米国の新聞『ヘラルド・トリビューン紙』に山形のサクランボ泥棒事件が載ったそうだ。花盗人ならぬ果実盗人も国際的ニュースになった。記事の中身は知らないが、日本の国の異様なサクランボ事情は外国人の目にどう映っているのだろうか。
今年、米沢地方は最近にない不作に見まわれた。農家によっては半作以下つまり平年の収穫量の半分も実らない人があった。「不作」を通り越して「凶作」とも言えるほどだった。サクランボは当地の果樹農家にとってその年前半の貴重な収入源であり、その収穫は大事業だ。後半に収穫を迎えるリンゴや西洋梨のゆるやかな作業日程に比べると、サクランボはやって来るやたちまち過ぎ去る一種のお祭りに似ている。リンゴがケの世界の果実とすれば、サクランボはハレの世界の果実と言えるかも知れない。本来なら豊かな実りに浮き立つ祝祭になるはずだった。
農家の収入が半減するというだけなら単にカネの問題だから、農家が不運を嘆けば済む。だが我が家のサクランボは数多くの消費者、それも長年我が家のサクランボを買ってくださり毎年この季節を心待ちにしておられる方々によって支えられている。そのお客さんをガッカリさせるのは生産者として言葉にならないつらさがある。経済的ダメージももちろんだが、精神的に今年はいささか参った。一人二人でない。じつに多くの方に迷惑を掛けることになった。かつては収穫期の雨で実割れが多発して注文を急遽キャンセルしてもらうことも時にはあった。しかし今ではすべての樹に雨除けハウスを整備したので、雨で壊滅することを考えなくても良くなった。年によって多少の増減はあるものの、生産量の安定はほぼ確保できた、と信じていた。だから今年、不作が早くから予測できていたが、ここまでひどい結果になるとは想像もしていなかった。完全に収量を読み間違えてしまった。
不作の原因は不明だ。農家の間には諸説がある。
1.今年養蜂業者にミツバチの巣箱設置を頼まなかった
2.花の時期に霜が降りた
3.摘蕾がつよすぎた
4.昨年の豊作の反動が来た
しかし原因は特定できない。去年、米沢は大豊作だった。そのツケだという見方も有力だ。樹が疲れていたのかも知れない。種(核)が一つの果実たとえば梅、桃、杏、すももなどはサクランボ同様に今年不作だ。霜原因説には根拠が全くない。霜で雌しべがやられるとすぐに分かる。雌しべの先が黒く焼けたようになってしまうからだ。今年そんなことは無かった。ミツバチの巣箱を置かなかった点は確かに問題だった。サクランボを含めて果樹の花が授粉するためには、ハチの活躍がなくてはならない。佐藤錦は他の品種の花粉がなければ実にならない。たとえばナポレオンや高砂といった授粉用品種の樹が畑にある比率で植えてなければならない。佐藤錦の樹だけでは花は咲いても実が成らない。ハチは違う品種の花を飛びまわることで授粉させる。
ハチと花、それは共生というにふさわしい関係を、長い進化の過程で作り上げてきたのだろう。ハチは花を求め花はハチを求める。花はハチを呼び寄せるために短い時間に命がけで美しく開き、ハチはその一瞬をとらえて蜜や花粉をもらう。この関係を人間がまねをしてみたところで何になろう。人工授粉を熱心にした農家も今年、その効果が無いことを思い知ることになった。人間の「科学的」手法は結局のところ「浅知恵」でしかない。花粉を雌しべに付けてやれば授粉するだろう、という人間の功利的な合理主義は花にひじ鉄を食らわせられた。花にだって都合はあるのだ。ハチは花の一つ一つの気持ちをちゃんとつかんでいるようにさえ思われる。その花が求めていないときに、ハチは強引に花に突っ込んでいったりはしない。人間だけがストーカー行為を平気で花に対してするのだ。
マメコバチは確かによく働くが、巣から50メートルまでの範囲しか飛ばないと言われる。ミツバチは遙かに遠くまで飛んでいく。それに養蜂業者の持ってくる巣箱の中の働き蜂の数はマメコバチに比べてけた違いに多い。花の数に対してハチが不足するようなことがあれば、当然授粉はうまく行かない。今年は桜桃の花は短期間に満開になった。いっせいに花が開いたから、ハチも花を回りきれなかったのだ、と私は推測している。私の経験から言わせてもらうと、開花期の天候がすばらしく良い年ほど、逆に実止まり=咲いた花が実にまでなる比率(多くの花は最終的な実にならずに落ちてしまう)は悪くなる。曇りや気温のやや低めの年の方がかえって実止まりはよくなる。天気が良ければハチも活発に飛んで授粉も進むだろうと思いがちだが、実際には花は一斉に咲いて一斉に散るためにハチが活動できる期間も短くなる。花の期間が短くしかもハチの絶対数が少なかった今年のばあい、授粉が間に合わなかったのだろう、と。これが、私が考える最も納得しやすい説明だ。とはいえ、しかしこれも想像の域を出てはない。
ひとときの祭りは終わった。
祭りの後の寂しさが いやでもやってくるのなら
祭りの後の寂しさは たとえば女で紛らわし
もう帰ろう もう帰ってしまおう
寝静まった街を抜けて『祭りの後』 作詞:岡本おさみ 歌:吉田拓郎
祭りの観客がすべて帰ってしまった後で、我々農家は後かたづけをしなければならない。酒や女で紛らわして済まされる立場にない。雨除けハウスの撤収、防鳥網の撤収をする地上4.5メートルの鉄パイプの上で、汗をぬぐいながらの小さな楽しみがある。もぎ忘れたサクランボの実がぽつんと真っ赤になって残っているのを見つけて食べる。グミみたいに小さくて売り物にならないような果実でも、完熟していて濃厚な味がする。7月の声を聞けば、梅雨の晴れ間の日差しにはもう夏の匂いがあふれ始めている。どこからともなくニイニイゼミのかすかな鳴き声が聞こえる。ああ、今年も桜桃の季節は駆け足で去っていった。