雪の日々 1月5日

2003年版No.1
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本格的な雪の季節になった。玄関から道路までの除雪、大型除雪ブルが押しつけてきた道路脇の雪の山を流雪溝に流す作業、屋根の雪下ろし、畑の果樹に積もった雪を揺すり落とす仕事、雪に埋まった枝を掘り出す仕事。

雪国では毎年、屋根の雪下ろし作業中に転落して死ぬ人が何人も出る。あるいは雪片づけ中に屋根から雪崩のように落ちてきた雪に埋もれて窒息死する。たいがいが若い人のいない家の年寄りだ。それで何人死んだところで地方版のニュースにはなるが、全国版にはならない。毎年のことだ。一方で東京に数センチの雪が積もり、滑って転んで骨折した人の数はかならず全国ニュースになる。毎年のことだ。

これはどこかで見た話とそっくりだ。ニューヨークの高層ビルで特攻テロにあって死んだ人のことを思い出そう。その報復としてアフガンの山奥で軍事大国によって抹殺された人のことを思い出そう。片方は大切な命を絶たれた悲運の文明人として。もう片方は死をもって罰するべき獣のような野蛮人として。前者は世界の映像メディアに取り上げられ追悼され、後者は誰にも知られることなく荒野に朽ちていく。

テロと報復テロに比べれば、雪国の話は些細なことだ。しかし、これは実は同じ話なのだ。そこに流れている我々の恥ずべき不公正、人の価値にまつわる差別。それを思い起こそう。そしてまた、あの世界最強のテロ国家がふたたび始めようとしている「テロとの戦い」という名のテロのことを。それからゆっくり振り返って、鏡に映っている自分の姿を見つめなおそう。「テロとの戦い」を断固支持するこの国のありようを。

年末年始に読んだ本から以下を紹介します。『21世紀もアメリカの世紀か?』(ニコラス・ガイアット著 明石書店刊)、『ノーム・チョムスキー』(鶴見俊輔監修 リトル・モア刊)。ガイアットの本はとくに冷静で緻密かつ痛烈なアメリカ批判の書です。小泉構造改革がアメリカ流グローバリズムに全面追随するところから始まっている点で、日本にとっても無関係でない内容になっています。

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