税金の申告を終えた。この二年ほどの間に申告の方法ががらりと変わった。前にはそれこそドンブリ勘定。収入金を申告すると、役所の方で作ってある所得率をちょちょいと掛け合わせたぐらいで所得が計算されていた。農家の支出経費としては肥料代、農薬代、荷造り資材代、運送費、市場手数料などがあるが、今まではこれらの経費実績を具体的に合計して売上収入から差し引いて所得を計算するのではなくて、各作物別にあらかじめ決められた公式にしたがって所得計算がなされていた。それが今年から正式に収支計算書を作らせて申告させる方式に移行した。去年はその準備期間だった。
まあ、ズサンと言えばズサンなやり方が長年続けられていたのだが、これは、百姓は頭が悪いから細かい収支計算などさせたって出来るわけない、とお役所から見くびられていたせいなのか。そうだとも言える。農業人口が多かった時代はたしかに数字の計算が苦手な「頭の悪い百姓」も少なくなかっただろう。しかし理由はそれだけではないだろう。昔は米の出荷は農協経由が普通だったわけだし、野菜や果実も公設市場出荷が大半だったから、農家のカネの出入りは比較的単純に扱えた。だから、ある平均的な公式をつくればだいたいそれで農家の収支もおおざっぱにつかめたのだった。しかし今や米を含むあらゆる農作物が自由に流通する。農家の農協離れも急ピッチに進んだ。果樹や花卉のようにもはや市場出荷ではなくいわゆる「産直」として流通する量が主体になると、今までのようなドンブリ勘定ではお役所としても農家のふところぐあいを把握できなくなった。昔は市場出荷などの公的な売買のほかは、「庭先販売」といって個々のお客さんに小売りすることもあった。それらは請求書や領収書をやりとりするような売買ではなかったから、お役所も実態を確認しようもなかったし、まあ金額的にも市場取引と比べれば小さかったので、そういう農家の収入部分はあいまいで済まされてもいたのだった。しかし今や、収入のうち市場出荷によるカネが占める割合よりも産直による収入の方が多いという農家がだんぜん多くなった。これは逆に言うと産直収入をもたないと農家としては生き残れない現実を表してもいる。一口に農家と言ったって様々な経営スタイルをとっている。だから、この時代の流れの中で、個々の農家にもちゃんとした収支計算にもとづく申告が要求されるようになったのだ。
それにしても、農業所得者だけの申告相談に指定されたこの日、会場の市役所大会議室は閑散としていた。数十並べられた折り畳み椅子で順番を待つ人は3、4人。十年くらい前まではほぼ満席に近く、整理券だけもらって1時間以上待たされることも普通だった。この変わり方を見るにつけ、この国の、農業の、農業社会の、崩壊、を実感する。農業所得のある人が激減した。もちろん以前、農業所得を申告していた人であってもその多くが兼業農家で、家計に占める農業所得のわりあいも少ない場合が多かった。爺ちゃん婆ちゃんが先祖伝来の少しの田圃と畑を耕作していた程度だった。こうした「零細」農家の田圃がつぎつぎ耕作放棄された。放棄された田畑が専業農家に引き取られて農業の規模拡大につながった例はまず見あたらない。もはや誰も米作りを拡大しようなどと思わない。畑作面積を広げようなどと思わない。田畑はこの国から間違いなく消えて無くなっていくのだ。ひとつひとつの田畑は小規模だが、全国でこれが進んでいる。影響は小さくない。ちりも積もれば、だ。
これを学問的に言うと、自由主義市場経済、産業構造の「高度化」の当然の流れ、ということになるのだ。「経済効率」からして自営の小規模小売店や零細農家やらはこの国の経済発展のじゃまでしかないらしい。たしかに自由な金もうけが世界をつくる原理原則だとするならば、まったくこれに異を唱えるのは時代に逆行する。反社会的ですらある。資本を握るものが一番の自由を手に出来るのだ。より巨大な資本に弱小なものは吸収されていくしかない。グローバル化というやつだ。
タコは食べ物がなくて腹がぺこぺこになると自分の足をかじって飢えをしのぐとか。そうしてまでも「経済」を発展させなければこの国は成り立っていかない。「頭」さえ生き残れるなら「足」の一本や二本無くなったってかまわない。金もうけのためなら身売り(というより魂売りか)も辞せず。それが今の政界、財界、学界、をおおう空気だ。日本という国はたぶん今そういう「生き方」が推奨される国になってしまったのだろう。改革、とかいう。あああ、あの「改革政権」を見よ。二世三世議員で固めた今の政権を。親の地盤看板カバンに乗って代議士になった彼らが「改革」を声高々に唱える噴飯。腐った革袋は腐った革袋だ。言っている意味分かります?