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百年に一度の危機!なんてものはない  ・・・ [2009/3/20]

去年の暮れから今に至るまで、政治家、経済学者、財界人、マスコミ、ねこもしゃくしも「百年に一度の危機だ、たいへんだ」とくり返している。このことばは、昨年、アメリカ連邦制度準備会(FRB)の議長バーナンキが言ったことばだったと記憶している。たぶん、これは1920年代におきた世界恐慌とならべるために使ったことばだろう。要するに、20世紀初めに1回、今世紀初めにまた1回、ということだ。

しかし、わざわざ言うまでもないかも知れないが、その前の世紀つまり19世紀、18世紀にも「百年に一度の危機」があったんですかね? ひょっとして、「百年に一度の危機」がこれまでの歴史で1回しかなかったとしたら、それは「百年に一度の」とは言いませんよね。すくなくとも3回くらいは同じことがなければ。。

てなわけで、こういう言葉を使っている人はお馬鹿さんだということになるだろう。どこかの国の総理大臣だけではない。

ニッポンには、こういう、アメリカのお偉いさんが言うことをそのまんま直輸入して、そのまんま当たり前のように使う人間がいっぱいいる。自分では何も考えないお偉いさんが、ニッポンの政界、学界、経済界、言論界をリードしている。それから、「サダム・フセインは大量破壊兵器を隠している」というブッシュの宣伝文句をそのまんま信じたお馬鹿さんもニッポンにいっぱいいた。オバマが Change! と演説すると、猿まねニッポンでチェンジが流行だ。(山形県知事選挙でもあったね)

そのオバマは大統領就任以来、「テロとの戦い」ということばを使うのをやめたそうだ。何という言葉で表現しているのか知らないが、ブッシュ政権が世界中にまきちらした「テロとの戦い」という大看板、キャッチフレーズをひっこめることには違いない。じゃあ、アメリカさんの大好きなニッポン人はこれからは何という言葉を使うのだろう。答えはオバマが何と言うかに決まっている。それを翻訳して使うに決まっている。インド洋の自衛隊無料ガソリンスタンドも、これからは「テロとの戦い」ということばを使ってはいけないのだ(笑)。マスメディアもこれからどう対応するのか、見物ではある。

それから、オバマが打ち出した「グリーン・ニューディール」もまったく同様だ。これは「百年に一度の危機」に対応する「恐慌→ニューディール政策」という意味での現代版ニューディールだが、オバマは現代版ではグリーンという形容詞を付けた。環境政策の重視ということ。これもまた、ニッポンではそのまんま真似して「グリーン・ニューディール」を馬鹿のひとつ覚えのごとく叫び始めた。「♪♪ あなーた、と呼べーば、あなーた、と答える、山のこだまーの嫌らしさ ♪♪」

つまり、何が言いたいかと言えば、ニッポン人は自分のアタマでは何も考えない民族らしいということだ。自分の言葉を持っていないということは、自分で考える能力がないのと同義語だ。

このことは、日米同盟をやたらと「強化」したがる人たちに共通している、思考停止病だ。たとえば、小沢一郎が在日米軍について「将来は第7艦隊だけでいいのじゃないか」とひとこと発言すると、自民党の思考停止国会議員は、小沢はアホだ無責任だ、と騒ぎ出す。何のことはない。彼ら思考停止人間のアタマの中は空っぽで、アメリカさんの作った世界戦略用語集、軍事用語集がそっくりそのままインストールされているだけのことなのだ。

コンピュータは頭がいいように見える。しかし自分で考える能力はない。ウィンドウズのパソコンはマイクロソフトが作ったようにしか動かない。