もしあの時、リンゴが落ちなかったら世界は変わっていただろう。
アイザック・ニュートン
台風の季節が来た。それで思い出すのは1991年9月27日から28日にかけて日本海を走り抜けた台風19号だ。これは「リンゴ台風」とも呼ばれたが、覚えておられる方も多いかもしれない。九州北部をかすめたあと強い勢力のまま北上してリンゴの主産地青森を直撃した。風に激しく揺すぶられ、ばらばらと落ちるリンゴのニュース映像は全国の消費者に強い印象を与えた。その朝もっとも強く揺れたのは、東京の青果市場だったにちがいない。本格的な収穫の秋をまえにして日本のリンゴの半分以上を産する青森がやられたのだ。市場価格はじわじわと値上がりし始めた。年末の贈答用ふじリンゴまで、品不足は必至と思われた。高値がつづいた。ところが、そのうち出てこなくなると思われていた青森からいつになってもリンゴが出てくる。おかしい。収穫量は大幅減の見通しだったというのに。結局、品不足は起きないままリンゴの季節が終わってしまった。この年が終わってみると、じつは青森は平年をはるかに上回る売り上げを記録していた。誰が仕組んだわけではない。しかしこれは、ある時点から確実に情報操作のメカニズムが働いた結果と言っていい。地面に山と積まれた落下リンゴと肩を落とす農家の姿。だがそれは青森全体の姿ではなかった。被害を受けたのは風の通り道になったごく一部だった。こうして翌春、全国の青果市場関係者は招かれて青森のリンゴ業者の大盤振る舞いを受けることになる。すべて業者持ちの韓国慰安旅行だった。笑いが止まらないとは、このことだっただろう。
マスコミとくにテレビが一般大衆に強い影響をあたえることは言うまでもない。テレビ・ニュースや新聞はみな本当のことを報道していると信じている人が大半だから、日本人のように均質化が極端に進んでいる社会は、ウソ八百にコロッと乗せられる。昨今の政治的茶番劇をみても、政治家とマスコミによる一般大衆へのマインドコントロールはあきれるほど効果を発揮している。報道とはさまざまな事実のうちごく一部を切り張りして作った一種のフィクションであることに思いをめぐらせる人がどれだけいるのだろうか。情報化社会などと騒いで、世の中進歩してみんな知的で理性的になったかのようなことを喧伝されるが、実際のところは他人が作った情報にピーヒャラ踊らされているだけではないのか。なんとなく集団で踊るのが好きな寒い寒い日本の日々はつづく。
蛇足ながら、ニュートンが冒頭のようなことをつぶやいた事実はない。