ちょっと古い話だが先月、娘に連れられて『ハリー・ポッターと賢者の石』を見てきた。去年から本のほうは話題になっていたので我が家にもこれまでに出版されたシリーズ冊すべてがある。 映画を見ることも最近滅多にない。東京にいた頃までは時々見に行ったものだが、今の商売を始めた18年前からは子供映画以外全然見なくなった。そもそも米沢には商業映画館が一つもないという時代がかなり長い期間続いていた。都会人からすれば実感がないだろうが、地方の中小都市の「文化状況」はそんなものだ。数年前にやっとマイカル・グループが進出して、ようやく常時、ロードショー上映されるようになった。
娘の感想は芳しくなかった。本のほうが良かった、という。私は帰ってから本も読んでみた。正直のところ映画も本も凡作だと思う。映画は原作をほとんどそのまま絵にしただけだった。逆にそのまま絵になってしまうような原作は駄作と言うべきだろう。つまり原作ではなくて映画の台本レベルの作品ということだ。なぜ、これが大ベスト・セラーになるのか分からない。魔法使いの少年の話というと『ゲド戦記』の真似ではないかと思わせるし、「賢者の石」という割にそれが賢者の石である必然性がどこにもない。賢者の石とは錬金術のなかで重要な位置を占める概念「石(ラビス)」だが、ハリー・ポッターではただ悪い魔法使いを倒すための、とってつけたような小道具にすぎないのだ。敢えて言うならば「象徴性」がまったく欠けている。その点では、春に公開される[ロード・オブ・ザ・リング]原作『指輪物語』の指輪が持つ意味と重さに比べるべくもない。『指輪』についてはまた別の機会に私なりの見方読み方について書くかも知れない。
以上、あまりにも簡単な映画・読み物時評でした。
[補足追加] ハリー・ポッターは作品そのものより、離婚母子家庭のヤンママがコーヒー一杯で粘りながら喫茶店で書き上げた、というふうな若い女のサクセス・ストーリーが始めにあったのかもしれない。ベストセラーといっても子供が本屋で買った結果と言うより、若い女性たちが、なかでも若い母親たちが勤め帰りに本屋で買い、それが子供に伝染していった、という情景が見えるように思う。普通子供は本屋へ行って単行本のコーナーへ足を運ぶことは少ない。漫画か雑誌売り場に決まっている。要するに現代女性の「夢物語」としてのハリー・ポッター人気ではなかろうか。だから作品の中身は陳腐であっても差し支えないのだ。ベストセラーと呼ばれるものにしばしば見られる現象の一つだろう。
そう言えば、ハリー・ポッターの映画には、ヒッチコックの『鳥』のパロディらしき場面がありましたね。お気づきになられた方もいらっしゃるでしょうが。(2月26日)
さて、2月の上中旬は果樹農家の一年にあって講習会や肥料・農薬説明会がとくに相次ぐ季節だ。例えば剪定の講習会があちこちで行われる。「名人」の技を見せてもらおうとまだ雪に覆われている園地に多くの農家が集まる。レクリエーションかたがた勉強もしようというわけだ。そうしたなかで肥料屋さんの話が少し気になった。去年来のBSE問題で有機肥料の原料市場に混乱が起きているらしい。鳥、豚、牛、魚。これら人間が食する動物の内臓や骨、皮、血液はそのまま捨てたり焼却したりするにはあまりにも量が多すぎる。当然これらを有効に使う方法が考えられた。人間が食べられる部分は、大阪で言えば「ホルモン焼き」になるかもしれない。「モツ焼き」もそうだ。しかし大半は人間が食べないので、廃物利用としてある時は牛や豚のエサになり、ある時は畑の肥料になったり、はたまたペット・フードになったりする。BSEでこうした有機物原材料の流れがストップした。不足が起きた。「表」の牛肉消費量減少、「裏」では牛廃物生産減少が起きたのだ。で、それらを原料にする有機肥料の製造がピンチになった。ペット・フードも似たような状態になったらしい。
「表の生産」については、製造業一般が国内から海外へ移転していく時代になっている。農産物、水産物も外から入ってくる量が急増して、国内産を次々と蹴落としつつある。有機肥料もすべて輸入品ということになるのかなあ。いったいこの国に何が残るのだろう・・