8月8日は葉っぱの日。母の日? 8X8=64。葉っぱ虫、とも言う? 葉っぱの虫というと色んな害虫が思い浮かぶ。夏場のもっとも注意が必要な虫と言えば、昆虫ではないが葉ダニが筆頭だろう。葉ダニというのは肉眼でやっと点のように見える小さい虫だ。それは葉っぱに寄生してその養分を吸い取ってしまうやつで、葉緑素が分解されるのでリンゴや桜桃の樹は活力を失う。果実は大きくならないし美味しく熟さない。大量に寄生された葉っぱは緑色をなくしてツヤのない褐色に変わってしまう。こうなると緑はもう戻らない。
ダニの生き方の特徴は無性生殖で増えること、世代交代が早いこと、したがって増えるとなると恐ろしいスピードで増える。恋だとかセックスだとかグジグジしためんどくさいことはしない。栄養さえあればひたすら自己の分身を作っていく。ダニにとって農薬はもちろん脅威だ。良く効く農薬だとイチコロだ。ところが、何万何百万と増えてしまったダニに殺ダニ剤をかけたとして、そのうちのたった一匹のダニが生き残ったとしよう。それはたまたまその農薬成分が効きにくい個性を持った珍しい個体だったとしよう。他は全滅したとしよう。農家は強力殺ダニ剤の効果に安心して翌年もこの農薬を使うだろう。前の年に一匹だけ生き残っていたダニはどうなったか? その殺ダニ剤に強い性質を持つ子孫をちゃんと数十匹、数百匹、産んで残しただろう。そしてまた今年、彼らは生き残って増える。他のダニが農薬にほとんど全滅するなかで生き延びる。こうしてわずか3、4年のうちに農薬のまったく効かないダニが何万何百万に増殖する。彼らはこうして種が滅びるまえに進化して、ふりかかる農薬の危機をかんたんに突破していく。環境の激しい変化に種として順応していく。恐るべし。
世代交代が早いということは、1個体の寿命は短いということだ。超高齢化社会の実現に喜び、かつ苦悩する、我がニッポンの姿とは正反対の世界がここにある。個体の寿命は100歳にもなろうかという少子化ニッポンでは、社会の活力や危機対応能力は逆に低下する一方に見える。社会がじわじわと老化していく。個体の寿命が延びれば延びるほど、新しいいのちを生み出す必要性は薄くなる。こんな長生き社会で子供を増やせなんて叫んだって無駄というものだろう。だいいち、みんな長生きはするは、子供はぽこぽこ産むは、では人が増えすぎてどうしようもないだろう。そんなの両立させようと言うのが間違っているし無責任というものだ。だから必然的に少子高齢化は進む。
同時に、寿命が延びると一人の人間の精神的成長速度がにぶる。肉体は大人になるが心は幼稚、という人間が増える。あんまり早く大人になったって、その先70年も80年間も「大人」として生きていないといけないのだから嫌になるだろう。途中でボケて「大人」であることをやめたくなる。これが生き物としての自然生理というものだ。40か50歳でようやく大人になれる。これが長寿社会の自然法則だ。それでもこの世の中で生きていける。今は昔、「人生50年」くらいだと、20歳を過ぎるころにはちゃんと一人前に稼ぎ、それなりのモラルを身につけていなければ、誰も相手にしてくれなかっただろう。しかし今では、どんな人間的バカでも生きていられるし、とがめる人もいない。とがめると逆に殺されたりするから始末に悪い。我がニッポンでは人間がバカでも途上国のふつうの国民の数千数万倍のカネを持っているから、飢えて死ぬこともなく生きていける。
「自己実現」という言葉が流行るように、現代の日本では個体至上主義が幅を利かせている。これが進むと「自己中」社会となる。まあ、これの対極には「集団至上主義」とか「全体主義」とか「国家主義」とかいったヤバイ価値観があるので、個体至上主義をこきおろすのはかえって危険だ、ということぐらいは誰でも分かる。これがジレンマだね。あとは皆さんで考えてください。ニッポンが少子高齢化で滅亡してしまう前にね。
人間のクローンが実現するとすれば、言葉を換えれば人間の無性生殖が実現するとすれば、それはダニ的生き方への偉大な一歩になるだろう。オスは不要、メスだけ元気でいればよい。それが人類生き残りの唯一の道、か。あは。