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農耕と狩猟 ・・・白馬岳そして福沢諭吉 [2004/07/13]

飛騨山地に白馬岳という名の山がある。標高2,932メートル、山を愛する人たちは昔ながらにシロウマダケと呼ぶ。だが、スキーや観光でしかこの山の周辺に来ない人は、その多くがハクバと呼ぶ。本来のシロウマの音から白馬に、そしてハクバに変わっていった歴史は日本人の心のありようを象徴している。

陸軍参謀本部による「改ざん」

この山はかつて信州側では「代馬岳(シロウマダケ)」、通称ではたんに「西山」とか呼ばれていたという。代馬とは言うまでもなく代掻き馬、つまり農耕馬だ。深い冬から覚めたこの山に馬の形をした雪形があらわれる。純白の残雪の中に雪の解けた部分。山麓から見るその地肌の雪型が黒い馬のかたちをしている。白いカンバスに黒い馬が。

それがあるとき突然のように白い馬に変身する。陸軍参謀本部陸地測量部が大正2年(西暦1913年)に5万分の1地図を作製したとき「代馬岳」でなく「白馬岳」と表記したのが公式上の始まりという。このとき、測量部の担当官のもっていた地名に対する価値観が、農民的なそれでなかったことは明らかだろう。同時に馬に対する価値観も農民的なそれではなく軍人的な、あるいは都会人的なそれだったのかもしれない。目でもって実際の山を見上げれば明らかな黒い馬が、このとき机上の論理で勝手に白い馬に塗り替えられた。

大元帥閣下・天皇が軍服に身を包んで騎乗する馬はほかでもなく白馬だった。
惨憺たる敗戦後まもなくして、山麓の神城村と北城村が1956年に合併して白馬村が成立したとき、その呼び名として選んだのはシロウマムラでなくハクバムラだった。代馬(シロウマ)は地元からも捨てられ、名実とも白馬(ハクバ)になった。都会だけでなく山に囲まれた農村社会ですら農耕文化は無用になった。白馬はもちろん泥にまみれた農耕馬ではない。人が騎乗するための馬。狩りのための馬だ。そして時には遊興のための馬だ。

高度成長期の少年テレビ時代劇「白馬童子」、手塚治虫の少女漫画「リボンの騎士」、内藤洋子が歌った「白馬のルンナ」。当時の国鉄が大々的に展開した旅行キャンペーン”Discover Japan ”ではポスターに「Mt. HAKUBA」と書き込まれたという。農耕労働から軍馬そしてレジャーのための馬へ。 山名・地名の変遷にこの国の生活の変質と心の変容を読みとることが出来る。

脱亜入欧

福沢諭吉は、アジアの農耕文化を捨てヨーロッパを手本にした文明をめざすこと、それが独立の元だと主張した。効率が悪く無力なアジアの農耕文化にもとづく文明は、「惑溺」に満ちた捨て去るべき「半開」に過ぎなくなった。「半開」とは、「未開」と「文明」の中間にある状態、段階のことである。捨てなければ日本の独立は危うい、と。西欧列強に支配されるインドを見よ、中国を見よ、という危機意識に満ちていた。

明治日本は、近代的西欧文明にかざられた狩猟国家への道を歩み始めた。富国強兵、殖産興業。狩猟のためには実弾が必要である。近代的軍備を整えよう。大正、昭和と時代は流れていった。狩りのために朝鮮半島から満州、そして中国全土へ、さらにはやがて東南アジアの石油を求めて進出していった。だが、ここでホンモノの狩猟国家がその前に立ちはだかることになる。イギリス、オランダそしてアメリカ合衆国である。世界はすでに植民地という形で彼ら狩猟型文明国家群に支配されていた。植民地とはまさに狩りで得た獲物である。欧米の列強は、にわか作りの狩猟国家が戦って勝てる相手ではなかった。日本は明治維新以来、形の上で狩猟型文明国への変身をはかってきたものの、依然として農耕民族の血が身体に流れていた。勝ち目のない悲惨な戦争にのめり込むことになる。

【注】「狩猟文化」、「狩猟型文明」という言葉の定義付けをこの文章では曖昧にしてある。厳密な論理という面からすると問題があるので、いずれもっと緻密な文章を補足しなければならない。とりあえず書いておくと、「狩猟型文明」は狩猟を生活のスタイルにしている文明という意味ではない。あくまでも比喩としての「狩猟」だ。他方「狩猟文化」とは、文字通り狩猟を生活の基本にして生まれた文化を意味する。

