大きい方が高級で高価、という感覚が世間に広まったのはいつのころからだろう? 人類の発生、いや生物の発生以来のあらゆる生物に共通する感覚なのかもしれない。大きい方が立派で強くメスに愛されるオスであったり、大きいオッパイやヒップに高値が付いたりするのは、人間界だけの話ではない。だが待て。大きければ良いってもんじゃないぞ。
果物も贈答用ともなると「大きいのにしてね」という注文が付いてくる。他人様に送るのだから、できるだけ良い品物=普通より大きい果実=高級品、という等式がお客さんのアタマに組み込まれている。ところが残念なことに、果物の味は大きさに比例なんかしてくれない。ホンモノのリンゴ好きの方なら先刻ご存知のとおり、普通の大きさの果実がいちばん美味しいのだ。いや、むしろやや小さめのほうが味が濃い。ミカンも典型的にそうだ。ミカンはいわゆる S サイズを買うに限る。大きくなっていくと、それにつれて大味になるのは果物ばかりではない。魚もそうだし、貝類なんかもそうだ。シジミの大きいやつはふやけた感じだ。イワシの大きいのはゲンナリする。
にもかかわらず、世の中には「大きいのじゃないとダメだ」という人がいる。売る側としては、大きい品物があるうちはこういうお客さんは大歓迎だ。あまり美味しくもない品物を自分から買ってくれる。しかも高い値段でだ。ありがたや、ありがたや。しかし、だからといって大きい果実ばかり作ろうとすると農家は自分の首を絞めることになる。味の低下は必至だから、本当に果物の好きなお客さんは離れていってしまうだろう。
夏に当園に来られたパトリック・ヌジェさんが言っておられたが、フランスでは大きい果物は売れないそうだ。1人で一個を食べて満足できるような、程々の大きさでないとダメだという。いろいろある品種のなかでも1人で一度に食べきれないほど大きくなるような品種は普及しないとか。なるほどと思う。果物に対する感覚が日本人は特別なのかも知れない。そのことが日本で妙な高級品指向を生み出して、弊害をもたらしてきた面は否定できない。