最近見聞きした二つの例を紹介しよう。
そのひとつ、わが家では暮れになると毎年、親戚から活きたクルマエビ、例の湿ったオガクズに埋まっているやつ、が送られてくる。その人が急に「あれを今年も送ってもいいのか」と電話できいてきた。「え？どうして？」。答えていわく、「送った人の中に〔動くので気持ちが悪い。送らないで〕と言ってくる人がある。お宅はどうですか？」と。へえーッ、わたしは本当に驚いてしまった。
もうひとつ、わが果樹園ではこの２、３年、産直果物の箱に『果樹園の生き物シリーズ』というＢ５判のチラシを入れていた。「鳥�．爛�ドリ、カラス、スズメ」から始まって、「鳥�△蠅鵑簡圈廖屮汽襦▲�モシカ、ハクビシン」「野ネズミをめぐって」と続く。このうちフジりんごの箱にいれた「野ネズミ」の文章にお客さんからクレームがついた。食べ物の箱によりによってネズミの話を入れるとは何事だ、と言う。野ネズミとドブネズミを一緒にするのは、トラとネコを一緒にするようなもの、ゴリラと人間を一緒にするようなもの、なのだが、そんなことを言っても通じるような相手ではなかった。
同じ文章にモズの「はやにえ」の記述もあって、わたしは「何としたことか野ネズミがりんごの小枝に串ざしになっていた」と書いた。こんなチラシはわたしが贈るりんごの箱に入れるのは止めてくれ、もらった方がギョッとする。その御仁の言い分はそういうことだった。そう言われてギョッとしたのはわたしのほうだった。ホラー！そんなこと言ったら年賀状にネズミや蛇の絵も描けなくなる。もらった人がギョッとするかもしれないからね・・・
野ネズミもエビでさえも、活きて動くものは、得体の知れない恐怖感を与えるらしい。より正確に言うと、その生き物同士が生存競争の中で殺しあったり、またその生き物を自分の手で殺して食べたりすること、に対する拒否反応があるらしい。人間は日頃、他の生き物を犠牲にすることで生きているのだが、その自覚がそういう人には欠けているらしい。だいたい人間自身はそんなに清潔、無菌の生き物ではない。霞を食べて生きているわけではなく、血のしたたるステーキを食べる、いきのいい刺身を食べる。いろんな細菌、雑菌と共生しながら生きている。そしてわたしたちが何気なく肉を食べられるのは、誰かが豚や牛を殺す作業をしてくれているからだ。そんな当たり前のことさえ分からない異様な人間が増えているのかもしれない。
魚は切身で海を泳ぎ、蒲鉾は板に乗って波間を漂う、ハムは豚が卵を産むように毎日産み落とす、どころか食べ物はみな近代的な半導体工場で機械的に、無菌状態で“衛生的”に生産されている、とさえ思っている。都市生活者のなかに広がるおそるべき感覚麻痺。抗菌グッズに囲まれて殺菌処理した部屋で、毎日朝シャンを欠かさず、自分の手を汚さずに清潔清潔しながら生きていると、こういう感覚をもった奇っ怪な人間が増えてくる。お上品な階級と言うべきだろうか、はたまた心やさしきベジタリアンというべきか。 しかしこういう人に限ってアウトドア・ライフを楽しもう、自然を守れ、安全な食べ物がいい、などと言い出すのだ。文化的生活に彩りを添える自然、心を豊かにしてくれる自然。そんな都合のいいだけの、美しく清潔な自然なんかあるものか。
突然、話をＯ−１５７に飛ばそう。因果関係は宙に浮いたままだが、「水耕栽培のカイワレ」犯人説はきわめてシンボリックだった。土から切り離された「工場野菜」であるカイワレダイコンと、どこにでもいる大腸菌の変異体という組み合せ。カイワレはまるで現代人の姿を象徴しているかのようだ。土を排除していく現代文明の生活スタイルは、時に強力な微生物の反撃を食うことになるという寓意をふくんだ事件。
そのうえ今年になって、アメリカから輸入したカイワレ種子が汚染源かもしれないという説まで出てきた。食べ物を含めたさまざまな物資を海外から買いあつめて成り立っているわたしたち日本の消費社会、その危うい姿さえあぶりだされるように見えてきた。
おかしいのは、清潔がいっそう声高に叫ばれ、殺菌を徹底し衛生管理を強化すれば何かが解決するかのように思われていることだろう。つまり「排除」の思想だ。これはかつて農業分野で繰り返されてきた、病害虫に対する農薬の大量使用とまるで同じ発想なのだ。清浄野菜、無菌豚、あるいはヒトの医療分野における抗生剤の多用とも同じ発想。社会的規模での清潔不安症候群＝「手を洗うのが止められない」症候群、といったところだろうか。
その結末としてもたらされるのは、虫は飛ばず鳥はさえずらない沈黙の春か、あるいは人間に対抗して進化した強力な薬物耐性菌がとつぜん引き起こす打つ手無しのパニック！ 今日の生産と消費の生活が、目に見えない微生物を含めた生態のバランスを無視し、目に見える経済合理性のみで動いているかぎり、制御不能の事態はいつでも起こりうる。微生物＝見えないもの＝暗闇と静寂、を徹底的に排除していく「何でもライトアップ」社会にひそむ落し穴は、世の中の「明るさ」とは逆にますます深く、大きくなってきているのではなかろうか。