農家と非農家とのあいだの些細なトラブルが時々ある。
ネイチャー・アメリカンと白人、アボリジニと白人、パレスチナとイスラエル、アイヌとヤマト民族、、。原住民と侵略者とのいさかいは古今東西、挙げればキリがない。もっとも、いつの時代までさかのぼって「原」住民と言うかが問題だ。というのも原住民もその昔はその地に侵入してきて元住んでいた人々を追い出した種族かもしれないからだ。が、それを言い出したら収拾がつかなくなるから、ここでは歴史上明らかな範囲で見た場合の「原住民と侵略者」という定義にしておこう。
原住民と侵略者との間にはもともと直接の接触はほとんどなく、したがって言語、宗教をふくむ文化に共通性がまったくない関係にある、ということができるだろう。で、侵略者は侵略に成功すると当然ながら原住民のもつ文化を滅ぼすことになるのが常だ。ときに一部を吸収することもあるが、基本は侵略者の文化に同化させてしまうのがこれまでの歴史的事実だろう。
農村社会が次第に都市化していくと、それまで農地だった場所の真ん中に住宅が建つことになる。たいていはどこか別の地域からやってきた新参者だ。新興住宅地に農業とのつながりをまったく持っていない住民が増えていく。するとトラブルがあちこちで起き始める。もっともよくあるのが農薬散布のもめごとだろう。日本全国で、ヘリコプターでの水田農薬散布が、非農家住民からやり玉にあげられるようになって、結局、空中散布が激減した(激減した背景には、小規模水田農家がつぎつぎ米作りをやめてしまった事情もある。)。いわゆるヘリ防除の是非については、我が家は米農家でないのでコメントしないことにする。だが、ほとんど同じことが果樹の農薬散布でも当てはまってくる。
果樹の病虫害防除は、たいがいスピードスプレーヤと呼ぶ自走式散布車を使ってする。これは大きいファンでおこした風を利用して霧状の農薬液を上下左右に噴き出す。障害物がなければ、この農薬の霧はかるく3、40メートルは飛ぶ。風がちょっとでもあればさらに流されるから、近所に住宅があれば文句なしにケンカになる。しかも、この機械はエンジン音とファンの回転音がけっこう大きいから、あまり朝早く住宅地の近くでやると騒音公害を起こしてしまう。農家としては早朝に仕事を済ませてしまいたいのだが、時間を遅らせるほかはない。早朝は涼しくて仕事が楽なだけでなく、比較的に風が弱いことが多く、しかも日中の高温時にかけるより朝の方が植物へのストレスも少ない。害虫の動きも朝は活発でないから防除効果も上がる。「農薬ネット」を主宰する”たてき氏”のサイトにはこの農薬散布のトラブルについて処方箋を示してある。もちろん、そうそう簡単な解決方法はどこにも無いと言ってよいだろう。元々の農村地帯とはいっても今や農家は少数派だ。正面衝突すれば農家は吹っ飛んでしまうだろう。
もうひとつ、土地の問題も農家と非農家のあいだで問題を起こすことがある。
農地の間を農道が通っている。いわゆるバラマキ公共事業で作られた広域農道のように舗装された広い道路ではなく、昔から農作業の行き帰りに使われていた道。それは自動車のない時代から農道として誰でも通っていた。ほとんどが図面上は元もと1メートルにも満たない狭い道だが、リヤカーも耕耘機も軽トラックも通れないのでは困るので、農家同士が話し合って道を両側に広げたという歴史をもつ道がどこにでもある。ところが、だ。道の片方の側の農家がこの土地を宅地として売ってしまうと、どうなるか。図面上は道の上まで所有している新しい住民は、ここはワシの土地だから勝手に上を通るな、と言い出すかも知れない。ひょっとすると、自分の所有地だということを示すために杭を道に打ち込んだり、ブロック塀を積み上げてしまうかも知れない。こうなると、その農道は人は通れるものの車はもう通れなくなるのだ。道の向かい側の農家に頼んで畑の上を通らせてもらうかしかない。こういうのはホントに困る。じっさい、この夏そういう「事件」が近くで起きた。
その場所は十数年前に国道のバイパスが開通するまでは純粋に畑と原野だけの土地だった。国道が通ったお陰で、そこが宅地に転用されやすくなった。その新しい住民もそんな風にして土地を手に入れてマイホームを建てた。6、7年そのままその土地の脇にある農道を車が通っていた。この初夏に突然、その道にせり出すようにコンクリートの柵が出来た。あからさまな通行妨害だ。それまで長年軽トラックやトラクターで通っていた我々農家は、20メートルくらい迂回して別の道を通るようになった。このくらいの迂回ならまあ仕方ないかな、と思う。しかし、これからは国道沿いに宅地も増える一方だろうから、ことしの「事件」はたんなる例外的なものに収まらないだろう。
お互いが譲り合うことで保たれてきた農村社会の秩序が壊れていく。