果樹の剪定が終わると、切った枝を集めてから細めの枝は燃やして片づける。焚き火の季節だ。太めのものは風呂焚き用などに薪として使う。チェーンソーで30、40センチの長さに切ってから家の裏でばっさりばっさりマサカリで割る。リンゴの花が咲くまでの期間は、与作は木を切〜るぅ、ヘイヘイホー。こういうのは果樹農家ならではの自前の燃料といえる。老木や病気で枯れた木を倒すのも春先の仕事なので、風呂の燃料は一年分ぐらい簡単に作り出せる。毎年5本から10本ぐらい倒す。我が家の場合は灯油で着火させて薪でボイラーを暖める方式だ。薪の方がお湯の温まり方が断然よいし、火種が残るので湯も冷めにくい。
木を燃やすという行為は人間にとって特別の意味があるようだ。とくに焚き火やキャンプファイヤーの火を囲んだときに感じるものは、おそらく人類の歴史の時空を超えたホモサピエンスの”原体験”とでもいえる感情につながっているだろう。電化され、ガスや石油を燃料とする生活からは欠落してしまった、木を燃やすときの光、音、におい、暖かさ、それは人間の身体の奥底に沈められていたあるものを蘇らせる。それは大げさに言えば一種の宗教的感覚である。現代の日本人はそれを徹底的に捨てる方向へと走り続けている。去年、娘の学校のクラス行事に参加したときのこと、校庭でキャンプのまねごとが企画された。テントを張って一晩を共に過ごすという。暗くなって簡単なキャンプファイヤーがあった。ファイヤーを囲んで何かやるのかな、と思いながら見ていた。ところが何もなかった。木はただいたずらに燃え続けるばかりだった。生徒もほとんどの父母もその周りに寄ってこようともせず、多くは花火に興じ、多くはテントの近くに数人ずつかたまって世間話をつづけていた。ああ、これが現代のこの国の大多数の家族の姿なのだなあ、と。火はただいたずらに燃え尽きていった。
昨年4月から法律によって「野焼き」が禁止された。禁止の原因を作ったのは、そこで燃やされるものが有害なゴミばかりになってしまったという、この我らの時代の文明生活様式だった。火に対する宗教的ともいえる畏れに取って代わったのは、火がもたらす有害有毒な化学物質に対する恐怖だった。神なき時代のおぞましい恐怖。それはすべて私たち自身が、悦ばしき科学知識や豊かな暮らしを得るのと引き替えに、世界に呼び入れてしまった恐怖だった。幸いにも、慣例として行われてきた宗教的行事としての野焼きや、農業、林業を営む上で必要なもみ殻やわら焼き、枝の焼却については禁止対象から外す処置がとられてきた。しかし、これもだんだんと制約が強められていくだろう。有害物質で環境を汚染しないという考え方は間違いではないが、野外で焚き火をするということの他にはない価値を、あまり軽く考えない方が良いのではないのかなあ。