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資本主義という名の風船売り  アメリカ発金融危機・・・[2008/11/2]

風が吹けば桶屋が儲かり、リーマンがこければ世界が不景気になる。

金融危機、という世界的騒ぎがつづいている。「余った資産の運用」に困ることのない我が家は、株が上がろうが下がろうが、為替相場が混乱しようが、そんなことには関係ない。残念ながら世の中から取り残されているので、危機だと言われても悲しいかなさっぱり危機感を感じない。20年近くまえにあったらしい「バブル景気」とやらにも縁がなかった。もちろん「バブル崩壊」とか「失われた 10年」とか、そういうものとも縁がなかった。ついこの間までは、「いざなぎ景気」を超える好景気がつづいているという話だったが、そんな浮かれた気分は味わったことがなかった。今回も、危機だ危機だと騒いでいるのは、典型的な踊る阿呆だと思う。危機をけっこうエンジョイしているからだ。バブル景気がどうのこうの騒いだ人間もとことん踊る阿呆だったにちがいない。

騒ぎが大きければ大きいほど、経済学者や経済評論家は商売繁盛だ。しかし、経済に詳しい専門家たちが寄って集まって、これまでの金融を動かしてきたのであって、「無知」な素人が動かしてきたのではない。今回はそういった方々と同じ人種が「金融危機」を起こしてしまった。少なくとも危機を予想した人はいなかったわけだし、いたとしてもそれを防ごうと動き回った人間も、金融世界には一人もいなかった(たぶん、いても狂人扱いされるのがこの世の習わしというものだ)。そういう「危機の真犯人」たちが、急に刑事や裁判官ヅラをして出てくるのを見ると、これはお笑い劇場と言うしかない。盗人たけだけしい、とはこのことだ。

さて、投資家が株に投資するのをやめたので株が下がったのだそうだ。株券などという紙切れ?を買うことをやめた。では、その買うためのカネはどこにあるのか。むずかしいことを考える必要はない。要するに、投資家は株を買うのをやめて、カネはタンス預金をすることにしたのだね。タンス預金が一番安全だ。タンスにしまっておいてもカネは増えないが消えて無くなることもない。投資家のタンスは、やっぱり巨大なタンスじゃないと金が入らない、隠しきれないだろう。

で、実のところ、その投資家たちは、大きいタンスを買うのが嫌なうえに、カネを動かしたくて仕方がないという、マネーゲームの中毒症にかかっている。だから、けっきょく我慢できない。またまたどこかにカネをつぎ込もうとするだろう。株も、原油も、食糧も、その中身とは関係なしに相場が上がったり下がったりするのだ。これが、現代の、最強の覚醒剤としてのマネーと巨大な精神病としての資本主義経済学だ。

中毒性すらない大麻所持で大学生を逮捕するような愚かな国家もあるが、それなら、マネー中毒にかかっている世界の金融関係者や投資家をとっ捕まえて、薬物依存矯正施設にでも収容したらどうか。こっちの方がはるかに有害で凶悪な依存症患者、薬物犯罪者だろう。

今回の騒ぎについては、 『金融と革命の迷宮』(田中 宇)が面白かった。笑えた。

「1990年代の初めに東西冷戦がソ連の崩壊で終わって、西側の価値観が勝利した」、と世の中では誰もが疑っていない。それが今や確定した世界の歴史だ、と。しかし立ち位置をずっと後ろに引いて、時の流れのスパンを大きくしてみると、勝った負けたと言ってもロシア革命以来、たかだか70数間の米ソ対立の結末だったではないか。ベルリンの壁封鎖以降で言えばたったの30年の戦いだった。そしてその壁が崩壊してからまだ20年も経っていない。これは、本当はどちらが勝ったという話ではないのではないか。先に負けた格好になったのが、ソ連の社会主義(国家資本主義)体制だったとは言える。しかしそれは、「勝った」と思った方が本当に勝ったのかどうかの根拠にはならない。負ける順番が先だったか後からだったかの違いに過ぎないのかも知れないのだ。つまり、西側自由主義体制もいずれ負ける運命にあるのではないかということ。負けるとしたら、何に負けるのか、そこが問題だ。社会主義体制に負けることは、もはや無いだろうとだけは言える。アメリカで共産主義革命が起こることも間違ってもないだろう。それなら、いったい何に負けるのか。

