端午の節句が近付いているらしい。 3日ほど前、ラジオを聴いていたら、菖蒲湯の話をしていた。端午の節句には、菖蒲を風呂に浮かべて楽しむのだ。残間里江子が言った。 「菖蒲? 売っているわよ」
そう、「売っている」らしい。「買ってくればいい」のだ。おカネを出せば、のぞみは何でもかなう。これがニッポンだ。
本ウェブサイトの読者なら、今日がまだ太陰太陽暦(旧暦)の3月だということを知っているだろう。 つまり、そろそろ端午の節句、なんかではないことを知っているだろう。今年の5月5日は、西洋暦(太陽暦)の6月8日、まだ1ヶ月以上先にある。菖蒲だけでなく、端午の節句にちまきは付きものだ。ちまきに使う笹の葉や茎がいまごろ出そろっているのか。まだまだそんな季節ではない。ちまきの材料が無くて何の子供の日か。
しかし、都会の、消費者は、買ってくればいいのだ。太陽暦の5月にあわせて店に売っているのだから、買ってくればいい。ほんとうの季節なんかどうでもいい。中身がどうかなんかどうでもいい。これは便利な時代だ。
季節のない都会ではコイノボリを立てる余裕もないだろうが、田舎でも、新暦の4月、5月にコイノボリが空を泳ぐ。ニッポンの田舎も季節がなくなったということだろう。
先日、京都の親戚からタケノコがとどいた。毎年恒例だ。これは正真正銘、ホンモノの季節の味だった。 もちろん温室栽培の、ではない。タケノコの温室栽培ってあるのか? 温室におさまるような大人しい竹の子なんてないよな。たぶん。
ちかごろは、「山菜」も温室栽培、ハウス栽培、だったりする。こんな呆れる世の中だから、それでも季節を大切にする人がどこかにいるのは、うれしい。
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ずっと遅れての追伸:きょうは西洋暦6月9日 太陰太陽暦(旧暦)5月6日
きのうは端午の節句だった。ちまきを食べた。
一昨日、わたしの田舎から送ってきた。毎年の恒例。もちろん、ちまきの材料(笹)が揃うのがちょうど今ごろ。ホンモノの端午の節句とは、こういう本当の季節の流れにそって成立した文化だ。新暦の端午の節句なんてのは、心が腐っていると思う。