2010年1月アーカイブ

ぼちぼち農作業

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今年の冬は、大雪なのか小雪なのか、よく分からない。今の時点で、畑には多いところでも80センチ、少ないところで50センチくらいしか積もっていない。平均すれば60センチくらいだろう。たしかに積もるときはどかどかと積もったが減るのも早い。1月半ばで1メートル50センチを超えていたはずなのだが、あれよあれよと無くなってきた。

dscf0010.jpg桜桃の剪定作業、芽かき作業もそろそろ始めないといけない。

去年の冬は異常に雪が少なかった。今、見る限り、今年も積雪量は多い方ではない。これから2月上旬にかけてがいちばん積雪は増える時期にあたるが、感じとして、もう大雪になりそうには思えない。

左の写真は27日撮影。
古い話で恐縮なのだが、取材して記事を書くというばあい、取材相手と自分との距離感というか、立ち位置というか、それは非常にむずかしいものがある。それは経験した者でないとなかなか分からないことかもしれない。霞ヶ関やら丸の内、大手町を取材のためにうろついていたころを思い出す。

もうひとつ、経験した者でないと分からないだろうことは、2,3日前に書いたとおり、情報は「作る」ものだということ。情報というのは、そこに転がっているものじゃなくて、自分で作らないと記事にならない。役所が発表する資料を記事にするのはかんたんで、そんなものなら誰でも記事が書ける。しかし、ほかの誰も書かないようなことを記事にするのがプロの記者というものだろう。これが大変なんだなあ。からっぽのシルクハットの中からハトを出すような話なのだ。

昨今の、検察のリークでマスコミが検察寄りの記事を垂れ流している状況は、目に余る。検察が捜査情報をマスコミにリークすることはあり得ない、なんてことをのたまっている人も少なくないが、寝言は寝ているときに言ったほうがいいよ。大新聞の幹部やら、元新聞記者やら、えらい評論家やら、まったくお粗末さには言葉もない。

たとえば元NHKだった池田信夫先生は
一般論としては、捜査当局が夜回りしてくる記者に捜査情報を明かすことはあり、容疑者をクロにする材料を教える傾向もあるが、そんなに簡単に教えてくれる ものではない。記者が独自に取材して「こういう話を聞いたが本当か?」と捜査官に「当てて」顔色を見て書く、といったきわどいやり方でやっているのだ。(池田信夫blog 1月22日)
これでは、新聞記者は読心術の達人になってしまうでよ。あるいは、医者が顔色だけ見て病気の診断されたのでは命がナンボあっても足りない。

新聞は検察権力をまったく批判しない。たとえば警察の不祥事はわりあい新聞記事になるだろう。警察官はたたきやすいのか新聞・テレビは何かにつけてたたく。ところが検察については、なぜかマスコミは召使いのごとくだ。マスコミと検察はほとんど一心同体、身内の間柄にある。身内関係だから、記者は検察をいっさい批判しない。冷静に見れば、これは恐ろしく異常なことだ。

河野太郎自民党代議士インタビュー「えさをもらうための検察報道」

こんなふうにスパッとマスコミ批判をするのはかっこいい。だけどね。

いっぱんに考えてもらえば分かるが、自分が取材した相手のことを悪く書くのは非常にきついことだ。話をしてくれた相手、貴重な材料をくれた相手、この相手を不利にするようなことは書けるものではない。しかし、そんな義理人情にとらわれていたのでは何も書けないし、それでは記者としては失格ということになる。そこら辺のつらさ。しかも、記事を書いた後もまた同じ相手と顔を合わせなければいけないのが、職業としての新聞記者だ。だから、検察庁の記者クラブに入っている記者が検察にシッポを振る気持ちも、わしにはよく分かる。

これが最初に書いた、「取材相手と自分との距離感」「自分の立ち位置」のむずかしさということだ。大新聞社なら力があるから良いが、零細な専門新聞社やフリーの記者は、取材相手とけんかをすると仕事ができなくなるおそれが大きい。弱い立場にある。実態は大新聞のほうがシッポを振っているのだから、世の中不思議なものだ。

