昆虫少年

2002年版No.21
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畑で仕事をしているときは単調になりがちなので、携帯ラジオを聴いていることが多い。で、ちょっと古くなってしまったが書いておきたいことがあるので書く。

NHK ラジオ第一放送で毎年「夏休み・子供科学電話相談室」というのがある。休みの始めと終わり頃に一週間ずつだったか毎日午前中の放送だ。ときどき面白い質問があって大人でも勉強になったりする。その質問の中でかなり気になったのは、昆虫は野山で捕まえてくるものではなくて買ってくるものだ、という常識が子供の間に蔓延しつつあるらしい事態だ。カブトムシが店で売られているのはどこでも見られる風景になった。カブトムシぐらい自分で探して採って来いよ、と昔の昆虫少年は言いたくなるが、ここで書くのはそういうレベルの話ではない。もっと事態の悪化した高級昆虫の話だ。

電話相談は毎日聞いていたのでもないのに、2件も引っかかった。一人の少年はオオクワガタ、もう一人はナントカカントカカブトムシ。どちらも親に買ってもらった高級甲虫で、とりわけ後者は外国産のいかにもすごそうな名前のカブトムシだった。万円オーダーか十万円オーダーか知らないけれど、とにかく私としては、こうした子供やこうした子供の親がこの国に存在しているという事実だけで言葉を失う。科学相談以前の、教育相談か人生相談で取り上げてもおかしくなさそうな親子だと思う。しかし、彼らは今やこの国にあっては特別異常な人たちでも大富豪の親子でもないらしいのだ。そこがなおさら恐ろしい。

カネで簡単に「自然」を買う。その「自然」は結果しかない自然で、自然が自然である所以のプロセスが欠落している。どういう場所に、どういう時間に、そのときその虫は何をしていて、どんな気持ちで虫を捕まえたのか、それらが全く欠けている。自然科学にとって重要なプロセスがなくて、高級甲虫を「持っている」という結果だけがある。プロセスは「カネ」で済ませたのだ。珍しい虫を自分自身が見つけて捕まえた、というような感動はみじんもない。この少年はナントカカントカカブトムシが死んでしまったら、親にせがんでまた同じ「商品」を「買って」もらえばいい。たかがカブトムシ、されどカブトムシ。薄ら寒いゼニカネ・ニッポンである。

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