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安心安全社会の朝青龍 ・・・ [2010/2/5]

べつに、わしは大相撲が廃れようと消えて無くなろうとどうでもいいが、朝青龍をたたき出した相撲界とこのニッポンという社会には不気味なものを感じる、とだけは言っておく。一昨年、大麻でたたき出された若ノ鵬らのことももちろん含めてだが。

元ライブドアのホリエモンも書いている。「小沢・朝青龍の一日」

人間、なんでも許容量がたいせつだ。多少のいい加減さを許すだけの器量が大事だ。それが、この世の中を伸びやかに、楽しく、スリリングにする。その幅の広さこそが、人間をいきいきとさせるのだ。天才を生み出すのだ。今までの既成観念を超えた創造につながるのだ。

ガッツポーズをしたのはけしからん、とか騒いでいた人たち、国技を汚した、とか偉そうなことを語っていた人たち。こういう人たちが相撲をつまらなくしてきた。安心安全で、ゴミ一つ無い、殺菌済みの社会ぐらい気持ち悪い世界はない。相撲取りを去勢・キンヌキして何が国技かね。異端者を追い出して、よいこだけの集まりにして、勝負の世界が成り立つと、本気で思っているのだろうか。

今風に言えば、「コンプライアンス」(WikiPedia)主義がまきちらしている社会的害毒という話になるかもしれない。やたらと世の中を「きれい」にしたがる異常な人たちがいることだ。もちろん「きれい」と言う意味は神経症的な、ヒステリックな「きれい」主義のこと。それは、一種の「魔女狩り」にまで行き着く。

朝青龍くらいニッポンの大相撲に貢献した相撲取りはいない。若貴時代から後、今に至るまで、ほかに誰がいたというのだろう。その朝青龍に感謝しないような品格のない人間=内舘某とか漫画家某とかには、大相撲を語る資格はないよ。あの若乃花、貴乃花だって、女性関係では「品格」があったとは言えないことを忘れないように。