ここのところずっと、団塊の世代が話題にされることが多くなった。というのも要するに団塊が「定年退職」の時期にさしかかってきているせいであって、60歳定年とすると西暦2007年がそのピークとなるからだ。いわゆる2007年問題というやつである。2007年問題は、元もと日本の多くの中小企業でコンピュータ・システムを構築してきたベテラン・コンピュータ技術者が一挙に退職すること、その影響を問題視したコンピュータ業界用語から始まっている。しかし、今ではそれが企業技術者一般の問題にまで拡大され、さらに拡大解釈で団塊退職が社会・経済にあたえるプラス・マイナスすべての影響をひっくるめて騒がれるようになった。これが今日のいわゆる2007年問題だ。
この2007年問題という大上段にかまえた論議自体に、わたしはさほど興味は持っていない。団塊世代をネタに一儲けしようとか、企業にとって技術継承をどうしていくべきかとか、大体が損得勘定のいかがわしい発想に基づいていると思えるからだ。わたしが関心を持つのは、この世代のすぐ後に生まれて育った世代としてのわたしの問題意識だけだ。彼らに対する批判意識だけだ。
つかこうへい・井上ひさし風にいえば「戦争で死ねなかったお父さん」、そのお父さんが戦争に負けて祖国に帰ってきてお母ちゃんと夜も寝ないで作ったのが団塊の世代(ベビーブーマー)だ。その団塊の世代は成長した。成長して1970年前夜の若者たちの争乱時代には父親と同じく大学を舞台とした「闘争」に参戦した。しかし、すべての団塊が参戦したわけではなく、大多数は何もしなかったいわゆるノンポリなのだった。そこを間違えて団塊とは「戦った世代」と勘違いする人も結構多い。妙な学園紛争の「挫折」神話みたいなくだらないものを後の時代に残した。それに、そもそも「戦った世代」だったとしても父親と同様に戦いで討ち死にすることができず、彼らはその「第2の戦後」をふつうの勤め人となって社会の中にまぎれこんでいったのだ。
中には本当に戦いに倒れた若者もいるには、いただろう。ヘルメットを叩き割られて、あるいは催涙弾の水平撃ちで、放水と催涙ガスの中で死んでいった者がいただろう。あるいは、将来を約束されたエリートコースから自らドロップアウトした者、自分では意図しなかったものの平凡で安定した人生航路から非情にも弾き飛ばされた者もいただろう。しかし大半の人間、99パーセントの人間は、何事もなかったかのように、社会に吸収されていったのだ。都市の底に沈んでいったのだ。そうして「団塊の世代」と呼ばれる集団は典型的な「会社人間」となって生き延びていった。
戦争中に叫んでいたスローガンと戦後の生き方がコロッと180度変わるという点で、父も子も、まったく同じだった。真面目に誠実に真摯に生きようとした者は血を流して倒れた。これは不条理な淘汰、なかなか納得しかねるような不条理な選別、ではなかったのだろうか。戦いに傷つき倒れたそういう若者たちの屍は置き去りにされて、無傷で生き残った者たちの脳裏からはたちまち忘れ去られていったのだ。この世の不条理とはこういうものだ。優秀だがまっすぐな心を持っているがゆえ愚直な人間は、淘汰抹殺されていくのだ。
というわけで、そういう団塊世代が定年退職の時期を迎えるからといって、第二の人生がどうしたのこうしたのとはしゃぐのは、いささかお粗末、醜悪であろう。そんなの会社に入ったときから分かっていたことであって、みんな勝手に会社人間として生きてきただけのことなのだ。すなわちすべてが自己責任の範疇にある。で、もう人生の末期、残りカスの時期にやってきてから、さあこれからどうしようか、などと考える人間は、定年後はまたまた適当に世の流れに流れ流されていけばいいのだ。会社人間、組織の人間として、そこそこ体制順応してこの世にこの時代に流されてきた。善良な市民として。従順な子羊として。そしてついでに、老後の第二の人生もまたまた戦わず、周りを気にしながらただただ平凡に送ればよろしいだろう。
第二の人生という言い方があるが、わたしに言わせれば人生に第一も第二もクソもない。人生は唯一無二、今ここにあってここにしかない。定年を境に人生が変わるなんてのがあるのだろうか。それでは他人依存が過ぎる。おまえはアホか、と。なぜなら「定年」は他人が設定したものだからだ。自分の自由な意志で選んだものではないからだ。時間がたつと会社人間は誰でも自動的にそこに達するのが定年だ。そんなものにどれほどの意味があろう。そこから第二の人生が始まるなどとしたら、そんなものにどれほどの価値があろう。