指切りシュレッダー事件。
これは、基本的に親の責任にもかかわらず、それをメーカーの責任に転嫁しようという、あさはかな連中の騒ぎだった。そもそもが家庭でシュレッダーを買って使うという感覚がおかしい。(笑い)。そういう親は、個人情報を守るためにシュレッダーが必要なのだ、とか主張するのかもしれない。そういう小理屈を言いそうな気がする。しかも幼児が手の届くような場所で使うという、おそろしく無責任な親の態度には、あきれてしまう。親には責任があるのだ。誰が何と言おうと、親には子供の安全を守る責任があるのだ。最低でも自分の家の中での安全ぐらい、親が責任を持てよ。でないと、刃物屋は切れる刃物は売ってはいけなくなってしまう。子供がさわっても切れない包丁しか台所に置いてはいけないのだ。
もっとも、一般家庭で電気のシュレッダーを使うというような人間は、台所には包丁なんて置いてないような気もする。手が汚れるような仕事はしないのかもしれない。全電化マンションか何かで、全部機械任せ、他人任せのライフスタイルのような気がする。
パロマ湯沸かし器。
これは要するに不正に改造された湯沸かし器で事故が頻発した事件だ。製品そのものに欠陥はない、と会社側は説明した。これに対して世の中はあたかも責任はパロマにあるかのように決めつけた。こういう誰かを血祭りに上げて抹殺して喜ぶ、正義の味方が、ニッポンに最近増えたような気がする。ちょっと前の話で言えば、京都だったか兵庫だったか、養鶏農家の老夫婦がマスコミを初めとする正義の世間に叩かれて、二人で首吊り自殺をとげた。鳥インフルエンザの犠牲者は病原菌による死者ではなく、正義の味方たちがやったむごい集団リンチの犠牲者だった。
もう7,8年も前の話になるが、近くの山のペンションで一酸化炭素中毒事故があった。たしかスキーか何かで東京方面から来ていた若い親子連れだったと記憶している。夫婦と子供2人くらいだったか、全員が亡くなった。積雪地帯だから冬は家の周囲が雪で埋もれる。それも、前の日に除雪してあった部分でも一晩でまた雪に埋まってしまうのは日常茶飯事だ。そのペンションの部屋を暖房していた石油ファンヒーターの排気口が夜のうちにすっぽり雪に埋まってしまった。ヒーターをつけて眠っていた家族は一酸化炭素中毒でみんな死んだ。そのためペンション経営者は刑事責任を問われて、遺族へ払う多額の補償金を科せられた。もちろん廃業するしかない。
この事件で感じたのだが、夜、石油ヒーターをつけたまんまで眠るという信じがたい生活感覚だ。はっきり言ってこういう生活感覚はまともとは思わない。もちろん、ホテルなどで空調設備が自動調整しながら夜間も運転しているのはごく一般的だろう。しかし、そういう自動化された設備ではなく、そこに泊まる人が操作できる個室の設備については、そこに泊まった人に操作の責任の一部はあるはずだ。そのオーナーは元もと素人でペンションを始めた人で、この土地のごく常識的な生活感覚でもって暮らしてきた。だから客もある程度の常識的感覚はあるものと初めッから疑ってもいなかっただろう。
まあ責任論はともかく、雪国で暮らしていてさえ、夜中ヒーターをつけたままで寝るような家庭はまずない。眠る前にはスイッチを消す。当たり前といえばあまりにも当たり前の暮らし感覚だ。しかもそのヒーターは火を使っている。火を使っていることのそもそもの危険性を知らない大人はいない。それが、都会から遊びに来た若い家族には無かった。亡くなった方には悪いが、いわば、ぜいたく感覚でしかないと思う。宿泊料金を払っているのだから石油をガンガン使ったって何も悪くはないし、そんなことは客の勝手だ、とは言える。けれども、わたしはそういう生活感覚を支持するわけには行かない。そういう暮らし方はやっぱり間違っている。ぜいたく感覚が許される場所はあるだろう。一方でぜいたく感覚を控えるべき場所もある。室内で火を使っていることへの当然の注意義務が欠落している。そうではないのだろうか。
要は製造者または施設の提供者にすべて責任をかぶせていれば世の中が良くなるわけはないということだ。使う側が使う上での責任を分担してもっていなければお話にはならない。危険な欠陥商品を売るのは論外だが、正常な製品でも使い方をいい加減にすれば危険な商品になる。そういう当然の意識が世の中からいささか希薄になっているのではないか。
製造物責任法いわゆるPL法が施行されて年月が経った。製品にいろいろと注意書きが多くなった。黄色い三角枠のビックリマークが製品にぺたぺた貼られている。あれもかなり妙なもので、書いてあるとおりにすると何も出来なくなりそうな、そんな注意書きになっている。過剰な注意としか思えない例が多い。
書きかけです。
アメリカ 訴訟社会
産婦人科医の減少
個人の自立、自己責任