狩猟型文明国家であろうとした日本は、敗戦によって挫折した。それまでに得ていたアジアの権益という獲物をすべて失った。だがその時、農耕文化にもとづく民族国家にもどる道はもう無かった。狩猟に欠かせない軍隊を奪われた日本が次に選んだのは、軍事力に費やす必要の無くなった金をたくわえ、勤勉さに裏打ちされた高い工業力を武器にする道だった。高度経済成長はこうして、まったく別の形で狩猟型文明国家をめざす日本の新しい道となっていった。銃の弾倉にカネを詰め込んだ日本の兵士が世界に進出していった。彼らの狙う獲物は、中東の石油をはじめとする世界の鉱物資源と、そこから加工した工業製品を売りさばく世界市場だった。

非可逆的な収奪と消費の文明

この時代、日本があらゆる面で依存を深めたのが対米関係に他ならない。アメリカは世界有数の農業国家である。かと言って、そのことはあの国が農耕型文明の国であることを何も意味しない。アメリカはどこまでも狩猟型文明の国家だ。新しい狩り場を探し続け、最新の狩猟道具を作り続ける。彼らにとって世界は無限の広がりを持つ猟場でなければならない。これは農耕民族の発想からはかけ離れている。農耕型文明にとって当たり前の「循環」が彼らの狩猟型文明にはない。

つねに再生産を意識してローカルに完結しようとする農耕文化とちがい、狩猟文化は外からの非可逆的な収奪と消費・廃棄によって成り立っている。だからこそ本来の狩猟文化、たとえば日本ではアイヌあるいはマタギ文化、北方民族ではエスキモーやイヌイットなど、獲物を神とあがめ敬い、けっして生きていくために必要以上の無用の殺戮をせず、これらの自然の恵みに感謝しつつ共に生きる心と暮らしを保ち続けてきた。それが狩猟民族の知恵だった。

だが、なぜかユダヤ・キリスト教を信奉する欧米の人々は、この大自然に対する掟を捨ててしまった。この非可逆的な収奪と消費・廃棄はそのままにすれば必ず暴走する。これをコントロールするのが人間の知恵だったはずだ。これをコントロールする心を失ったヨーロッパの文明は、彼らの一神教の神が命ずるまま、手に入れた科学技術力を駆使して世界中の資源をあさるために船出していった。大自然は闘いうち負かしていくべき敵になった。近くに獲物が絶えれば、より大きな獲物を求めてさらに遠くへと足を伸ばさねばならない。やがてその猟場からも獲物は絶滅するだろう。そしてまた、さらに遠くへと・・・。イラクに侵攻したのは正にこの狩猟型文明のなれの果ての国家だった。そしてまた今日の、地球環境の引き返すことの出来ないまでの破壊を平然と進めているのも、この狩猟型文明の国々なのだった。

彼らにとっての自然は、科学技術によって支配し改変して当然のものだ。それと同じく世界の片隅に細々と暮らす人々の信じる神は邪神にすぎない。こうした邪教を信仰する未開の野蛮人は「民主化」し、「解放」してやらねばならない、という論理になる。そのためなら数万人、数十万人の殺戮など些細なプロセスでしかない。「野蛮人」は人間ではないのだから。

農耕社会の文化にはもちろん悪い面もよい面もある。経済的な非効率、自然条件に左右される不安定な生産、モノ、人の自由な行き来の制限、往々にして閉鎖的な人間関係、毎日の暮らしの一見して退屈な繰り返し・・・。資本の力はそれを良いもの悪いものの区別なく根こそぎ流し去る。有無を言わさず、自由主義市場経済化、グローバル化の錦の御旗の下に。。

21世紀、ひたすら新たな収奪と新たな消費を探し求めて日本はさまよい始めている。 今、日本人が手にするのは依然として福沢諭吉の円札。その福沢が真に求めた「独立」は百数十年を経て実現されたのだろうか。日本が世界に誇るべき「文明の精神」はうち立てられたのだろうか。本当に農耕文化にもとづく文明は文明の名に値しない「半開」にすぎなかったのだろうか。