「ふじ」は日本のリンゴを代表する品種だ。代表的過ぎてほかの品種がかすんでいる。リンゴの持つあらゆる長所を備えた良いとこ取りが「ふじ」だ。食味はもちろんのこと、日持ちが非常に長くて扱いやすい。年末の贈答需要にぴったり来る。
しかし、リンゴ農家にとって「ふじ」だけ売って暮らせるほど甘くはない。ひとつは「ふじ」がいくら素晴らしいりんご品種だとしても生産過剰で価格暴落したのではどうしようもない。もうひとつは農作業が「ふじ」の季節に集中してしまってどうにもならなくなる。農家は家内労働がほとんどだから、過度の集中にはとても耐えきれない。それに積雪地域では、収穫期に雪をかぶって枝折れしてしまう心配がある。「ふじ」の長所を持つ「ふじ」とはまったく違う品種がどうしても欲しくなる。労働力の面から言えば、「ふじ」の前に出てくるリンゴつまり10月に収穫できるりんごが欲しい。
ところが、10月のリンゴ品種がどうも弱い。昔なら日本のリンゴといえば紅玉やスターキングなど10月のリンゴが中心にあった。我が家でもこの20年ほどのあいだにスターキングは激減した。紅玉も3割くらい減った。紅玉はほんとうにリンゴらしいリンゴで、わたしは好きだが、甘さを欲しがる一般の消費者向けでないこと、果実が他の品種にくらべて小さいので作業が大変だということ、どうも温暖化で秋の気温が高いと品質の低下が起きやすいこと、など紅玉にとっての環境は悪化する一方にある。
品種がなぜ生まれてくるのかといえば、それぞれの品種にはちゃんと「個性」というものがある。個性には当然、セールスポイントもあれば欠点もある。もっと美味しくとか、もっと日持ちがする品種にとか、なるべく早く熟すようにとか、要望はキリがない。そうして生まれてきた”有望”な新品種も、生き残れるかどうかはまた別問題だ。市場が淘汰するばあいもあれば、生産者が取捨選択するばあいもある、いろいろだ。市場でいかに需要があっても、生産者としてみると歩留まりが悪く生産効率の極端に悪い品種は捨ててしまう。一方で、生産者にとって作りやすい品種は農家が皆こぞって栽培することになって、結果として供給過剰の二束三文のリンゴを作ることになる。品種の興亡をたどってみるのも面白い。ほとんどの品種が生まれては10年も持たずに消えていく。そもそも店頭に並べられるリンゴの種類はせいぜい3、4種類だろう。果物売り場には他のブドウ、梨、柿、ミカンなども置かねばならない。リンゴばかり色々品種を揃えておくだけのスペースはそもそもない。
最近どんどん増えてきたのが、「ふじ」モドキだ。弘前ふじ、昂林、やたか、いずれも9月末から10月に成熟する。外観は「ふじ」にかなり似ている。しかし、もちろん「ふじ」ではない。だから、性質は本家より落ちる。ただ時期的に本家よりはるかに早く市場に出せるというだけだ。何年か前から専門家のあいだで言われていたことだが、世の中のリンゴがみな「ふじ」の血を引く品種になっていくことに対して、やはり疑問に思う農家も少なくはない。だいたい、9月の末から「ふじ」モドキばっかりが店に並んで、食べてみると「ふじ」ほど美味しくはない。そういう事態がリンゴの消費にほんとうに良い結果をもたらすのだろうか、と。消費者にとってりんごの品種の区別なんて簡単に分かるわけがない。まして「ふじ」モドキばかりが店に並んではもうメチャクチャだ。今年の10月、首都圏の卸売市場でも「ふじ系リンゴ」があふれてしまって扱いに困ったらしい。そうだろうな、と思う。