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バカ殿の壁・イラクの泥沼 ・・・昭和20年代生まれの意味するもの [2003/12/11]

最初の一歩を間違えると、最後の最後に頭の上から”原爆”が落ちてくるまで、自分の考えを変えられないのだろうか、日本民族の脳味噌としては・・。と今更ながら思う。養老孟司の『バカの壁』(新潮新書)ではないが、この国の総理大臣や自民党幹事長はすばらしい頭脳構造をしているらしい。彼らを支持する人も同様だろうが・・・。

イラク戦争への参加の流れを見るにつけ、こんなふうにして日本国は、昭和の時代にドロ沼の中に突っ込んで行ったのだった。八紘一宇、王道楽土、アジアの解放、大東亜共栄圏、とか唱えながら。いまではイラクの「戦後復興」とか「テロとの戦い」とか「国際貢献」とか「中東の安定のため」とか、実におめでたいキャッチフレーズをばらまいている。あの大東亜戦争をおしすすめた政治家や官僚の息子、孫連中が今の日本の政権を形作っているのだから、同じ間違いを平気でやってしまう、とも言える。血筋というやつには逆らえない。

小泉、安倍、福田、石破、麻生、・・・・。どうやら彼らの父親、祖父は第二次世界大戦で戦場に一度も行ってない幸せな家系のようだ。「戦争は人殺しだ」という実体験が彼らには遺伝していないらしい。今の政権とは、戦場に行ったことのない親に育てられた、口先はやたらと威勢がいいお坊ちゃんの連合政権と言えるかも知れない。

腰まで泥まみれ

北朝鮮から日本を守ってくれるのはアメリカだけだ、だからイラク戦争を支援してあげねばならない。そう真面目に主張する向きも日本には多い(小泉氏も3月、興奮してそんなことをわめいていましたね)。北朝鮮が日本に攻めてきて何の得になると思っているのだろうか。鉱物資源、エネルギー資源は無い。食糧は自給率が最悪。国民の食糧を半分近く外国に頼っている国が、なんで北朝鮮の食糧難を笑えるか不思議なものではある。カネは腐るほどあってもそれはいざとなれば紙くずに過ぎないし、経済大国と言っても中身は薄く、製造業は空洞化する一方にある。それとも奴隷にするために攻めてくるのだろうか。今時の日本人は奴隷としても役に立たないほど肥満で、頭でっかちで、力仕事にも向かないのではないか。

北朝鮮は脅威だ、日本が攻撃される。と心配している人に聞いてみたいものだが、自分たちの国が国際的に何か非常に重要な国だとほんとに信じているのだろうか。北朝鮮の指導者がいくらバカ殿だとしても、日本を軍事攻撃して得られるものはない。自殺行為にしかならない。もちろん、もしアメリカが北朝鮮に先制攻撃をしかけるような事態になれば話は別で、米軍基地のある日本に反撃してくる、というシナリオは十分想像できるが、しかしそれは話が逆さまだ。アメリカが守ってくれるという話ではない。

ちょっと補足:歴史上、日本を侵略しようとしたのはモンゴル(元寇)と旧ソビエト連邦、それにアメリカ合衆国だけ。いずれも世界帝国をめざす超大国です。どう見ても金正日の北朝鮮は「世界帝国」ではありませんね(笑い)。侵略に見事に成功したのはご存知のとおりアメリカでした。それは日本に資源が埋まっているからでもなく、広い領土が欲しかったからでもなく、東アジア支配の拠点としての地政学的な戦略意図によるものです。べつに京都や奈良の美術品が欲しかったわけでもない。日本の中身に興味はないのです。

あの小さなパレスチナさえ対立と混乱が解決されていない現代にあって、アメリカとその同盟国はイラクまでパレスチナと同様の状態にぶち込んだ。混乱の収拾どころか軍事攻撃とテロ報復の拡大再生産を中東全域に広げようという、バカ殿方の国際大連合ではないのか。イラクという国家の枠組みが崩壊してしまったというのに、そこで戦後復興がどうして始められるのだろう。民族、宗教、それに何といっても石油がからんでいる。イラクの三分割という見方さえある。『世界大戦の予感』(田中 宇)

