領土問題 4月26日

2006年版No.4
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日本海に浮かぶ竹島の領有権をめぐって日本と韓国のあいだで騒ぎだ。 竹島は島根県の竹島なので、島根生まれのわたしは子供のころからこの島の名前をよく知っている。李承晩ラインという言葉も記憶に残っている。たしか当時から我が島根県民の乗る漁船の拿捕だのなんだのがあったはずだ。そんな昔から、この問題はずーっとあるわけで、この間の日本政府がやってきたことというか、何もやってこなかったことというか、そういう怠慢と無策が今の韓国大統領みたいなアホ発言を平気でするように仕向けているのだ。

さて、領土問題というと土地の問題だから、農家なんかもじつに他人事でないものがある。農家同士の畑の境界トラブルは日常茶飯事みたいなもので、長い農地の時間のなか、押したり押されたりの歴史を刻んでいる。何か事があると必ず、昔の経緯やわだかまりが吹き上げてくるのだ。

我が家の畑はあちこち分散しているが、そのうちの一カ所は、ある寺の脇を通り抜けて行った先にある。そこは遙か昔からの農道いわゆる作場道(さくばみち)で、昔なら人や馬、荷車が通っていた。道幅は広い農道でも1間(1.8メートルくらい)、普通はその半分くらいのものだった。自動車やトラクターの時代に移っていく過程では、みんなが気兼ねなく通れるように、道幅拡張のため農地の所有者が自主的に自分の土地を提供して両側に道幅を広げることが行われた。そして公共の広い道になってきた。


春なのにこの雪の山

で、件の寺の脇の話だ。農道は寺の敷地の3メートルくらい下、ブロック石垣のふもとをすり抜けるように通っている。その寺は10数年くらい前に代替わりして今の坊主になった。この男、数年前から冬になると石垣の上から雪を下に落としてくるようになった。寺の敷地に積もった雪を除雪がいちばん楽な場所に投げ落としてくるようになった。10年以上も前まではまだこの農道を利用する農家が4、5軒はあったが農業をやめたり農地を売ったりした結果、今は我が家しかこの農道を使わなくなっている。そこでこの坊主、勝手なことをやり始めたというわけだ。

常識で考えれば分かるが、道に雪を捨てることが許されるものではない。他人の土地はもちろんだが、よほどの理由がなければ公共の土地や道路に自分の家の雪を投棄していいわけがない。ましてや寺の住職だ。御仏に仕える僧侶のやるべき所行か。冬は確かに車で畑に行くことはない。しかし春になれば農作業が集中してくる。重いものを運ぶにも最初の農薬散布するにも農道が通れないと困る。投げ落としてきた雪は山のようになって道をふさいでいる。しかも落としてきた雪だからガンガンに堅く締まっていて、人力で取り除こうと思ったら大変なことになる。

去年は3月の雪が多かったせいで4月の20日を過ぎても大量の雪が残っていた。ほかの場所にすでに雪はなく草も伸び始めていたが、そこだけ雪が残っていた。坊主に何とかしてもらえないか、と頼みに行った。本来なら、常識ある人間は人が迷惑するようなことはしないものだろう。案の定、常識の欠けるその坊主は拒否した。こちらは「文句」を言いにではなく丁重に「お願い」に行ったのだが、それを拒否した。理由はここに書くほどのこともない子供の言い訳みたいなものだった。坊主曰く

昔、農道と寺の境界をハッキリ決める必要が出たとき、住職(先代)の立ち会いなしにおまえら農家だけで勝手に決めてしまった、だから雪を捨てても構わないのだ。

重機で除雪する

いい年をした坊主がこんな屁理屈をまじめな顔で言ったのには、わたしも唖然とした。境界線の話と雪を投棄する話とどういう関係があるのだろう! 立ち会いなしで勝手に決めたという作り話が通用すると思っているのか。百歩譲ってその立ち会いの不満があったとしても、それで公道に雪を捨てっぱなしにしていい話にはならない。こりゃダメだ、こんなアホを相手にしていては時間の無駄だとそのとき悟った。で、去年は、仕方なく知り合いに頼んで重機で除雪してもらった。今年は去年を遙かに上回る量の雪が積もった。道をふさぐ雪の山も2,3倍多い。また重機の登場だ。

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