ふたりのプレーヤーがいて一方が負けた。残った一方が勝ったのか。そんなことはないだろう。その賭場を仕切っている、第三の男がいるとしたらこの勝負はまったく違った意味合いを持ってくる。ふたりの戦いを陰でじっと見ている誰か。勝った負けたと騒いでいる愚か者を微笑みながら見つめていた誰か。ここで間違ってはいけないが、米ソの対立とは、「民間」資本主義社会と「国家」資本主義社会の戦いだった。どちらも資本主義の一亜種である。どちらも資本主義、このことを分からないで、単純に「資本主義社会が勝った」「社会主義が負けた」「自由主義が勝った」「全体主義が負けた」と言うのは正しくない。ここが重要だ。冷戦とは資本主義同士の対立に過ぎなかった。

さて、金融資本主義というのは、未来を担保にしてカネを貸し借りすることで成り立っている。今現在と明日との間にある時間差と、その落差をつなぎとめておくための「信用」という細い糸があって、その命綱への信頼感が揺らいでいる。これが金融危機だ。「未来への信用」が収縮を始めているということだ。未来にしても、時間にしても、信用にしても、貨幣にしても、どれも人間が勝手に作り上げた抽象概念だ。モノではない。そういう空気のような、形も質量ももたないものが世界を動かしていること自体、奇っ怪なことなのだが、その奇っ怪なることを不思議とも剣呑とも感じなくなった。こんな人類に、本当に未来はあるのか。

風船売りみたいに、資本主義はバブルを膨らませ続けることで生命を維持している。資本主義にとって、無から有を生み出すことが生きていくための絶対条件だ。有から有を産んでいたのでは資本主義は呼吸できない。有から有を産んでいるだけでは、世間一般からすれば貧乏暮らしとみなされる。退屈で活気がない生活とさげすまれる。利潤、利ざやがゼロだからだ。経済発展しない。ウソでも何でもいいから景気をよくしないといけないし、経済を「成長」させなければいけない。ほんとうは、モノの世界は無から有は生じないし、ある有が別の有に形を変えるだけなのであって、どこも「成長」なんかしていない。カネという実在ではない記号・数字が大きくなることを成長だと称しているだけのことなのだ。こういうもののことを世間では詐欺という。ネズミ講と呼ぶ。すなわち資本主義とは詐欺の別名だ。だから、詐欺はいつかバれる。ネズミ講はいつか破綻する。バブルはいつでもはじける。風船はやがてしぼむ。記号は消える。

ここで聞こえてくるのが、祇園精舎の鐘の声らしい。その釣り鐘は、打つとドルとか円とかいう大きな音を出すそうだ。金融資本主義は沙羅双樹の花の色。

万物流転のこの世界では、モノは常に変化していく。変化はしていくが成長などはしない。発展などはしない。成長も発展も、これは価値観だ。早い話、ある人にとっては成長であっても別の人から見れば老化にもなる。ある人にとっては発展であっても別の人にとっては破壊に見える。西洋流の世界観、歴史観に欠けているのは、こういう世界を相対化する視点だ。「成長」を絶対神のようにあがめ奉る考え方が、世界を混乱させ、危機を作り出している。マネーがその典型ともいえる。実物世界はどうひっくり返っても有限なのに、マネーのような記号社会はつねに無限であろうとする。その落差で危機が起きる。これを避ける方法はあるのか。 (つづく)

若いころこんなことも書いていた →都市に関する12のバリエーション