1999年9月30日、東海村の原子力関連企業JCOで「臨界事故」が突発した。この事故は簡単に言えば、ガソリンをためたプールの側でたばこを吸うに似たアホな事故だった。 JCOは元々、日本核燃料コンバージョンという社名だった。社名から「核」を抜いたからといって事業内容が変わったわけではない。たんにダーティな核のイメージを会社から消してしまいたかっただけだろう。こうした姑息な社名変更は結局、自分たちが核分裂性物質を扱っていることを対外的に隠すだけにとどまらず、自らの意識からもその危険性を消してしまうという馬鹿な結果をもたらした。これを自己欺瞞という。
臨界というのは、核分裂連鎖反応が一定の割合で継続して起きる状態のことで、これが原子力発電所のなかでは普通に維持されている。一定にするため制御棒などを使う。発生する放射線は遮蔽材で外に出ないようにしてある。この臨界は核燃料という固体についてのものだが、同じことは溶液状態の核分裂性物質についても言える。しかし溶液の場合、その状態の制御が固体の時のようには簡単にいかない。だから基本的に溶液状態での臨界は起こしてはならない。溶液状態の核分裂性物質を扱う施設として代表的なのが使用済み燃料の再処理工場だ。東海村に政府系の施設があるほか、本格的工場は青森県六ヶ所村に建設が進められている。こちらは電力会社が主に出資した民間再処理工場だ。そして、再処理工場と比べれば規模はずっと小さいもののJCOのような核燃料再転換施設が溶液状の核分裂性物質を取り扱っている。核燃料の流れをかんたんに並べてみると次のようになる。
ウラン鉱山->転換施設->濃縮施設->再転換施設->加工施設->発電所->再処理施設->再転換施設->加工施設->・・
一方、臨界を超えて核分裂連鎖反応をネズミ算的に起こせばそれが原子爆弾になる。東海村の事故のように臨界になったからといって大爆発が起きるわけではない。爆発的に核反応を起こすには高度な技術と特殊な構造が必要なので、普通の原子力施設ではその心配はまったく要らない。しかし、JCOの場合では条件さえ整っていれば臨界がいつまでもだらだらと継続する可能性はあった。いつまでも継続するということは、爆発はしないが制御できない核分裂反応が続くことを意味する。しかもその反応を包み込んでいるものが全くないむき出しの核反応が!!。むき出しということは、そこから出てくる放射線が何もさえぎるものなしに周辺にまき散らされるということだ。あたかも灯台が暗い海を照らすようにして放射しつづける。
原子爆弾の原理を全然知らないで原子力関連企業に就職する人間が大半の世の中で、核のとんでもない事故は起きても不思議ではない、という状況に日本もなってきたのかもしれない。自分の仕事がヒロシマ・ナガサキと直結しているなど夢にも思わないとすれば、それは恐ろしいことだ。現場でダーティな作業をする人が核に無知ではどうにもならない。日本の産業は、現場にまじめで優秀な職人肌の技術者が多くいることで発展してきた。その現場のレベルが下がれば危ない。いくら管理者レベルの人が高い知識を持っていたとしても、実際の現場でものを動かす人材がレベルダウン。もうこれは、核事故が日常的に起きる日は近い、と覚悟すべきかもしれない。
まずどうしても必要なこと。わたしたち日本人全体の原子力教育、核エネルギー教育のレベルを高めなければならない。というか、そもそも小中学校でそれなりの原子力教育をこれまでやってきたのだろうか。原子力に反対するにせよ賛成するにせよ、まず基本的な知識教育が必要なことは間違いない。原子力発電以外にも放射線を利用する場はいくらでもある。とくに医療関係ではそれが不可欠な時代になった。もちろん、教師が政治的な立場をそこに持ち込むおそれがあるので、非常にむずかしいことなのだが、かといって臭いものにふたをしていては、気がついたときには問題が取り返しが付かないほど大きくなってしまっているということになるだろう。