が多ければ実止まりが良いと言うし、少なければ実止まりが悪いということになる。100のうち10個止まるか5個か1個か。5個ずつ成って500キロとれるとすれば、1個しか成らないと100キロの収穫量ということになる。どっちに転ぶか。その落差はあまりにも大きい。最終的には結果は神のみぞ知る。
去年はひどかった。咲いた花がみんな実にならずに散っていった。悪夢のような凶作だった。
さて今年。20日に写した佐藤錦。だいたい適当な成り具合だろう。ここに見えている沢山の粒のうち、大きい実だけが残る。小さめのやつはみなまもなく落ちる。
たぶん、全体的に見て、今年は豊作になるのではないか。
ただし、サクランボだけは、終わってみなければ分からない。収穫がすべて終わってからでないと、何が起きるか分からない。そういう怖さが常にあるのがサクランボ作りなのだ。
ちなみに、この写真で下の方の枝に成っている実はいわゆる二つ子。一本の軸に2個の実がひっついて成っている奇形果だ。これは去年の夏の猛暑で花芽が焼かれて雌しべが変形したため。
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