温室栽培 3月1日

2007年版No.2
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先日、NHKのローカルニュースで、山形県の東根だかどこだかの桜桃農家で桜桃(サクランボ)の花が満開になった。という話題を流していた。もちろん、ふつうは未だ花が咲くわけはない。加温された温室(ハウス)の桜桃の話だ。たいてい毎年今ごろになると必ずこの手の話題が放送される。

ま、まだ外は雪もちらつこうかという季節にサクランボのお花見ができるのだからオメデタイことだろう。

自由主義社会にあっては、法律に触れない限り何をやったってかまわない。技術的に可能ならば何をしても文句は言われない。サクランボを誰よりも早く出荷すればもうかる。今が満開とすれば果実は4月下旬には出荷できる。普通栽培より2ヶ月も早い。当然のこと高値が付く。いうまでもなく、高値が付くといってもそこまでにかかる経費が大きすぎればペイはしない。だから、こういう加温ハウスの早出し農家が経済原理にのっとってサクランボを栽培するのは自由勝手だ。

法律に触れない限り何をやってもかまわない、と書いたが、読者はお分かりのことと思うが、そんなことはないのだ。法律で制限されていないことであっても、やらないほうがいいことはいくらでもある。技術的に可能であってもやっていけないことはいくらでもある。結論から書くが、サクランボの温室栽培や加温ハウス栽培は悪だ。そういう農家は愚かだ。

サクランボ農家なら誰でも分かるが、サクランボの魅力の重要な要素は、季節感があること、だ。せいぜい6月から7月初めまで、厳密に言えば主力品種の佐藤錦で6月下旬の10日ないし2週間程度。この短期間にすべてが始まり終わってしまう。そういうじつに一瞬とも言える季節感がサクランボの生命なのだ。

農作物の多くが、「近代農業技術」とか言われるものの「お陰」でいつでも年がら年中市場に出回って、その季節感を失った。旬を捨てた。食糧難で食べるものがいつも足りないという時代ならともかく、そんなに青物野菜が冬場も無ければ人が死んでしまうわけでもなく、にもかかわらず現代ニッポンは1年中季節を忘れるような青果物が手に入るような国になった。

結果、旬を無くした、うまくない、栄養価の低い、「工場生産の野菜」がスーパーにならぶことになった。しかも生産者にとっては市場価格が低値安定することになって、やっていけない農業、食っていけない農業を決定付けた。

温室栽培サクランボや加温ハウス栽培サクランボは、今のところ全体の生産量からするとわずかなものだ。だから一般野菜とちがって旬や季節感を無くすところまでは行っていない。生産者の価格が安値に落ち込むということも起きていない。だからといって、そういう超早出し生産者が悪で汚いことには何ら変わりない。まさしく汚い農業。自分さえ良ければいいという農業だ。同じ果樹農家として恥ずかしくなる。

問題がそれだけなら、汚い野郎だと斬って捨てればよい。しかし、もう一つの問題は、そういう資本集約的な農業、エネルギー集約型施設園芸が自然界の流れを無視してかまわないという不遜な思想の上に成り立っていることだ。要するに、そういう農業は、農業ではなく、植物生産工業と呼んだ方がふさわしい。しかも、そうであるがために、環境破壊を促進することにすこぶる無神経な産業になりさがってきたのだ。

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