▲ Index

笑うべき産業構造モデル ・・・ [2009/12/9]

農業はいちばん低次元の古い産業だ、というのが経済学の常識らしい。

「ペティ・クラークの法則」と呼ばれる経験則が存在する。すなわち、経済発展ともに、第1次産業(農業)、第2産業(製造業)、第3次産業(サービス業)へと順次、産業構造の重心が移っていくという法則である。この経験則は、人間の欲望のあり方に根拠をもったものであると考えられるので、妥当する蓋然性は著しく高いと判断される。」(『なぜ産業構造の転換が進まないのか』池尾和人

こんな産業類型をいまだに使っている経済学者もいるんだなあ、と半ばあきれた。

農業を1次産業と規定すること自体、うるわしく、素朴で、幼稚な理解だろう。経済の数字ばっかり眺めていて農業の現実をまったく知らないと、こういう偉い先生が出てくるのかもしれない。言うまでもなく、農業は、収穫採集業でもあり、製造業でもあり、サービス業でもある。これは、当たり前の話だ。それさえも理解していないで産業構造を語られても、笑われるだけだろう。

そもそも、こういう、1次2次3次、というような「産業発展史観」みたいなものは、西欧型の近代主義、進歩思想が生みだしている。ものごとがだんだん高レベルに向かって直線的に、階段を上るように変化していくというのだ。そして生産性が高く経済成長により多く貢献するような産業分野にむかって経済構造がシフトしていく。これが、経済学でメシを食っている人たちの考え方らしい。そして彼らが付け加えて言うのは、古くさく生産性の低い産業分野は切って捨てろ、ということだ。

しかしこの進化モデルみたいなものは、机上のお遊びに過ぎない。かんたんに言って、すべての産業、あらゆる産業は、みなサービス産業だ。産業にはどんな産業であれ「客」というものがいる。ラーメン屋だってラーメンをゆでているだけではラーメン屋にならない。ゆでて容器に入れて客のところに持って行かなければ、ラーメン屋ではない。麺は作らないが、ラーメン屋は調理するという意味で製造加工業であり、客に熱いラーメンを提供するという意味でサービス業であるのだ。製麺業者はラーメンをゆでないが、ラーメン屋に麺を提供するというサービスを請け負っているサービス産業だ。

農業もまったくおなじこと。果樹栽培のなかで、第1次産業の要素があるとしたら、それは加工用の果物生産だけだろう。缶詰用のサクランボとか、缶詰・ジュース用のりんごとか、そういうものの生産だ。ところが、こういう加工用農産物というのは農家の収入のごくごく一部にしかならない。しかも、わざわざ加工用のために果樹を栽培している農家はない。加工用のために労力とコストをかけるというようなことはありえない。果樹の主流は生食用つまり消費者がそのまま食べる果物作りだ。加工用はいわばその不良品として出てくるだけのものだ。

形のあるものをつうじて客にサービスするのか、形のないもので客にサービスするのか、産業にはその違いがあるだけだ。だから、上に引用したような産業の業種分類とそれにもとづいた「構造転換」に説得力はない。

かつては、農家は農作物をつくり、流通業者がそれを消費者に売る=(わたし作る人、あなた売る人)=という構造が成り立っていた。かんたんに言って分業社会だ。工業だろうと小売業だろうと金融業だろうと、要するに分業と細分化、専門化が世の中の歴史だ。1次産業から3次産業へというたんじゅんな変化が世の中の歴史ではない。1次、2次などというのは中学生レベルの思考方法だろう。現実の産業構造の変化は、次のようなかたちで起きる。

1990年代の日米経済摩擦の中で産業構造の変化が加速する。いわゆる大規模小売店に対する規制撤廃が零細小売業を徹底的につぶした。駅前シャッター通りを作り出した。同時に卸売市場をつうじた物流システムは量販店中心主義、ロット主義に走った。結果として、卸売価格の安値固定と農作物の画一化がきょくたんに進んだ。低価格で画一化した生産を強いられるという意味で、ニッポンの農業地域は植民地経済化した。零細小売業者だけでなく零細農家の死滅をも引きおこした。

世の中では「格差社会」という言葉が使われる。しかし、これは「格差」という種類のものではない。新しい植民地経済。新植民地社会とでもいうべきだ。

日米構造協議でのアメリカのネライは明らかだっただろう。ニッポンの経済社会、地域経済、地方文化構造の解体。どこの地方都市へ行っても、まったく同じチェーン店が乱立する殺伐とした郊外を持つ町が出現した。田畑をつぶして必要もない道路をそこいらじゅうに造成した。ニッポン全国、まったく同じパターンの消費構造をもつ地域でうめつくされた。各地域固有のもの、ローカルな経済システムは根こそぎ解体された。アメリカのネライは達成されたと言っていい。ニッポンは個性的なものを捨てて、弱体化し、空洞化した。モノを通じてサービスを行う産業は、国内植民地化した。全国各地、農業も製造業も低価格競争に引きずり込まれて、どんどん力を失っていく。

それなら、その代わりにモノを通じないサービス産業が栄えてきたのか?。それはなかった。モノを通じた産業が失われれば、それに乗っていたサービス産業は、砂の上の城になる。まず、ニッポンのバブル景気と金融危機。そして今のアメリカを見たらいい。リーマン・ショックに始まるこの経済危機がなぜ起きたのかを考えれば、答えはかんたんに出るだろう。モノに関わらないサービス産業はモノに制約されることなしに膨張する。そしてかならずバブルを起こして、ついには、はじける。

サービス産業に産業構造の重心を移せ、などというのは亡国のサルが考えることだ。自分の手足を食って頭だけ生き延びようとするタコが考えることだ。手足のないタコはもはやただのボールだ。