ほんとの有事と釜ゆでガエル 7月4〜28日

2003年版No.12
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ええっと、最近さっぱり書くことがない。全然農作業をしていないみたいだが、そんなこたあ勿論ない。7月後半は異常に涼しく、お日様もほとんど出ない日が続いていた。とにかく近年は気象の異常があたりまえになって、ことさら「大変だア!」と叫ぶのもアホらしいほどだ。世界的にもインドの50度を超す高温地獄やアメリカの竜巻多発、ヨーロッパの高温などなど、今年も異常のオンパレードだ。何度も同じことを書くが、これは人のいのちに関わることだ。気象災害で人が死ぬというだけでなしに、食糧の不足や新種の病気の発生やらで、まったく予想の出来ない不安の世界になってしまうかも知れないからだ。

これは、本当は「有事」と呼ぶべきものだ。赤絨毯の上を徘徊する頭の腐った代議士先生方は、北朝鮮からテポドン飛んでくるのが有事だと思っているらしい。だが、そんなお粗末貧困な有事意識、危機意識しかもっていない人たちには真の危機に対応することなんか出来るわけがない。危機というのは外から突然飛んでくるものではない。自分の足元がじわじわと崩れているのに気づかない愚か者は、地面もろともに奈落に落ちていくしかない。「有事」というと何か「ドラマチック」に海の向こうからやってくると考えた方が簡単だし、かっこも良いし、大衆受けもするだろう。第一、頭を使わなくていい。自分の欲望を抑えなくていい。みんな悪い他人のせいにすればいい。政治家はそういうのを利用するのが大好きな動物で、昨今の有事立法しかり、テロとの戦いしかり、アフガン侵攻、イラク侵攻しかり、なのだ。押っ取り刀の自衛隊派兵法なのだ。

一昔、二昔まえまでは、米ソの核戦争で「世界が破滅する」というドラマチックなシナリオが流行ったものだった。ああいう危機のあおり方でずいぶんと得をした人、儲けた人、生き甲斐を感じた人も多かっただろう。核戦争で世界が劇的に破滅する、なんてのは、私に言わせればたわごとだ。多くの人が危機意識を持たないままに危機が進んでいくことが、本当の危機なのだ。それは、「釜ゆでブタ」の典型なのだ。あっと、「釜ゆでカエル」だったかな?。どっちだったかな。とにかく、あたたかいお湯につかっていい気分のブタだかカエルだかの下からゆっくりゆっくり釜を熱くしていくと、本人の気づかないうちにゆでブタやゆでガエルができあがる。最初から熱い湯につけるとビックリして逃げ出すが、あまりにかすかに熱していくといい気持ちのまま死ぬ。そういうのだ。われわれ日本人もかなり長い年月、とてもいい気持ちで暮らしてきた。経済力は世界第2位だと。半世紀以上も戦争に巻き込まれなかったと。みんな豊かで食うものに不自由しないし、欲しいものは何でも買えるし、と。太平洋戦争で勝ったアメリカさんの言っていることにハイハイと従ってきたお陰ですねえ。この幸せは。

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