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ああ、ケータイ  ・・・[2009/1/20]

ケータイは犯罪の必需品だ

福岡県の芦屋町が「脱ケータイ電話宣言」をしたそうだ。大阪府知事の橋下徹氏も、公立小中学校へのケータイ持ち込みを原則禁止すると言っている。子供に携帯電話は要らない、ということらしい。いじめ、犯罪のもとだ、と言う。
ま、勝手にシンドバット。
ただし、子供に持たせるな、と言うのなら、そう言う大人も持つなよな、と言っておきたい。大人が持つのも同じく犯罪のもとだ。

携帯電話がニッポンに登場してもう20年くらいは経つのか。わしはこれまでの人生でケータイがなくて困ったことは一度もないぞよ。何の取り柄もないわしだが、これだけは自慢できる。ケータイは現代人の必需品だ、なんて考えたこともない。なくてはならない道具ですねえ、なんて平気で言っている人も少なくないが、生き方が根本的にまちがッておるんでないか。これは、ほんとに大げさでなく生き方の問題だ。携帯電話なんかなくても死にはせんがな。

安心安全信仰

脱ケータイのニュースで、子供に携帯電話を持たせる派のお母さんは、あいかわらず「GPS機能が欲しい」なんてアホなことをテレビで言っていた。アタマがいかれている。

去年9月、福岡で小学1年生の男の子が何者かに殺害された。母親は子供にGPS機能つきケータイを持たせてあったそうだ。何度も書きたくないが、こういう機械を持たせれば安心だという、まちがった信仰はいい加減に捨ててほしい。こんなものは何の役にも立たない。そして、その小学生を殺したのは、異常な「不審者」なんかではなく、母親だった。しかも子供のGPS付きケータイにつけてあったヒモで首を絞めたのだという。なんという話だろう。

2004年に奈良で起きた小学1年生幼女誘拐殺人。このときは、犯人が少女のケータイを使って母親にメールを送りつけた。少女の遺体写真メールだったという。子供がケータイを持っていることには、何の防犯効果もない。当たり前だ。ケータイを持たせさえすれば安全になるかのように思いこむ。それが悲劇の始まりなのだ。

補足1:ほんとうに必要なときに役に立たなくなるのがケータイだ。

人間のサイズに全然合ってない

ところで、ケータイという名のあの小さい小さい機械をいじることのむなしい姿。悲しい人生をおもうと涙が出てくる。いつもいつも電話を持って歩かないといけないなんて、そのさびしいこと。いつでもどこでも電話を持って歩く!! なんでそんなもの持って歩かねばならないのか。いつもいつも、溲瓶(しびん)を持って歩いているような話だ。どこへ出かけるにも溲瓶を持って。小便したくなったら、そこにする。ケータイ

人間のサイズに全然合ってないのは、致命的だ。電卓を見たらいいが、小さいことはいいことだ、軽いことはいいことだ、薄いことはいいことだ、、という時代は、とっくの昔に終わった。電卓が出たての頃はその小ささと薄さを競っていたようなものだった。

しかし。
モノは小さければいいというモノじゃない。小さい方がカッコいいというものじゃない。男性のあそこだって、それ相応のサイズ、大きさが必要だ。人間の最適サイズというものがある。したがって、電卓はいまや大判でなければ使いたくない。大人の手の大きさに合うような、大きい方がずっと使いやすい。そういうことが、みんな分かってしまった。

ところが、携帯電話機と来たらどうか。あんなもの大の大人がいじっている姿は最低だ。あんな小さいインターフェイスにいろんなモノを詰め込む、そういう思想。そういうブンカ。技術屋はアホだから小さいところにいっぱい入れることが技術の進歩だと信じ込んでいる。この貧しい発想。

ビンボーな文化

こんなふうに書けば、ニッポン人の大多数が不愉快に思うだろう。そのとおり。不愉快になって下さい。みんなケータイは当たり前だ、と信じて疑う気がないからね。こういう多数決みたいな話をする気はない。数が多い方が正しいとは限らない。むしろ、みんながそう信じているのなら、わしは天の邪鬼だから絶対反対の旗を立てようと思うだろう。みんながそうだから自分もそうする、というような生活スタイル、価値観、人生観は、わしは気持ちが悪くていやだ。

こういうビンボーな文化は、遠からず滅びる。小さくて多機能です、なんてのは、カプセルホテルは快適ですねえ、最高の寝心地でした、と喜んでいるのと同じ。さびしい、かなしい人生だ。だれも気がついていないかもしれないが、ケータイ・ブンカは、確実に、滅亡に向かってひた走っているのだ(笑)。

わしがケータイ・ブンカを嫌う一番の理由、それは「場所をわきまえない節操の無さ」だ。そういうことが分からない人が余りに多すぎるからだ。そのことは下のページにだいぶ前に書いた。

『「空間の病」としての携帯電話』・・"三種の便器" 再考[2006/4/25]

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補足2:関係ないが、この文章を書いていて、「しびん」は「しゅびん」のなまりだということを知った。それと、「しびん」というのが「尿瓶」、「溲瓶」の2種類、かな漢字変換されて出た。溲瓶のほうが正しい。しかし、難しい字だね。

補足3:ケータイで人とつながるというスタイルは、これは軍隊から来ている。いまのニッポン人は軍隊ごっこをしているようなものだ。携帯電話のルーツは固定電話ではなくてトランシーバだ。むかしの人気テレビドラマ「コンバット」を思い出すが、「こちら、チェックメイト・キング・ツー。どうぞ・・・・」とケイタイ無線機で通話していたね。今のニッポンも、軍隊的人間関係をなんの疑問もなくうけいれているわけだ。にんげん、自由を捨てたい、らしい。どこへ行くにもお互いにヒモで結ばれていたいらしい。ヒモで縛られていたいらしい。SMの世界か。