臼でついた餅は何と言ってもうまい。だが、近所の農家でも臼で餅つきをしている農家はほとんど無くなった。農家が自分でつかなくてどうするんだ! というわけではないが、我が家はいまだに臼で餅をついている。
我が家の年末年始には3回の餅つき行事がある。始めは12月10日の「オタナサマ」。2回目は12月28日、正月用の餅つき。3回目が1月14日、小正月前日の餅つき「小餅のお歳取り」(本来は旧暦で執り行うべきだがすべて新暦)。いずれも臼に杵でエッサホイサとやる。餅の量は昔はもっと多かったらしいが今は3升もしくは2升で、3升の場合は一人だと息が上がる。爺さんもまだ元気なので力仕事に加わる。杵は柄のついたものではなくて、月でウサギさんが使っているタイプだ。柄の付いたやつのほうが力は強く、つくのは楽だが、つき上がるのに時間が余計にかかる。ウサギさんのほうはつくピッチが早いので、ハアハア言いながらになる。鉄は熱いうちにたたけというが、餅も同じだ。寒い季節だからのんびりしていたら冷めて硬くなってしまう。まあ一度に5升も6升もつくわけではないので、ウサギさんタイプでも何とかなる。量が多いとやっぱり亀さん?タイプの勝ちかな。しかし、3回も力仕事の行があるというのは体力がだんだん落ちてきたオジサンには辛いものがある。このほか夏のお盆にもつくから、年4回だ。前は春にも「お観音様」を祀る餅つきがあったが、「オタナサマ」と合同にしてしまったそうだ。在郷のほうには年に10数回も、いろんな節ごとに餅つきをする農家がまだ残っているらしいから、それと比べればずっと少ない方だ。このほか我が家の子供が保育園に通っていたころは、毎年保育園に臼持参で餅つきに行ったものだ。そろそろ電気餅つき機を買おうかなあ・・と思うが、今年もがんばった。
「オタナサマ」というのは、他地方の人は聞いたことのない行事だろう。家の神様の一種と思ってもらえばいいが、ついている方も何の神様だか分からずに餅をついているから世話はない。なんでもご先祖様が河原だかどこだかから拾ってきた木地のお椀をご神体に見立てたそうで、それが神棚に祀ってある。民俗学には詳しくないが、『遠野物語』にある「オシラサマ」がおカイコさんの神様つまり養蚕の神とされているのに似たものではないだろうか。「オタナサマ」がカイコを飼う「棚」から来た名前だと推理するのはたやすい。と思って本を調べてみると、そういうわけではなかった。この神様は山形県置賜地方にだけいる神様らしい。そして同じ「オタナサマ」という名前なのに各家庭で言い伝えがさまざまで共通点はほとんどない。棚の神、目の神、農の作神、家の守り神などで、ご神体はへら、椀、注連飾り、狼、竹の管など、祭日もまちまちだ(武田正著『雪国の語部』)。我が家では餅と生魚の「一の切れ」(頭に一番近い美味しい部分)、お菓子を供える。それに真新しいお皿を3枚。なぜお皿が出てくるのか不思議だが、「毎年必要もない皿を買うのは無駄、食器棚が狭くなるだけだ」という私の反対で爺さんは買うのをやめた。お供えはすべて男の主が行い、翌日一の切れはその主人が食べる。
それにしても拾ってきたものがご神体というのが、いかにも民俗学の世界だなあ。我が家の神棚にはこのほか「お恵比寿様」「お観音様」「お稲荷様」その他様が並んでいる。こまかいことは深く追求しないこと。