2年くらい前から、米沢では、市の広報車や消防自動車がこんなことをスピーカーで流しながら走り回っている。
「最近、子供が事件に巻き込まれるケースが増えています。注意しましょう」
「家へ帰るときは友達と一緒に帰りましょう」
「寄り道をしないでまっすぐ帰りましょう」・・・
つまり、「不審者」に気をつけろ、ということだ。
あまりにしつこいので、こう問い返したいと思っていた。子供が事件に巻き込まれるケースが「増えている」という根拠はどこかにあるのですか。そういう警察のデータがどこにあるのですか?。。。
子供が誘拐されたり無惨に殺されたりと「マスコミで取り上げられるケース」はたしかに「増えている」かもしれないが、マスコミの報道というものはたいがい客観性、公平性にははなはだしく欠けている。ニュースで報道されることが増えたからといって、事件の件数がじっさいに増えていることにはならない。子供に関わる事件は、じっさいは「減っている」のだ。
現実を見れば、子供に被害を与えるのは、顔見知りであったり、同級生であったり、親だったりすることが圧倒的に多い。見たこともない不審者が「犯人」であるケースのほうが稀なことなのだ。身近な人物の方が加害者であるというのは、犯罪の常識のはずだ。児童虐待はだれがしているのか、ということ一つ見たって、それは明らかなことだろう。いっしょに帰る友達からいじめられる。自殺に追い込まれる。家に帰ると親から虐待される。そういうケースのほうが多いでしょ?
それからそもそも、「友達と一緒に帰れ」とか「寄り道をするな」とかいう命令のバカバカしさはあらためて言うまでもないだろう。そんなのは子供の勝手だ。
今年になって今度は、「児童見守りシステム」とかいうのが始められた。
小学生全員のランドセルにICタグをつけさせて、何時に校門を通過したか、親に知らせるという。
それに加えて、通学路のあちこちに柱を立ててスピーカーをとりつけた。合計200カ所だとかいう。国が実験的なシステムとして予算を付けたらしい。で、毎日3時過ぎになると街頭のスピーカーが大声を出す。
「これから下校します。地域の皆さん見守ってください」。子供を使ってそんなことをしゃべらせるのだ。はじめに代表の生徒がしゃべり、つづいて数人の子供が同じようなセリフを唱和する。大人がつくったセリフを子供に言わせる。
地域の皆さん、見守ってください、と言うのであれば、道で出会った大人にたいして「おはようございます」、「こんにちは」ぐらいするようにさせたらどうなのか。そういう教育をまず親や学校がしたらどうなのだろう。スピーカーをつかって上から「見守れ」と人に指図するよりも、そっちの方が先ではないのかと思う。つねづねあいさつの一つもしていれば、それはみんなが子供を大事にしようと思うじゃないのか。名前も知らない子供がすれちがうときに、ひとことあいさつしてくれるのと、「こいつは不審者じゃないか」というふうな顔で黙って通り過ぎられるのと、どれだけ意味が違うのか、考えたことがあるのだろうか。
そういうことが分からない大人が、金をかけてICタグだのスピーカーシステムだのを整備したがる。根本的に発想が間違っているね。こういう機械システムは、カネの無駄遣いでしかない。スピーカーシステムだのICタグは目に見えるから、何かやったような気分になれるのかもしれない。よその町やよその県に自慢できるのかもしれない。けれども、目に見えることをやったからといって子供の安全が向上するとは限らない。
そんなことよりも、地域の中でふだんから子供があいさつするような、目に見えないがいちばん重要な地域作りのぽうが、防犯上はずっと効果的なのだ。子供にとっての教育効果、地域の連帯作り、子供の防犯効果、これが一石三鳥だ。その上こいつは、お金が一銭もかからない。それにくらべて、カネさえかければ良いことが出来ると思う大人どもの、脳みその足りなさよ、心の貧しさよ。
「最近、子供が事件に巻き込まれるケースが増えています。注意しましょう」
「家へ帰るときは友達と一緒に帰りましょう」
「寄り道をしないでまっすぐ帰りましょう」・・・
つまり、「不審者」に気をつけろ、ということだ。
あまりにしつこいので、こう問い返したいと思っていた。子供が事件に巻き込まれるケースが「増えている」という根拠はどこかにあるのですか。そういう警察のデータがどこにあるのですか?。。。
子供が誘拐されたり無惨に殺されたりと「マスコミで取り上げられるケース」はたしかに「増えている」かもしれないが、マスコミの報道というものはたいがい客観性、公平性にははなはだしく欠けている。ニュースで報道されることが増えたからといって、事件の件数がじっさいに増えていることにはならない。子供に関わる事件は、じっさいは「減っている」のだ。
現実を見れば、子供に被害を与えるのは、顔見知りであったり、同級生であったり、親だったりすることが圧倒的に多い。見たこともない不審者が「犯人」であるケースのほうが稀なことなのだ。身近な人物の方が加害者であるというのは、犯罪の常識のはずだ。児童虐待はだれがしているのか、ということ一つ見たって、それは明らかなことだろう。いっしょに帰る友達からいじめられる。自殺に追い込まれる。家に帰ると親から虐待される。そういうケースのほうが多いでしょ?
それからそもそも、「友達と一緒に帰れ」とか「寄り道をするな」とかいう命令のバカバカしさはあらためて言うまでもないだろう。そんなのは子供の勝手だ。
今年になって今度は、「児童見守りシステム」とかいうのが始められた。
小学生全員のランドセルにICタグをつけさせて、何時に校門を通過したか、親に知らせるという。
それに加えて、通学路のあちこちに柱を立ててスピーカーをとりつけた。合計200カ所だとかいう。国が実験的なシステムとして予算を付けたらしい。で、毎日3時過ぎになると街頭のスピーカーが大声を出す。
「これから下校します。地域の皆さん見守ってください」。子供を使ってそんなことをしゃべらせるのだ。はじめに代表の生徒がしゃべり、つづいて数人の子供が同じようなセリフを唱和する。大人がつくったセリフを子供に言わせる。
地域の皆さん、見守ってください、と言うのであれば、道で出会った大人にたいして「おはようございます」、「こんにちは」ぐらいするようにさせたらどうなのか。そういう教育をまず親や学校がしたらどうなのだろう。スピーカーをつかって上から「見守れ」と人に指図するよりも、そっちの方が先ではないのかと思う。つねづねあいさつの一つもしていれば、それはみんなが子供を大事にしようと思うじゃないのか。名前も知らない子供がすれちがうときに、ひとことあいさつしてくれるのと、「こいつは不審者じゃないか」というふうな顔で黙って通り過ぎられるのと、どれだけ意味が違うのか、考えたことがあるのだろうか。
そういうことが分からない大人が、金をかけてICタグだのスピーカーシステムだのを整備したがる。根本的に発想が間違っているね。こういう機械システムは、カネの無駄遣いでしかない。スピーカーシステムだのICタグは目に見えるから、何かやったような気分になれるのかもしれない。よその町やよその県に自慢できるのかもしれない。けれども、目に見えることをやったからといって子供の安全が向上するとは限らない。
そんなことよりも、地域の中でふだんから子供があいさつするような、目に見えないがいちばん重要な地域作りのぽうが、防犯上はずっと効果的なのだ。子供にとっての教育効果、地域の連帯作り、子供の防犯効果、これが一石三鳥だ。その上こいつは、お金が一銭もかからない。それにくらべて、カネさえかければ良いことが出来ると思う大人どもの、脳みその足りなさよ、心の貧しさよ。
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