しかし、とは言ってもだ。記者がジャーナリストを名乗るのであれば、取材相手を時と場合によっては斬って捨てる覚悟も、ぜったいに必要だと思うよ。いつも懐に匕首をかくして世の中を渡り歩くのが、新聞記者稼業というものだろう。

霞ヶ関の官庁街にたむろしている大新聞・テレビ局の記者はたいへんな切れ者ぞろい。と、普通の人は思っているかもしれないが、とんでも8分。ああいうところにいる記者連中ってのは、たいしたことない。ぬるい記者クラブ制度にどっぷり浸かっているだけのが大半だ。もちろん例外はいるが、そういう記者はたいてい会社を辞めるか辞めさせられるかのどっちかだ。新聞社にずっといて論説委員とか解説委員とかに出世していくようなやつほどくだらないのが多い。

つづきは明日。

寒中お見舞い

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大寒を過ぎて春なお遠し。

店主・声のごあいさつ
kanchumimai.mp3

浅川マキ

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maki.jpgそう言えば、2,3日前に浅川マキが死んだのだった。まだ現役でステージに立っていたことすら知らなかった。

我が家には、なぜか浅川マキのCD1枚とLPレコードが4枚ある。

何と言ってもデビューアルバムのB 面。このライブ録音のナマの暗さが浅川マキだ。A 面は曲と曲のあいだに余計な効果音やら街角のインタビューがうるさいし、スタジオ録音でお行儀良くまとまりすぎている。アルバム「裏窓」もその他もやっぱり浅川マキはライブの人だ。

もう30年以上昔になるので、記憶が曖昧になってしまったが、一度、浅川マキのコンサートに行ったことがあったような気がする。憂歌団とのジョイントだったような。ちがうような。。。知り合いの子に誘われて行ったのじゃなかったか。20代前半、東京にいる頃だった。憂歌団といえば木村だ。

5,6年前には高田渡も死んだし、あの辺の時代のしぶい、しぶとい歌い手が一人ふたりといなくなるなあ。

最近の若い人たちの歌にはほとんど興味がない。というか、今の歌は歌じゃないからね。歌ではなくて音だから、何も心に伝わってこない。歌がつまらないということは、時代がつまらないことでもあるか。

大雪も一段落した。いい加減、雪をいじるのは飽きた。
屋根の雪下ろしは、母屋、機械小屋、作業小屋の3棟全部おわった。畑は一部を残して、積もった枝の雪払いが完了した。あとは、雪に埋まりかけている幼木、わい化樹を掘り出す作業がのこっている。

春はまだ遠いから、またもう一度は雪下ろしやら何やらの重労働をくり返すことになるだろうが、とりあえずは一安心ということ。

小沢だの検察だの逮捕だの、そういう話ばっかりで、困った世の中だ。ニッポン人はほんと、ワシを含めてだいじょーぶなんだろうか。脳みそがやっぱり腐っているのかもしれない。あ、それがアメリカさんのねらいか。内輪でごたごたさせて喜んでいるのは誰か、考えた方が良いのじゃないか。

郵便番号の更新

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我が家の受注発送管理はぜんぶ、Excel  と Word の組み合わせで動かしている。

受注発送のデータ処理では、注文データ入力のときに送り先の郵便番号も記入するようにしてある。これは都道府県名、市郡区名、町村名まで入力すると、コンピュータが自動検索して郵便番号を表示する仕組みに作ってある。もちろん前もって、日本全国の郵便番号のデータベースをシステムに入れてある。だから、市町村合併などで毎年変化するデータベースをときどき更新しておかねばならない。

郵便番号データベースを受注管理システムに入れておくと、メリットが大きい。
たとえば、お客さんからもらった注文書に書いてある町名の字が読めないときや字が間違っているようなときでも、コンピュータがそれを修正補足してくれたりするのだ。たんに郵便番号を検索表示するだけに終わらない、有力な機能が付加される。Excel はけっこう賢いので、やめられない。

あいさつ

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雪も一休みなので、畑に様子見に行ってきた。

その帰り道、小学生がふたり、自分の家の周りにできた雪の壁で遊んでいた。通り過ぎようとしたとき「こんにちはー」と大きい声であいさつが飛んで来た。「おお、こんちはー」とお返しをした。
今、冬休みがまだ続いているのだろう。
もちろん、わしとその男の子は何の関係もない。