バカ殿は叫ぶ「進め、テロに屈するな!」・・・・・・・・・・・・・・
昔、ベトナム戦争にのめり込んでいたアメリカで歌われた唄に、こんなのがあった。

http://homepage2.nifty.com/4453/code/kosimade.htm 『腰まで泥まみれ』

死ぬのは「隊長」だけにして欲しい。


戦争を知らない子供たち

・小泉純一郎の父純也:1904〜1969 戦中は鹿児島選出の代議士、戦後池田内閣防衛庁長官。
・安倍晋三の父晋太郎:1924〜1991 戦中は学生、1949年東大法学部卒。代議士。
・福田康夫の父赳夫:1905〜1995 戦中は30代後半、大蔵官僚。帝大法卒。戦後、代議士。
・麻生太郎の父太賀吉:1911〜1980 麻生企業グループの創業者太吉の息子で二代目社長。戦後、代議士。
・石破 茂の父二朗:1908〜1981 戦中は30代半ば、官僚。帝大法卒。戦後、鳥取県知事から代議士。
・谷垣禎一の父専一:1912〜1983 戦中は30代、官僚。帝大法卒。戦後、代議士。
・高村正彦の父坂彦:1902〜1980? 戦中は内務官僚。帝大法卒。戦後、徳山市長から代議士。

彼らの父親は戦争の時代を生きてきたにもかかわらず、誰一人兵士として戦場に行っていない。昭和の日本人としてはまったく不思議な人たち、"戦場を知らないお殿様たち"によって今の政権は成り立っている。

わたしは、昭和20年代生まれの人々の重要性をここで強調しておこう。昭和20年代、この戦後間もない時期を中心に生まれた人はその多くが、戦場から生きて帰ってきた男を父親としてこの世に生を受けた。その意味で特別な世代としての性格をもっている。そしてそのことは、父親が戦場で相手を殺すか自分が殺されるかの分かれ道に立たされたという意味にとどまらず、もし父親が戦場から帰ってこなければ自分自身生まれてくることもなかった世代という性格をもって「戦後」を生きてきた人、を意味している。

この世代をはずれた前後の時期に生まれた人たちが今、日本の政治権力を握っていることに対して、強い危惧、そして不信感をいだかざるをえない。それより以前に生まれた人々は国内で空襲などの恐怖を味わうことがあったとしても、それは日本本土を遠く離れた戦場に置かれた兵士の恐怖と比べるべくもなかったはずだ。生死の瀬戸際に立たされた兵隊のみにくさを身をもって体験した名もない日本人と、社会的地位や年齢がやや高かったことなどの理由で兵役を免れて敗戦を本土で迎えた者と、その両者の間には想像を超える落差があったと考えてもおかしくはないだろう。その後の人生観、世界観に大きな違いが広がって不思議はないだろう。

後者の戦場を知らない日本人を父親として生まれた世代を代表しているのが、小泉純一郎をはじめとする現在60歳代の政治家、財界人ですね。福田康夫、麻生太郎、川口順子、高村正彦他がそれに当たる。戦前ないし戦中生まれだ。彼らの親は若者を兵士として戦争に送り出した側の政治家や官僚、財界人だった。谷垣禎一は昭和20年生まれ(58歳)なので、父親は当然兵士として戦場にいなかった家系。政治家ではないが、岡本行夫首相補佐官も昭和20年生まれで同様。これとは逆に安倍晋三、石破茂、中川昭一、石原伸晃、茂木敏充らの高度経済成長世代は、これまたその父親は戦時中は未成年であったために戦場経験のない世代(石破茂は例外)で、しかも本人は高度成長前の「戦後」時代をほとんど体験していない若い人たちだ。

父親は帝国大学法学部卒業、官僚上がりの代議士

もう一点、ここにあげた政治家のほとんどが帝国大学法学部卒業で官僚上がりの代議士を父親に持っているということに注意しよう。それは何を意味するのか。わたしは官僚を差別するつもりはないが、少なくともその時代の支配体制につねに一体化して生きてきた人種とは言えるだろう。権力者に対して従順ではあっても、反逆者はいない。野人はいない。革命家(*注1)ももちろんいない。こういう家系の人たちがアメリカという「帝国」政府に従順なのは生理的にはきわめて自然なことかもしれない。政治家でないのに二期続けて外相をやっている川口順子は、当人が官僚そのものだ。この人は人間ではなく腹話術の人形ではないかと錯覚してしまうほどだ。アメリカ国務省が遠隔操作でもしているのだろうか。

この二つの「戦場を知らない世代」に挟まれた世代、それがこの現在ほぼ50歳代にある人々(ベビーブーマー以降の人々)なのだ。親は戦争に駆り出され、自分は戦後の貧しい時代に幼少期を過ごした経験をもっている。この年齢層の人々こそ、今自分がこの国で立っている場所をしっかり自覚しなければならない責任があるのではないか。団塊の「第二の人生をどう過ごすか」などと下らないことを言っているヒマがあるのか。