産む機械、産ませる国民

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雅子妃や紀子妃は天皇を産む機械か。
なんてことを考えてみた。

ちょっと思い出せば、皇太子家に男子が生まれそうになく、天皇を産む機械としての雅子妃は年齢的にもうダメっぽく、皇太子妃としての存在価値に多くのニッポン人が疑問を持ち始めていた。

ところが、紀子妃が妊娠した。こ、こ、今度こそ、男子が生まれるのではないか。
そして、全くシナリオ通りに男子が生まれた。ここで女子が生まれていたらどうなったことだろう。笑ってはいけないが、あのとき、女子出産を切望していた国民がもしいたらその人を尊敬しよう。女子だったらニッポン全国ためいきの嵐が吹き荒れたかもしれない。

まったく幸いなことに運良く男子だった。と思ったら大間違い。最初から男を産むために周到な計画が作られ実行されたのだ。運良く男子、だったのではなく、最初から男子を産ませる計画だった。それくらいの生殖医療技術がこの近代ニッポンに無いはずがないだろう。総力挙げての国家プロジェクトだった。こう断定して不自然なことがあるだろうか。むしろ上の二人の女子誕生から時間的に離れて妙なタイミングで懐妊されたこと自体、そっちのほうが不自然じゃなかったのか。

この計画で、このストーリーで、紀子妃は天皇を産む機械じゃなかったというのか。男子出産を期待していた国民は、産む機械としての性能を紀子妃に望んでいなかった、と誰が言いきれるのだろうか。

不敬罪を覚悟で言えば、要するに、皇室の女は天皇を産む機械、万世一系、男系天皇制を維持するための道具だ。ニッポン人は無意識のうちか意識してか、どちらでもいいが、皇室の女は最低でも一人は男子を産む機械でなければならない、と思っているに決まっているのだ。

それにしても、ニッポンの野党はアホばっかりだね。柳沢発言なんてくだらないことを騒いでいる、恐ろしくヒマな奴らだ。もっと重要な閣僚発言があっただろう。防衛大臣の。ま、産む機械とちがってイラクじゃあ選挙の票には全くならないがね。

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