この地域では、だいぶ前にも書いたが、小学生の下校時間になると、街頭スピーカーから下校のアナウンスが流れる。これが始まってもう3年近くになるかな。

この下校アナウンスというのがひどいシロモノで、騒音に等しい。午後の静かな町にとつぜん、虫ずが走る(笑)ようなチャイムから始まる。趣味のわるい音楽をダラダラ流す。高学年と低学年が1回づつ同じセリフをくりかえす。休みの日は静かでいいなあ、とホッとするのだが、冬休みが終わればまた騒音再開だ。

で、スピーカーから、「おまえら、子供を見守れ」という説教くさいテープを毎日毎日、流している。そんなことで地域の安全が守れると思う浅はかさよな。何度でも書くが、ぜんぜん、根本的に、考え方がまちがっとるよ。「事業仕分け」で切って捨てて欲しいムダ事業だ。

総務省「自動見守りシステム事例集」
を見ると、がんがん街頭スピーカで放送しているのは全国で唯一、米沢だけ。音の環境破壊。

ところが、この手の、子供を見守れみたいな「大切な事業」は一度始めると止められなくなる。止めようと言うと、子供が危険になってもいいのか!という妙な心理的圧力が生まれるからだ。おまえのせいで犯罪が起きた、なんてことにされるから、誰も「ムダだから止めよう」と言い出せなくなるのだ。うるさいなあと文句でも言おうものなら、たちまち「非国民」にされるだろう。こっちのほうが、おそろしい。

きょう、道端であいさつをしたような子供がいっぱいいてこそ、地域はみんなが子供を守るようになるのだ。そういう教育をしてこそ地域の安心安全が築かれるのだ。それが、ホンモノの地域のつながりというものだ。スピーカーで、録音テープで、あいさつするなんてのは、心を無くした野蛮人のすることだ。こんな機械にあいさつさせているようでは、教育する大人の資格はない。こういうことを企画した人たちには、前の記事「充電中」に紹介した『逝きし世の面影』でも、ゆっくり読ませたいものだヨ。

まず充電中

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このブログで1ヶ月くらい前に書いてきた話と同じようなことを言っているので、参考までにどうぞ。
佐藤優 X 高野孟:この国の主導権を握るのは誰か(ラジオ放送)

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吹雪がつづいていたので、家の周りの雪かたづけばかりしていた。世間では正月らしいが、トップページに表示しているように、太陰太陽暦でいえば今はまだ11月だでよ。ペリーの黒船に脅かされて、どひゃー、と明治政府が太陽暦(新暦)にしただけの話だ。おおみそかだの、紅白歌合戦だの、正月だの、年賀状だの、と言っているのは、ようするに、西洋文明に洗脳されて「新暦」でものごとを考えるようになった、みじめなニッポン人というだけの話よね。

雪片付けばかりでは退屈なので、アタマの充電。

ニッポンの「文明」とは何なのか、ということで読書中なのです。黒船が来て坂本龍馬も走ったぞな。明治維新になったぞな。で、その結果がまわりまわって、今のニッポンなのだ。今の民主党政権発足なのだ。大久保利通、岩倉具視、伊藤博文の官僚国家が太平洋戦争をはさんで去年までつづいてきた。それをひっくり返そうという、鳩山・小沢の「革命」というめぐりあわせなのだよ。坂本龍馬が倒れ、西郷隆盛を排除して成立したのが明治の大官僚国家だった。その官僚国家との100年戦争が今、始まっていると。(小沢は西郷隆盛を尊敬するそうだ)

bunmei_omokage.jpg
bunmei_tohoku.jpg
明治11年に日本を訪れて各地をまわったイザベラ・バードの『日本奥地紀行』は、山形県米沢盆地はエデンの園だ、と書いたことで有名。

『逝きし世の面影』は、幕末から明治にかけて日本に来た多くの欧米人の目から見た日本人とその暮らしを再構成した。そして、明治維新とともに、それまで日本にあったひとつの文明がほろびたのだ、という。

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